タミール・ナドゥ旅行記

タンジュヴァール5日目 )

昨日あれほど天気が良かったのに今日は曇り模様です。朝ホテルの窓からそとを眺めると霧が立ち込めていました。早朝ホテルの外に散歩にいきました。ホテルの傍にバス停があって多くの大きな荷物を持った人々がバスを待っていました。インドのバスはインド国産で、ローカルバスは窓ガラスがないのです。ガラスの代わりに金属性の手摺が付いています。雨の日は大変だと思います。

ホテルの朝食は相変わらず「ベジタリアンフード」だけです。あまりにも味気ないのでホテルに頼んで「卵料理」を付けてもらっています。ハムとかソーセージは断られますが卵なら何か作ってくれます。スクランブルエッグを作ってもらいました。今日はクリスマスなのでアメリカ人観光客が揃ってサンタクロースの帽子を被って 朝食のレストランに現れました。観光旅行にそこまで準備してくる彼等のサービス精神に感動しました。 下の写真が窓ガラスのないバス。右はホテルの屋上から見たタンジュヴァール市内。遠くにブリハデシュワラ寺院が見えます。
 

午前中もう一度「ブリハディシュワラ寺院」が見たくて朝の寺院に行きました。晴れていれば東側から朝日に照らされた寺院を見る事ができるのですが、あいにくの曇り模様でした。でも霧の中の寺院もすてきでした。朝から多くの参拝客でにぎわっていました。

今日は午前中にタンジュヴァール市内の宮殿美術館(Tanjore Art Gallery)を見学してから車で「マドライ」に移動することになっています。ブリハデシュワラ寺院にお別れをして、すこし離れた王宮を見に行きました。王宮といっても地方領主の家の跡で規模は非常に小さいです。正直言って見るべきものはないという感じでした。記念にここの土産物屋でタンジュヴァールの土着の土人形を買いました。 下の写真(左)が王宮の謁見の間です。右は宮殿美術館の遠景です。

王宮の隣に宮殿美術館があります。この宮殿美術館にはこの地方で発見されたブロンズ像・石造彫刻が沢山陳列されています。この美術館で昨夜同じホテルに泊まっていたベルギーからきた団体客と一緒になりました。団体客の何人かは真剣に写真を撮っていましたが、多くの客は退屈そうでした。しかしここのブロンズ像はチェンナイ国立博物館所蔵のブロンズ像とほとんど遜色がないよう な立派な芸術品であると思えました。その造形の見事さに圧倒されます。また屋外に展示されている石造彫刻も見事です。これらは多くの寺の門や壁を飾っていたのでしょう。

上の写真で、左上が美術館の入り口。右上のブロンズ像は珍しい「ブラフマン」です。下の左の写真は仏陀石像です。どことなくスリランカの仏陀像に似ています。顔が丸いせいでしょうか。下中央は「ラーマ、シータ、ハヌマン」像。ラーマーヤナの主人公達です。タミール・ナドゥは「ラーマーヤナ」物語の場面でもあります。右下は「踊るジヴァ神」(ナートラージャ) 」です。この美術館は展示用に収容しているプラスティックケースが汚れていて詳細に見る気にならないのが難点です。写真も綺麗に取れません。 せっかくの貴重な像なので展示方法を改善して欲しいと思いました。

インドにおいては保存状態が良くて文化的価値の高い寺院だけが保存されます。その他の何千何万という寺院は開発が進んでいくと見捨てられるのです。そういう寺院の中にも非常に文化的に価値の高い建物・付属物があるのでしょう。そうした寺院の外壁を飾っていた石像類が流出するのだと思います。そうしたものの一部がこういう 美術館に陳列されているのだと思います。殆どの像は売られたり破壊されたりしていくのでしょうが。

この宮殿美術館に隣接して市内を見下ろすことが出来る高い塔があります。この塔は狭い階段を使って上まで登れるようになっています。訪れた記念に一番上まで上ってみました。この塔には鯨の骨格標本が飾ってあります。日本では珍しくない鯨の剥製ですが、内陸部のタンジュヴァールでは珍しい展示品なのでしょう。そういえばコロンボの国立博物館にもありました。

宮殿美術館見学後にマドライに向かいました。タンジュバール・マドライ間は州道を通って160Kmあまり。最初はドライバー氏の横に座って通り過ぎる風景を楽しんでいたのですが、途中から後ろの座席に移って眠ることにしました。正直言って窓の外の風景はスリランカの風景と変わらないのです。

