ボンベイ室内管弦楽団
Bombay Chamber Orchestra (BCO)の情報
BCO活動50周年。 ジニー先生が「WAOF in 静岡」出席のために来日(2012年8月) |
指揮者「山路譲さん」フルーティスト「坂橋さん」がBCOと共演 2008年11月23日のBCOの演奏会で日本人演奏家が共演しました。 |
ピアニスト「森麻衣子さん」がBCOと共演 イギリス在住のピアニスト「森麻衣子さん」は既に2回BCOと共演されています。 |
ボンベイ室内オーケストラのコンサートプログラム(Programs of
Some BCO Concerts) BCOの演奏会を紹介しています。パンフレット、演奏曲目、出演者、感想などなど。 |
ボンベイ室内オーケストラの写真 (Memorial photos of Bombay Chamber Orchestra.) |
About Bombay Chamber Orchestra
The introduction of the orchestra from
BCO Homepage.
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ボンベイ室内管弦楽団に参加
「インドのムンバイ勤務」 勤務していた会社がインドに進出することとなりインド駐在員事務所をムンバイに設立することとなりました。以前にスリランカのコロンボに勤務した経験があったこと ともあって私がその任務にあたることとなりました。最初はムンバイのホテル住まいでしたが暫くしてムンバイ市内にアパートを借りてインド ので生活を送ることとなったのです。スリランカ勤務の経験から南アジアの生活自体にはそれほど違和感を持つものではありませんでした。それより現地での貴重な余暇時間どのように有意義に過ごすかを考えました。海外駐在員 (単身赴任)の余暇の過ごし方といえば「ゴルフ」ですが、もともとそれ程好きではないし、海外で日本人仲間とゴルフすることについては以前から気が進 みませんでした。それよりインドの人達と触れ合うことができる活動を考えました。勿論休暇にはインド国内を旅行して多くのインド文化に触れましたが、普段の土日などに有意義な活動をしたかったのです。 という訳でスリランカ時代と同じように、 赴任地現地ムンバイで「オーケストラ」を探してそこの演奏家に弟子入りすること、そしてチャンスがあったらオーケストラ活動にも参加すること に狙いを定めました。指揮者の「ズビン・メータ」がインド出身ということは知っていました 。そしてイギリス植民地時代の名残りで比較的進んだ西洋音楽活動があるのではないかと予想しました。何しろインドの経済の中心地のムンバイは大都市で人口は1000万人を軽く超えるのですから。本格的にムンバイに引越しをする前 に出張で滞在していたホテルの近くの「TATA劇場ホール」で「ボンベイ室内管弦楽団」のコンサートがあるという情報を入手して早速コンサートを聞きに行き、そのプロフラムに記載されていた情報からオーケストラとの接触を始めました。 日本から引越しの際に は一旦スリランカから戻ったチェロを日本からインドに持ち込みました。そしてレッスンの先生を探すために管弦楽団のチェロ奏者を紹介してもらおうと考えてオーケストラ事務局にメールを出しました。そのメールに対してオーケストラ代表の「ジニー・ディンシャウ先生 」(Ms.Jini Dinshaw)から返事が来ました。「残念ながらチェロを教えるようなレベルの奏者はいないけれどバイオリン奏者の自分が見て上げることができるがどうですか 。」というお返事でした。というわけでバイオリン専門のジニー先生からレッスンを受けることとなりました。更にジニー先生の許しを得てボンベイ室内オーケストラの練習・演奏会にも参加させていただいたという訳です。 ジニー先生は専門のバイオリンをイギリスに留学して学 びました。コモンウェルスに属するインドはイギリスとの太いパイプがあります。スリランカのチェリスト「デュッシー先生」もイギリスでチェロを学びました。指揮をしたり楽譜・楽器を揃えたりするジニー先生はオーケストラ(BCO)ではビオラを弾いています。ジニー先生のお宅はムンバイのビジネス街のビル 内にあります。レッスン室はそのビルの屋上のペントハウスです。ペントハウスには弦楽器から管楽器・打楽器など数多くの楽器が保管されています。屋上に上る階段の途中にはコントラバスが 難題か横たわっています。
ジニー先生はイギリスから帰国されてから40年以上に亘ってボンベイ室内管弦楽団の世話をしてい
ます。先生の仕事の仕事はというと、 ムンバイには「パルシー」と呼ばれるペルシャから渡ってきた 人々の子孫が住んでいます。パルシーは世界各地に住んでいますがムンバイには最大の「パルシー社会」 があるのです。ムンバイを根拠地とするインド最大の「TATA財閥」もパルシー系財閥のひとつなのです。そしてジニー先生もパルシー社会に属していますし、オーケストラ団員 の中にもかなりの数の「パルシー」の方がいます。従って「TATA関連会社」からの支援が得られやすいという背景はあります。とは言っても高価な楽器を揃えたり、外国からの演奏家を招聘するためのお金を工面するのは大変な苦労です。ジニー先生は時代物のモスグリーンの「オースティン」を自ら運転して 、忙しくムンバイの街を駆け回ることになります。
ムンバイ室内オーケストラ(BCO)の本拠地はTATAシアターのリハーサル室です。TATAシアター(NCPA)はムンバイ市中心部 のナリマンポイントにあります。ムンバイ市の代表的な観光スポットの「マリン・ドライブ」(海岸に沿って弧を描く綺麗な道です)の南端がNCPA。その中には、コンサートホール、小ホール、オペラホールの3つのホールがあります。そこがBCO演奏会の演奏会会場ともなります。TATAシアターにはゲスト演奏者用の滞在用ホテルも完備しています。名前のとおり「TATA財閥」からの多額の寄付により出来上がっています。 ボンベイ室内オーケストラ(BCO)は年に5〜6回の演奏会を開催しています。定期的に演奏会を開催しているオーケストラはインドで唯一のはずです(私が帰国した後、2006年春にムンバイのTATA劇場が専属のオーケストラを結成するというプランがありました。またニューデリーにオーケストラを作るという話もありました) |