マーマラプラム
(Mamallapuram)

タミール・ナドゥ旅行記(2日目


日目は予定を変更してチェンナイ南部の「マーマラプラム」(Mamallapuram)の世界遺産見学に行きました。車は海(ベンガル湾)に沿って走る有料高速道路(East Coast Road) を快適に跳ばして約1時間で目的地に到着。チェンナイからは70Kmくらいの距離です。マーマラプラムは人口5万人程度の漁村です。ここに7世紀のパーラヴァ (Pallava)王朝時代に海外進出のための港があったのです。 タミール民族は海洋民族といっても良いのかもしれません。タミール人はここからビルマ、マレーシア、タイ等に渡っていって交易したのでした。カンボジアのアンコールワットもヒンズー文化遺跡 ですし、インドネシアのバリ島にもヒンズー文化が残っています。インド南部を拠点にしてヒンズー文化をベースにした「環ベンガル湾文化地帯 」が作り出されて行ったのでした。

出発前にベジタリアンの朝食とノンベジの朝食を少しづつ食べました。

 
 

チェンナイから南に海沿いを走る高速有料道路です。有料なためかガラガラでした。 海岸を走るので周りの風景がとても綺麗でした。

「マーマラプラム」の遺跡郡は世界遺産の登録されています。マーマラプラムの意義は壮大なヒンズー文化の初期(7世紀)の形態を残こしていることなのです。 パーラヴァ王朝のマヘンドラヴァーマン王(Mahendravarman (600-630 A.D.))が先ず最初に幾つかの建物を掘らせたそうです。その息子のナラシムハヴァーマン一世(Narasimhavarman I (630 to 688 A.D.))が多くの構築物を築きました。この王がマハマーラと呼ばれていたことからマハマラプラムの名が付いたのでした。 そしてナラシムハヴァーマン二世(Narasimhavarman II (700 to 728 A.D.))が海岸寺院を建てたのでした。日本では飛鳥時代です。「マーマラプラム」の観光ポイント は広く分散しているのです。下が観光案内図です。



 

Arjuna's Penance (村中心部の岩山に掘られた彫刻群
先ず最初に出迎えかえてくれるのが村の中心部の岩山に彫られた無数の彫刻群です。ヒンズー文化の流れを非常に洗練された技術で表しています。インドの神話に詳しければこの物語がわかるのでしょうが、私にはよく分かりませんでした。なんでも「アルジュナの苦行」という題がついていて古代神話マハーバーラタの話の一場面だそうです。岩の中央付近に上から下にガンジス川が掘られています。 これがヒマラヤのガンガーの神が地上に降りるところを表しています。ガンガーが地上に降りる時のショックは大変なものなので「シヴァ」が支えたのでした。

そしてガンジス川の直ぐ横に大きな岩を両手で掲げ片足で立っている「アルジュナ」です。 「バガバッド・ギータ」は「マはーバーラタ」の中の深遠な哲学書ですが、その中で悩むアルジュナに対してクリシュナが生き方を解きます。ヒンズー哲学の最高峰と言うべき場面なのです。その横ではシヴァ神が見守っています。


岩の割れ目にガンガー姫がいます。
片足を上げているのがアルジュナです。
 


南側から見ています。



北側の象のレリーフは見事です。



Arjuna's Penanceの南側のアルジュナの部屋です。ここにも見事な彫刻があります。

ガイドのラージャンさんが彫刻が表している意味を教えてくれましたが、私には彫刻としての芸術的な価値が非常に大きいと思われました。石に彫られているのに線が非常に柔らかいのです。 非常に洗練されています。余程の技術がないとこのように上手くは掘れません。更にこの岩山の南側に神殿が掘られてい ます(アルジュナの部屋)。その奥の壁にも見事な彫刻が掘り出されています。無数の彫刻の中に「動物」を扱った彫刻が多いのですが、これは「パンチャタントラ」(Panchatantra)という古代インドの物語を題材にしているとのことでした。

