タミール・ナドゥ旅行記

タンジュヴァール(4日目)

大都市チェンナイに泊まったときには分からなかったのですがティルチラパッリのような地方都市に来て見て、タミールの人たちの朝はとても早いということを知りました。朝まだ暗い中からお経のような声が聞こえてきます。さらに明るくなったところで外に出てみるとホテルの外の道で足早に散歩をしている何人もの人に出合いました。この朝が早いというのタンジュヴァール、マドラスでも共通の印象でした。またスリランカ北端のジャフナの町でも同じような印象を持ちました。

ホテルで ベジタリアンフードにスクランブルエッグを添えてもらった朝食を食べたあと、今日は9時にホテルをチェックアウトし、一路車で
「タンジュヴール 」に向かいました。チェンナイ空港の書店でタミール・ナドゥの道路地図を買っておいたので車がどこを通っているのか分かってとても便利でした。ティルチラパッリからタンジュヴールまでは州道が走っています。インドの場合主要都市 間を国道(ナショナルハイウェイ)が結んでいて、州内の主要都市間を州道(ステイトハイエェイ)が結んでいるのです。古いアンバサダーは時速60Kmくらいで快調に走りました。ティルチラパッリ・タンジュヴァール間は55Km。約一時間の旅でした。 下の写真はホテルの外と朝食です。
州道も綺麗に舗装されていました。バスは驚くほど多くの人を乗せています。乗り切れない乗客が屋根の上にいます。


タンジャヴールは人口50万人の町です。因みにティルチラパッリは人口90万人。両都市とも市街地は賑やかですがインドでは100万人を越さないと「市」とは言いません。さらに人口500万を超えないと大都市とは呼ばないとのことです。午前中にタンジュヴールに着いてしまったのでタンジュヴールの旅行会社の勧めで、近郊のクンバコナム(Kumbakonam)ダーラスーラム(Darasuram)に出かける事にしました。世界遺産に登録されているタンジュヴールの「ブリハディーシュワラ寺院」は夕方から見学することにしました。私自身移動時間がどれくらいかかるのか分からなかったのですが、時間があれば郊外の寺院を見たかったのです。クンバコナムはタンジュヴールから約40Km位離れており車で一時間位の距離でした。

アイラテ-シュワラ寺院(Airateswara Temple)
まず最初に向かったのが、クンバッコナムへ行く途中の町
「ダーラスーラム」にある「アイラテシュワラ寺院」です。ダーラスーラムはクンバッコナムの手前4Kmくらいの街道筋にあります。タンジュヴールの旅行会社のローナパーンさんがここの寺院はとても綺麗だと推薦してくれたのでした。この寺院は12世紀チョーラ王朝の「ラージュラージュ二世」によって建てられました。ラージュラージュ一世が建てたブリハディーシュワラ寺院を少し小振りにした感じです。
「アイラテシュワラ寺院」はほんとうに綺麗な寺院でした。規模はそれほど大きくないのですが「愛らしい」という感じがぴったりです。シヴァ寺院と少し小振りのパルヴァティ寺院が仲良く並んでいます。この二つの寺院は綺麗な芝生で整備された公園の中にあります。嘗てはこの二つの寺院が外側の大きな周壁で囲まれていたようです。今はその周壁はありませんがシヴァ寺院南出口から南を見ると、少し離れた荒地の中に「門」らしきものが見えました。

「アイラテシュワラ寺院」は現在修理の真っ中でした。従って工事機材やら足場が組まれてはいて不粋ですが、工事のお陰で普段ヒンズー教徒以外は入れない神殿内も見ることができました。建物の外壁などは色が殆ど剥がれていて落ち着いた土色をしていますが、天井などに壁画が結構そのまま残っているので、嘗てどんない華やかだったかを想像できます 。
この寺院でも見ものは石の彫刻です。建物壁面、石柱、階段の手すりなどに施された彫刻は技術的にも芸術的にも大変素晴らしいものです。回廊の一部に
「ナータラージャの部屋」(Nataraja Mandapa) という見事な彫刻が集中して部分があり、そこだけでも十分美術館になります。そこにはシヴァ神の家族、つまりシヴァ、パ ルヴァティ、ガネーシャ、スカンダの彫刻があります。その他の石柱、シヴァリンガなども見事です。

この寺院が修理されているということ事態大変重要なことなのです。インドそれも南インドにはそれこそ数多くの寺院があって 、放って置くとどんどん荒廃していきます。それら全てを修復保存することはできませんから、文化的に保存価値のある物だけに絞って修復保存がなされているのです。私はこのアイ ラテシュワラ寺院も世界遺産に登録されても不思議がないくらいすばらしさだと思います。

サランガパニ寺院(Sarangapani Temple)
アイラテシュワラ寺院に 続いて向かったのはクンバッコナム。ここはスリランガム村のように寺院都市になっています。街の至る所に寺院があるのです。クンバッコナムの街中に入っていくと その道筋に一つのタンクを挟んで二つの大きな寺院が見えてきます。最初に見えてくるのが
「クンベシュワラ寺院」(Kumbeswarar Temple)、タンクを挟んでサランガパニ寺院。下の写真はサランガパニタンクです。