車は順調に走ったので3時前にマドライにつきました。最後の訪問地マドライです。人口は100万を超える市です。タミール・ナド州では第三の都市です。別名「テンプルシティ」といいます。ここは街の中心にある「ミナクシ寺院」を中心とする門前町なのです。 まずマドライの町を通り抜けて、マドライでのホテル「ガーマナス・デイイン・マドライ」にいきました。アメリカ資本のホテルです。設備は新しくてとても感じのいいホテルなのですが、立地はイマイチ。マドライの鉄道駅を挟んでミナクシ寺院の反対側に位置しています。ミナクシ寺院に行くには大きな跨線橋をわたらなければなりません。しかもマドライの環状道路の面していて目の前は幅広い道路です。 下の写真はチャーイ屋さん、昼食、映画俳優の看板です。

なおティルチラパッリからのドライバーはマドライ出身のロガナータマン氏で自分の家はこのホテルから遠くないと言っていました。ホテルで少し休んで夜のミナクシ寺院見学に出かけました。ミナクシ寺院に行く前にマドライ鉄道駅前の本屋さんでガイドブックを買いました。とても親切な本屋さんでした。本屋さんで本を物色している間に日本の妻から電話が入ってびっくりしました。長野の母が体の具合が悪いので小田原の弟の家に来たとの連絡。心配になりましたがマドライからではどうしようもないので小田原に電話連絡するとともに それ以降の各寺院で母の健康を祈る事にしました。 下がホテルのガーマナスホテルの部屋です。今回の旅で最も綺麗なホテルでした。右はマドライ駅近くの陸橋です。下中央の写真はマドライ駅前の本屋さんです。

 

このインド旅行でたっぷりヒンズー教に文化に浸っていた私は、しだいにヒンズーの神々の中の特に「シヴァ神の奥さんのパ ルヴァティ」に興味を抱き始めていました。ヒンズーの神々では、ブラフマンビジュヌシヴァの三人の神が有名です。ブラフマンは創造の神、ビジュヌは維持・繁栄の神、シヴァは破壊・再生の神です。しかし実際にはブラフマンを祀った寺院はほんの少ししかなくてビシュヌとシヴァが人々の人気を二分しているといっていいでしょう。シヴァとパ ルヴァティには二人の息子「ガネーシュ」「ムルガン」がいます。このふたりも有名です。 象の頭を持つガネーシュ神はインドの神様の象徴にもなっていますし、ムルガンはスリランカ南部のカタラガマにも祀られています。

シヴァの妻の「パルヴァティ」はシヴァ寺院には必ずといっていいほど付属している、少し小ぶりの「パ ルヴァティ寺院」に祀られているのです。しかしそれだけではなくさらに「パルヴァティ」を単独に祀る寺院も「アーマン寺院」も有名なのです。 本来「シヴァ」は破壊の神なので非常に荒々しい面をもっています。従って奥さんの「パーヴァティ」も時には凶暴な面で祀られることがあります。このときには「カーリー」と か「ドゥルガ」とかと呼ばれます。 しかし一方でパルヴァティは別の面も持っているのです。ここからは私の想像ですが、それは「母への感謝」そして「女性の尊重」さらには「平和・繁栄の象徴としての女性の崇拝」というものです。ヒンズー教はとても平和な宗教だと思います。一部のイスラム教やキリスト教の人達みたいに戦わない。また侵略に加担しない。確かにヒンズーの伝説には神々の大戦争 (「マハーバーラタ)があったり、ランカ王との戦争(ラーマーヤナ)があったりしますが、宗教そのものは優しく柔和な側面を持っているのではないでしょうか。このことはインド南部のタミール・ナド地方特有なのかもしれません。私にはその典型的なものが「パ ルヴァティ信仰」ではないかと思えるのです。

元々ヒンズー教はインド北部に侵入してきたアーリア人の宗教だったと言われています。彼等の神話「ベーダ」が基本になっているようですが、それがヒマラヤ山脈、ガンジス川の自然と融合し、さらにブラフマン、ビシュヌ、シヴァという土着神ともいえる神々をも包含して祀るようになってきたのです。ヒンズー教も非常に多様な側面があることを改めて実感じています。

インド南部のタミール人の間ではヒンズー教も独特なものになっているのではないかと思われます。それはイスラムの影響が少なかったという面に加えて、ヒンズー教と切り離せない「カースト」の考え方が比較的希薄なのではないかと思われ点です。というのもアーリア人にとっての他民族支配のツールとしてのヒンズー教の側面は、インド南部タミール人社会では必要がないからです。「女性・母」を前面に出すことはヒンズー教の上手な自己変革の結果なのかもしれません。 (一方で、タミール・ナド州のカースト差別は非常に根深いものがあるという話もあります。)
 

