ムンバイ室内オーケストラ演奏会



 

2004年7月30日の演奏会

この演奏会はムンバイ出張中に聴きました。ムンバイにもオーケストラの活動があることを知って大変嬉しくなったものです。ムンバイの7月30日はまだモンスーンシーズンの最中で大雨の中のコンサートだったと記憶しています。 従って聴衆の数は少なく小さいホールでしたが空席が目立ちました。演奏会場はTATAシアターのエクスペリメンタルホール。

プロフラムは以下の通り。
パッヘンルベル作曲:3台のバイオリンとバスのためのカノンとジーグ
モーツアルト:バイオリン協奏曲第五番イ長調
アルビノーニ:弦楽とオルガンのためのアダージョ
グリーグ:弦楽の組曲「ホルバーグ」

ヴァイオリン独奏、および指揮は「Vahid Khandem Missagh」さん。バヒドさんは1977年オーストリア生まれのバイオリニスト。2001年のザルツブルグ音楽祭でデビューしたのだそうです。ホルンパートのエキストラとしてボンベイ地区警察庁長官のゴタム・スワントさんが参加されています。

「タイム&タレントクラブ」のディナーコンサート(2004年9月12日)

ムンバイでも有名な「タージホテル」の「クリスタルルーム」出行われたディナーコンサートです。モンスーンも漸く終わりに近づきムンバイは観光シーズンに入る9月。 2004年の8月末にムンバイに正式に赴任し、早速事務所を開いたのですがその事務所の入居するビジネスセンタの大家さんが大変親切な方でコンサートに招待してくれました。このコンサートは「Time & Talent Club」というムンバイ婦人会の70周年記念 のコンサートでした。事務所の大家さんの奥様がその会の会長さんだったのです。
このディナーは世界的に有名なムンバイのダイヤモンド商人がスポンサーとなっていました。ムンバイはダイヤモンド取引では世界でも有数なのです。またムンバイは「パルシー」と呼ばれるイラン系の人々が多く住む街でパルシーの人々にはお金持ちが多いのです。 その日も着飾ったお金持ちの方が大勢集まっていました。
演奏は「JADE」というバイオリン、フルート、チェロのトリオ。ヴァイオリン:Jason Posnock、フルート:Dilshad Posnock、チェロ:Alistair MacRae。
後で分かったのですが、フルートのDilshadさんはボンベイ室内オーケストラ(BCO)の世話人のビリモーリアさんのお嬢さんでした。 彼女の旦那さんがジェイソンさんでした。因みにチェロのアリスターさんはジニー先生のチェロで演奏されていたのでした。曲目はハイドンの3重奏曲など。 演奏会の後にインド料理のディナーがありました。



 
2004年9月19日の演奏会(TATAシアターコンサートホール)
JRD.TATAの生誕100年記念と銘打った演奏会。TATAグループはムンバイに本拠を置くインド最大の財閥。TATA家はムンバイのパルシーなので、パルシーの人が多いBCOには多大な貢献をしています。ムンバイ市街地にあるTATAシアターは小ホール、大ホール、オペラ劇場を有する素晴らしい劇場です。そのリハーサル室がBCOの練習場です。
当日の演奏曲目は、ヨハンシュトラウス(Jr)の「ベニスの夜序曲」、ブルッフの「コールニドライ」(チェロ:Alistair Macrae)、ドボルザークの「ズラブ舞曲第1番」、ブラームスの「交響曲第3番の3楽章」、ヴニャフスキーのバイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン:Farhad Billimporia)。指揮はアーネスト:ヘッツエルさんでした。

