タミール・ナドゥ旅行記

ティルチラパッリ(3日目 )

今日は11時30分の飛行機でチェンナイから「ティルチラパッリ 」に移動です。この飛行機は国際線用の出発ロビーから出るという事なので二時間前までにチェックインしなければならないとのこと。空港に行ってみて分かったのですがこの便はチャンナイからのティルチラパッリを経由してクェイトに行く国際便でした。午前中少し時間があるので昨日までざっと車で走ったチェンナイの主なところの写真を撮りに行きました。でも外は土砂降りの雨。持ってきた傘が大いに活躍しました。でも結局撮った写真は飛行機の中でデジカメが故障して全部消えてしまいました。

チェンナイの最後の午前中、最初に行ったのが
「スリパルタサラディ寺院」(Sri Parthasarathy Temple)。パーラヴァ王朝時代に創建されチョーラ王朝時代に再建された寺です。クリシュナを祀る寺です。朝9時ごろ行ったのですが大雨にも関わらず沢山の参拝客が来ていて聖職者の話を熱心に聞いていました。ここはチェンナイローカルの人の寺といった雰囲気でした。

次に行ったのが少し南の海外沿いに立っている
サントメ大聖堂(Santhome Cathedral Basilica)。キリストの12使徒のひとりセント・トーマスが西暦52年にインドのマドラスにやって来て西暦78年にこの地で亡くなったのだそうです。その墓の上に建てられたのがこの教会です。ここは今ちょうど工事中なので教会内部に勝手に入れるのですが、ステンドガラスやマリア像は外されていていました。教会中央に地下に通ずる穴が開いていて、そこが「セントトーマスの墓」に繋がっているのだそうです。

 

最後に立ち寄ったところが、チェンナイ最初の夜に行った「カパーレシュワラ寺院」(Kapaleswarar Temple)。8世紀パーラヴァ王朝時代に創建されたシヴァ神を祀る寺院です。明るいときに見ると少し違って見えました。寺の北側に非常に大きな池があって、ここで沐浴できるようになっています。ここにも多くの参拝客がすでに来ていて雨を避け建物内で朝食を取っていました。

飛行機のチケットですが飛行場に向かう直前に代理店「ドリームサウスホリデイ 」のハリハランさんの事務所まで取りに行きました。彼がティルチラパッリ行きの便と帰りの便のリコンファームをしてくれていたのです。彼のオフィスでチケットを受け取りドライバー、ハリハランさんとチェンナイ空港に向かいました。高速道路はスムーズに走る事ができて約30分で空港到着。昼間 改めて見たチャンナイ空港はとても綺麗でした。この頃になると雨は上がっていました。飛行機は予定通り出発し約50分でティルチラパッリに到着しました。チェンナイ・ティルチラパッリ間は約320Kmなので列車や車でもいけるのですが時間を節約するために飛行機にしました。

ティルチラパッリに到着する直前飛行機が着陸態勢に入ろうとして左旋回した時、窓から大きなゴープラムを見る事ができました。これが有名なスリランガム村にある「ランガナータスワミ寺院」でした。空からでもその威容がはっきり見えました。このとき必死にカメラを取り出してシャッターを押そうとしたのですがそこでカメラが故障。シャッターチャンスを失うとともに、今朝撮った写真が全てダメになってしまいました。ディスクを初期化しないとカメラが作動しないのです。仕方がないので す。気分転換。

上空から見るティルチラパッリの街は非常に綺麗なのです。ビル群などはないですが、家々の敷地が広くて緑が多くてとっても豊かな感じがしました。ティルチラパッリの飛行場は非常に小さいですがここからコロンボにダイレクト便が飛んでいます。ということはスリランカとの往来が多いということです。今日のホテルは空港の近くのロイヤルサザンホテルです。新しくて綺麗なホテルです。実際 にはまだ工事中みたいなところがありました。ティルチ ラパッリの中心街から遠いせいかホテルはガラガラのようでした。下の写真がロイヤルサザンホテルの入り口プール、寝室の様子です。

 

ィルチラパッリはスリランカ特に北部のタミール人とは大変関係が深いのです。地理的に見るとジャフナ半島にもっとも近いインドの中規模都市なのです。ティルチラパッリの文化が海を渡ってジャフナに影響したことは十分考えられます。それに加えて反政府勢力「LTTE 」の指導者ブラバカランの出身地(親の出身地)でもあるのです。スリランカの人口は2000万人。その中でタミール人の人口は3〜4百万人。タミール・ナドのタミール人の人口は6000万人。スリランカの少数民族タミール人が不当な扱いを受けた時、タミール・ナドの人達が黙っては居られないのは人情として分かります。今でもプラバカランの親戚がティルチラパッリ郊外に住んでいるのだそうです。