ミナクシ寺院(The Meenakshi-Sundareswarar temple)
ホテルの近くで遅い昼食を済ませてミナクシ寺院見学に向かいました。マドライ市の中心に位置するヒンズー教大寺院は「ミナクシ寺院」と呼ばれています。寺院の中心はシヴァ神を祀る「サンダレスワラ寺院」のですが、どういうわけかこの寺院はその妻の別名の「ミナクシ」を採ってミナクシ寺院と呼ばれているのです。旦那の立場がないような気がしますが、ここでのシヴァ神は自分の奥さんの活躍を暖かく見守るような「理解ある夫」みたいな雰囲気がします。そして非常に良くできた長男の「ガネーシャ」はきちんとかしこまっているし、少し「わがまま」で暴れ者の末っ子ムルガンも、ミナクシ母さんの前では大人しくしているといった感じ。インドの人たちの理想家庭像を描いて居るのかもしれません。

インドに来てスリランカと違うなと感じたことは、インドの女性がサリーかパンジャビのどちらかを必ず着ているということ。スリランカではサリー・パンジャビ以外の普通の洋服を着ている女性を結構見かけるのですがインドでは全く 見かけないのです。工事現場で働く女性もサリーを着ています(それしかないのかもしれませんが)。女性はとてもおしゃれで堂々としている感じがします。働き者で 、しっかり物で、それでいて「かっこいい」女性といった雰囲気なのです。私は、これが「パルヴァティ」の理想の姿なのだろうと思います。

「ミナクシ寺院」の言われ
ミナクシ(Meenakshi)はマドライ地方を治めていたマラヤダワージャ王(Malayadwaja Pandya)カンチャナマーラ妃(Kanchanamala)の娘でした。子供 に恵まれず子供を授かることを願っていた王と王妃は儀式(yagna)を行いました。その最終段階で火の中から出現したのが3歳の赤ん坊でした。この赤ん坊は3つの乳房を持っていたのですが、神は少女が彼女の配偶者に会った時に、第3の乳房が消えるだろうと王と王妃に告げたのでした。この赤ん坊は「ミナクシ」と命名され、美しい女性に成長しするとともに勇気ある強いリーダに成長し 周りのいくつかの国を征服したのでした。そしてついにインドラの国をも攻めたのでした。インドラはシヴァ神に保護を求めました。逃れるインドラを追うミナクシがシヴァ神に立ち向かった時に、彼女の3番めの胸が消えたのでした。ミナクシはパルヴァティーの生まれ変わりだったのです。シヴァ神はサンダレスワラ(Sundareswarar)となってマドゥライへ来て、ミナクシと結婚し二人で国を治めたのだということです。 下の3枚の写真はミナクシとシヴァの結婚風景です。真ん中のはにかんでいるような小柄な女性がミナクシ。目は魚のように鋭いです。右がシヴァ神 、左はビシュヌ神です。

この話はミナクシ寺院のパンフレットにも書かれていますが、なぜ「ミナクシ」が「魚の目」をしているのか分かりません。「ミナクシ」とは「Meen(魚)+akshi(目)」という単語なのです。 ミナクシ寺院は、縦258m、横220mの周壁で囲まれています。そして東西南北の入り口に大きなゴープラムがあります。北側ゴープラム周辺が比較的空いていて車を止めることができます。そして北側ゴープラムから入って東側まで歩いて90度移動して東側から入ります。東側ゴープラムを入った所は実はお土産屋さんがびっしりなのです。 お土産屋さんが両側に並んでいる通りに小振りのナンディがいます。 下の写真左が北側のゴープラム、中央がみやげ物店、右がナンディ。

この土産物店の「間」を抜けると、ミナクシ・サンダレスワラのそれぞれの寺院に繋がる参道に出くわします。ミナクシ寺院が東側あってサンダレスワラ寺院が西側に位置しています。サンダレスワラ寺院の周りは立派な回廊が一回りしています。最初の夜はひとりで行ったのですが、夜でも多くの参拝客でごった返していました。「ミナクシ」「サンダレスワラル」の本神殿にはヒンズー教以外の人は入れません。入場券売り場で大分粘ったのですが だめでした。その他の場所は入場料はなし。カメラ持込料はRs30です。ミナクシ本殿の直ぐ手前には大きな池があります。「ゴールデン・ロータス・ポンド」といって、きれいに整備された池です。

下左がミナクシ寺院本殿です。ここは人気がありますが外国人はここから中には入れません。下右サンダレスワラ寺院も外国人禁制。

寺院の周りには参拝客目当ての市場が広がっています。生鮮食料品、生地、仕立て、台所用品等々。人々はミナクシ寺院に参拝に訪れた帰りに生活用品を買って帰るのでしょう。寺を囲んでいる高い壁の周りの道は一方通行になっているのです。参拝後に外に出てみると、夜の神輿の行進が行われていました。多くの参拝客が神輿といっしょに寺院を一周しました。この「神輿」には「ミナクシ像」が祭られているのです。この夜の神輿を見てホテルに帰りました。

 

NEXT  BACK

inserted by FC2 system