フィレンツェ市立歌劇場オーケストラ演奏会(BCOではありません)
ズビン・メータのムンバイ凱旋公演。メータはムンバイの「パルシー」の出身です。メータは数年に一度ムンバイで公演します。今回はフィレンツェ市立歌劇場のオケとの公演でした。そして競演はチェロのムスチラフ・ロストロポーヴィッチ。日本で聞く機会がなかったのですが幸運にもムンバイで聞くことが出来ました。曲はドボルザークのチェロ協奏曲。阪神大震災直後にNHK交響楽団・小沢と競演したときの名演奏を思い出しながら聴きました。しかしロストロポーヴィッチも年をとりました。演奏の推進力が衰えていた感じでした。その他の曲目は、ヴェルディの「シチリアの夕べ」、ブラームスの交響曲第一番。とにかくイタリアの現役の劇場オケの音は素晴らしかったです。とくに最初のオペラ序曲が一番雰囲気がありました。

2005年8月12日のコンサート
私の参加したコンサートです。モンスーンの影響でコンサートの日程がずれました。当初はネパールのギター奏者を招いてヴィヴァルディの「ギター協奏曲」を演奏する予定でしたが、ソリストが来印できなくなり、急遽3台のバイオリンの協奏曲に変更となりました。指揮者はイギリスからやってきた「Timothy Murray」さん。曲目はヴィヴァルディの協奏曲に加えて、Frantisek Domazlickyの「無言歌」、フランク・ブリッジの「弦楽のための組曲」、エルガーのセレナーデ、メンデルスゾーンの弦楽のための交響曲第7番・・・でした。ティモシーさんはイギリス出身なので、エルガー、ブリッジの素敵な曲がプログラムに入りました。演奏会ニ週間前からは「朝練習」がありました。朝6時からの8時までの練習は正直言って大変でした。それもモンスーンの大雨に中・・・。メンデルスゾーンの弦楽の交響曲は大変難しい曲でした。ムンバイではCDが手に入らないため、ジニー先生から頼まれて日本からCDを送ってもらいました。この曲はメンデルスゾーン21歳の時に作で、非常に溌剌とした曲です。ただ、弦楽だけの演奏では、相当上手くないと聞かせられないというのが本当のところです。
2005年9月11日のコンサート

2004年7月のコンサートに引き続き、ウィーンのへルツェルさんの指揮で「ウイーンの音楽」を中心にした楽しいコンサートでした。メインの曲はモーツアルトの「シンフォニアコンチェルタンテ」、イギリスからオーボエ、ホルン、ファゴットの若い奏者を招き、彼女等にBCOクラリネット奏者のデイニッツさんが加わりました。洒落た演奏だったと思います。
ウィーンの音楽は、「蝙蝠男爵」、「Blue Danube」、「ハンガリー舞曲6番」、「プラーダ公園の春序曲」など。特に「プラーダ公園の春」は、ウィーンのプラダ公園を題材にしたオペレッタの序曲で、指揮者のヘルツェルさんはウィーンの雰囲気が満ち溢れていると解説されていました。大掛かりの曲が多いので、打楽器のエキストラと、「ゴア弦楽合奏団」のメンバーがエキストラで参加しました。ゴアには結局行く機会がありませんでしたが、友人は沢山出来ました。
2005年11月20日の演奏会
ムンバイのオランダ領事館がスポンサーとなり、アムステルダム室内オーケストラとの競演の演奏会でした。指揮者は「Paul Peter Spiering」さん。コンセルトヘボーのバイオリン奏者であった方です。曲目はニコライの「ウインザーの陽気な女房達」、サンサーンスのバイオリン協奏曲3番、ベートーベンの交響曲第1番、ハチャトリアンのスパルタクスのアダージョでした。オランダもインドとは関係の深い国なのでこういう後援ができるのです。日本の大使館・領事館も少し考えて欲しいと思いました。確かに西洋音楽は日本でも外来ですが、音楽大学の層の厚さや、東京におけるコンサートの回数など世界有数の西洋音楽大国になっています。
10月末から私はニューデリーに本拠を移したのですが、この時は偶々ムンバイに戻っていたので聞くことが出来ました。この演奏会が私のムンバイ室内オーケストラメンバーとの出会いに最後となりました。
inserted by FC2 system