 

左上の写真が「プラバカラン」で、左がスリランカのジャフナにあるプラバカランの生家です。コロンボのシンハラ人の間ではタミール・ナドの評判は良くないです。シンハラ人の興味はインド北部の仏教遺跡であり、ムンバイ、ニューデリーのようです。チェンナイはスリランカにもっとも近い巨大都市なのに。

ティルチラパッリの空港はとても小くて降りる客が少ないので、ティルチラパッリのドライバーはすぐに私を認めてくれました。彼の名前は「Longanatman(ランガナータン)」といって勿論タミール人。非常に真面目な好青年です。これからティルチラパッリ見学の後、タンジュバールに行き更にマドライまで足を延ばし、再びティルチラパッリに戻って飛行機でコロンボに帰るまでお世話になります。車は「アンバサダー」。デーゼルの1800CC。冷房がついています。このアンバサダーは後部座席はとても広くて乗り心地が良いのですが私は風景を見たいので、殆ど運転席の横に載って過ごしました。正直言ってそこは少し狭かったです。というのも座席は運転手と繋がっている長いシートで前後移動ができないのでした。


ランガナータスワミ寺院(Ranganathaswami Temple)
今日泊まるホテルで少し休憩して、夕方4時頃から早速「ランガナータスワミ」寺院の見学に向かいました。ランガナータスワミ寺院はチルチラパッリの北15Kmくらいの「スリランガム」という村にあります。このスリランガムという村はまさしく寺でもっているのです。ランガナータスワミ寺院はインド最大の寺院です。 ヴィシュヌ派の寺院としては「ティルパッチ」について信仰を集める寺院です。この寺院は7重の周壁に囲まれていてゴープラムの数はなんと「21」。南側の一番外側のゴープラムは高さ72m。1987年に完成され色彩鮮やかです。

車で外から三つの周壁の門を通過し第4番目の南門まで行きました。周壁と周壁のあいだには宿坊があったり庶民の生活があったりします。 周壁は時の権力者によって次第に外に向かって作られていったのだそうです。故郷長野の善光寺に似ているという表現をどこかで見た事がありますが印象的にはそのとおりです。善光寺の場合には南の参道に 山門・仁王門が残っているのですが、ランガナータスワミの場合は周壁が全て残っていることに加え、正式な南向きの参道に加えて、東側にも立派な 門(ゴープラム)をいくつも残しています。

多くの巡礼者達は随分遠くでバスを降りて南側入り口の七番目ゴープラムに向かって歩くことにな ります。このゴープラムは非常に大きく色彩も派手なので、近くに来ると非常に感銘を受けます。そのゴープラムを潜って寺院に入っていくとそこは左右に出店の並んだ参道です。そして第六、第五のゴープラムを抜けて寺に入っていくのです。今日は車で四番目の周壁まで行き、そこの南門(第四ゴープ ラム)近くに駐車しました。ここでカメラ使用料Rs50を支払うのです。四番目の周壁内部はどちらかというとごちゃごちゃしていました。この第四の周壁はとても立派で壁のすぐ外側に椰子の木が植えられていて高い壁とのコントラストが魅力的でした。10ルピー払う4番目と3番目の周壁の間にある建物の屋根の上に登る事ができます。この屋根からの眺めはすばらしいものでした。南側に4つの大きなゴープラムが聳えています。そして北側(内側)には3つのゴープラムと本殿の金色の屋根が見えます。 下の写真が展望台から見た光景です。

ヒンズー教の人間でないと内陣(本殿)には入れないので、この屋根の上に登ることが非常に大切観光ポイントになっています。そして東側に真っ白い建設中のゴープラムと外側のもう一つのゴープラムが見えます。

非ヒンズー教徒はもう一つゴープラム(三番目のゴープラム)を抜けて本殿に近づくことができます。そして二番目のゴープラムのところに厳しい番人の人がいて、ヒンズー教徒以外を締め出すのです。ここから先はヒンズー教徒の聖域なのです。 私は知らずに見物人の行列に並んだのですが暫くして締め出されてしまいました。でも仏教徒のシンハラのスリランカ人とヒンズー教徒のタミール人は見た目では区別が出来ませんから 、ここのチェックはそれほど厳密ではないはずです。しかし日本人の私はヒンズー教徒でないことがはっきりしているので仕方なく本殿の周りを歩くことに しました。この本殿を取り囲む壁は非常に堅固なものです。

 

この本殿の周りにも見るべき物はたくさんありました。石柱に刻まれた見事な彫刻群です。とくに本殿東側の建物のの彫刻は動物を流麗な線で掘り出したもので素晴らしい技の冴えで す。

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