サランガパニ寺院だけを見学する事にしました。ここはスリランガムのランガナータ寺院(Ranganatha Temple)、ティルパッチのヴェンカタチャラパッティ寺院(Venkatachalapathy Temple)についで有名な「ヴィシュヌ神」を祀る寺院だそうです。しかしこの時ちょうど1時近くなって寺院が閉まってしまう時間になったので人影も疎らでした。私も境内をざっと見るだけにしました。寺の人達が門を閉め始めたのです。

私がサランガパニ寺院を見学している間ドライバーが昼食に行ってしまったので、私も見学を切り上げ てクンバッコナムの町で遅い昼食をとりました。インドの町でどこでにでもある紅茶店の紅茶とパン。紅茶は小カップ2ルピー大カップ4ルピーでとても美味しかったです。 下がインドの何処にでもある街のチャーイ売店。
 

               
マハマガムタンク(Mahamagam Tank)
この街には「マハーマガムタンク」という大きな沐浴場があります。そこでは12年に一度大きな祭りが行われ 、インド全土から非常に多くの人間やってきて沐浴するのだそうです。2004年がその祭りの年に当たっており、久しぶりの祭りを控えて突貫作業で池の修復・掃除が行われていました。水を抜いて底のゴミをさらうためブルドーザーが活躍していました。この大きなタンクはガンジス川等のインドの主要な大河と繋がっているというということで、人々の信仰を集めているのです。

ブリハディーシュワラ寺院(Brahadeeshwarar Temple)
タンジュヴァールのブリハディーシュワラ寺院は今回のインド旅行における一つのハイライトといえます。タンジュヴァールは今でこそ地方都市ですが チョーラ王朝最盛期には首都 、そして文化の中心として非常に栄えた都市なのです。そこには大きな寺院、宗教大学が作られたのでした。その中でももっとも雄大な寺が「ブリハディーシュワラ寺院」であり、世界遺産に登録されています。 クンバッコナムからタンジュバールに戻ってガイドと正門前で合流して3時30分くらいから見学を開始しました。この寺はチョーラ王朝(9世紀から13世紀)の最盛期の王「ラージュラージュ一世」によって 建てられました。日本でいうと聖武天皇が東大寺を作ったような感じでしょうか。政権基盤が確立し、非常に有能な名君が現れて国家統一のシンボルとして偉大なヒンズー寺院が作られたのだと思います。
 
寺院の本堂は65mの高さの屋根を持っています。前期ドラビダ建築の傑作で見事な彫刻が壁面を覆っています。この屋根の一番上には重さ80トンの大理石の大きな石が置かれているのです。この石を一番上に持ち上げるために6Kmにおよぶスロープが作られたのだそうです。

シヴァ寺院本殿内部の中心にはとてつもなく大きなシヴァリンガがおかれています。シヴァリンガとはシヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマンの3人の神が合体した抽象的な像です。ヒンズー教が土着の男根崇拝信仰を取り込んだものと思われます。土台となっているブラフマンの上にヴィシュヌが乗っていて、ヴィシュヌを下からシヴァが貫いている形なのです。 本殿の他に周囲の回廊には無数のシヴァリンガが置かれています。


シヴァ寺院には必ずナンディ(シヴァ神の乗り物)が控えています。ブリハディーシュワラ寺院の現在のナンディはインドで二番目に大きいのだそうです。下がナンディの写真。左が昔のもので右が現役です。

私はというとこの寺院の全体の雄大さと、これを作った人達の強い意思に圧倒されてしまいました。これを建設するためにどれくらいの労力がかかったこと か。でも建物の装飾一つ一つがとても心を込めて作られている ことがわかるのです。この寺院を作った人々は本当にヒンズー教を深く信じていたのだと思いました。今でも多くの人々が参拝に来ています。綺麗なパンジャビを身につけた参拝客の写真を撮らせて頂きました。

一時間くらいガイドの方に解説してもらいましたが自分ひとりでゆっくり見て回りたかったので、ガイドを帰してさらに夕暮れまでひとりで散策しました。この寺院は東向きなので多分朝日を浴びた姿はまたすばらしいだろうと思われました。明朝早くもう一回 来ることを決めました。夕暮れの境内に猫を連れた線香・花売りのおばさんがいました。のんびりした光景です。

この日のホテルはタンジュバールのオリエンタルホテルというところでした。このホテルはブリハディーシュワラ寺院からは少し距離があって、歩いて寺院を見にいくことはできませんでした。少し古いのですがベルギーとアメリカから観光客が来ていてにぎやかでした。夕食はベルギーの人たちに混じってブッフェを頂きました。ブッフェといってもそれほど種類はありませんでした。実はこの日はクリスマス−イヴでした。ここのレストランでもキングフィッシャーのビールしかおいていません。

            

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