ムンバイ室内オーケストラ演奏会
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2004年7月30日の演奏会
プロフラムは以下の通り。 ヴァイオリン独奏、および指揮は「Vahid Khandem Missagh」さん。バヒドさんは1977年オーストリア生まれのバイオリニスト。2001年のザルツブルグ音楽祭でデビューしたのだそうです。ホルンパートのエキストラとしてボンベイ地区警察庁長官のゴタム・スワントさんが参加されています。 |
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「タイム&タレントクラブ」のディナーコンサート(2004年9月12日) |
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2004年9月19日の演奏会(TATAシアターコンサートホール) JRD.TATAの生誕100年記念と銘打った演奏会。TATAグループはムンバイに本拠を置くインド最大の財閥。TATA家はムンバイのパルシーなので、パルシーの人が多いBCOには多大な貢献をしています。ムンバイ市街地にあるTATAシアターは小ホール、大ホール、オペラ劇場を有する素晴らしい劇場です。そのリハーサル室がBCOの練習場です。 当日の演奏曲目は、ヨハンシュトラウス(Jr)の「ベニスの夜序曲」、ブルッフの「コールニドライ」(チェロ:Alistair Macrae)、ドボルザークの「ズラブ舞曲第1番」、ブラームスの「交響曲第3番の3楽章」、ヴニャフスキーのバイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン:Farhad Billimporia)。指揮はアーネスト:ヘッツエルさんでした。 |
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フィレンツェ市立歌劇場オーケストラ演奏会(BCOではありません) |
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2005年8月12日のコンサート 私の参加したコンサートです。モンスーンの影響でコンサートの日程がずれました。当初はネパールのギター奏者を招いてヴィヴァルディの「ギター協奏曲」を演奏する予定でしたが、ソリストが来印できなくなり、急遽3台のバイオリンの協奏曲に変更となりました。指揮者はイギリスからやってきた「Timothy Murray」さん。曲目はヴィヴァルディの協奏曲に加えて、Frantisek Domazlickyの「無言歌」、フランク・ブリッジの「弦楽のための組曲」、エルガーのセレナーデ、メンデルスゾーンの弦楽のための交響曲第7番・・・でした。ティモシーさんはイギリス出身なので、エルガー、ブリッジの素敵な曲がプログラムに入りました。演奏会ニ週間前からは「朝練習」がありました。朝6時からの8時までの練習は正直言って大変でした。それもモンスーンの大雨に中・・・。メンデルスゾーンの弦楽の交響曲は大変難しい曲でした。ムンバイではCDが手に入らないため、ジニー先生から頼まれて日本からCDを送ってもらいました。この曲はメンデルスゾーン21歳の時に作で、非常に溌剌とした曲です。ただ、弦楽だけの演奏では、相当上手くないと聞かせられないというのが本当のところです。 |
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2005年9月11日のコンサート 2004年7月のコンサートに引き続き、ウィーンのへルツェルさんの指揮で「ウイーンの音楽」を中心にした楽しいコンサートでした。メインの曲はモーツアルトの「シンフォニアコンチェルタンテ」、イギリスからオーボエ、ホルン、ファゴットの若い奏者を招き、彼女等にBCOクラリネット奏者のデイニッツさんが加わりました。洒落た演奏だったと思います。 ウィーンの音楽は、「蝙蝠男爵」、「Blue Danube」、「ハンガリー舞曲6番」、「プラーダ公園の春序曲」など。特に「プラーダ公園の春」は、ウィーンのプラダ公園を題材にしたオペレッタの序曲で、指揮者のヘルツェルさんはウィーンの雰囲気が満ち溢れていると解説されていました。大掛かりの曲が多いので、打楽器のエキストラと、「ゴア弦楽合奏団」のメンバーがエキストラで参加しました。ゴアには結局行く機会がありませんでしたが、友人は沢山出来ました。 |
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2005年11月20日の演奏会 ムンバイのオランダ領事館がスポンサーとなり、アムステルダム室内オーケストラとの競演の演奏会でした。指揮者は「Paul Peter Spiering」さん。コンセルトヘボーのバイオリン奏者であった方です。曲目はニコライの「ウインザーの陽気な女房達」、サンサーンスのバイオリン協奏曲3番、ベートーベンの交響曲第1番、ハチャトリアンのスパルタクスのアダージョでした。オランダもインドとは関係の深い国なのでこういう後援ができるのです。日本の大使館・領事館も少し考えて欲しいと思いました。確かに西洋音楽は日本でも外来ですが、音楽大学の層の厚さや、東京におけるコンサートの回数など世界有数の西洋音楽大国になっています。 10月末から私はニューデリーに本拠を移したのですが、この時は偶々ムンバイに戻っていたので聞くことが出来ました。この演奏会が私のムンバイ室内オーケストラメンバーとの出会いに最後となりました。 |