Krishna's Butter Ball、その他の彫刻
この彫刻群の西側は小高い丘になっています。少し歩いていくと、「大きな石ころ」が岩山にくっ付いています。何百トンあるか分かりませんが岩山の中腹にポツンと落ちています。ガイドのラージャンさんはインド亜大陸に地震がないことの証拠だと教えてくれました。この石は「Krishna's Butter Ball」とよばれているのだそうです。そしてこれに続く岩山には様々な岩の彫刻が残されています。これらは規模こそ小さいものの洗練された彫刻の技を垣間見る事ができます。
 



クリシュナのバターボール。



石窟寺院(かなりの数です)



ある石窟寺院の壁。
見事な彫刻です。



ガネーシュ寺院


Five Rathas (一つの岩山から掘り出された5つの寺院

「アルジュナの苦行」の彫刻群から少し南に下ったところにある彫刻群です。 一つの岩山から「寺院4棟、牛、ライオン、象」の像を掘り出した彫刻群です。これらの彫刻は砂の下で全て繋がっているのです。 近くのもう一つ寺院が掘り出されていますが、これは別の岩だそうです。5つの寺院が全て精巧に掘り出されていることもすごいです。牛、ライオン、象は非常に洗練された線を持っていることにも驚かされます。土台の石まで掘り 下げて本当にひとつの岩でできているところを見せればもっと感動的ですが。 ここではカメラ使用料Rs30とられました。
 



 



 

 

海岸寺院(The Shore Temple)
海岸のすぐ近くにあるヒンズー寺院です。7世紀前半の建築で南インドの最も古い寺院だそうです。カンチープラムのカイラーサナータ寺院と似ていて、本殿の真上に高い塔型の屋根を持っています。その全体の造形はバランスが良くて、古いヒンズーの洗練された文化水準を想像する事ができます。日本でも同様ですが広隆寺の弥勒菩薩、奈良中宮寺の半跏思惟像の曲線の見事さは他に比べる物がありません。東大寺三月同の天平 仏達は全体としては見事ですがそれぞれの個々には少し硬さを感じます。何処か肩に力が入っているのです。それと同じでヒンズー教初期の洗練された素朴さは見事です。豊かさの証拠かもしれません。 この寺は本当に波打ち際にあり波による侵食の危険があったそうですが、今は寺の周りに波よけの防波堤が作られていて波の浸食からは守られています。しかし、ベンガル湾から吹き寄せる風も相当影響するでしょう。 シヴァ寺院であることを示すように「シヴァリンガ」が安置されています。

 

実はこの日デジタルカメラが故障しました。朝から50枚くらい撮った後何の拍子か作動しなくなり、カメラはカードの初期化を求めてきます。実は前にも一回経験しているのです。こうなると、それまで撮った画像を全て消去して最初から取り直しになるのです。村の中心部の岩山を見学した後にこの事態が発生したので仕方なくすべて消去しました。そして村中心部の岩山にはもう一度戻って大切な部分だけを取り直しました。電気回路の誤動作みたいなのです。オリンパスは媒体はピクチャカードに変更したのですからしっかりと作って欲しい物です。
 
海岸寺院周辺は今急ピッチで整備が進んでいます。昔は寺院の直ぐそばまで波がきていたそうですが、波・風の影響を考えて回りに防波堤が築かれています。駐車場も整備される予定です。 付近一帯が公園として整備されるようです。マーマラブラムの町には多くの石細工の工房があります。そんな中で一軒に立ち寄って小さなシヴァリンガムを買ってきました。


チェンナイでコンピュータ修理

この日の午後にチェンナイに戻ってコンピュータの修理屋さんを探す事にしました。というのも、コンピュータをインドにもって来たの ですが、以前から具合が悪かった本体電源が壊れてしまったのです。これまではコードの差込口を調節して騙し騙し使ってきました。スリランカでは富士通製コンピュータの修理は困難だろうと考えて日本に帰国してから修理しようと思っていたのです。でも今日の朝あっさり本格的に電源部分が外れてしまったのです。幸い100%充電した後だったので 暫くは使えるのですがスリランカに持ち帰ってから日本帰国の機会を待っていてはまでは到底持ちません。
 
電源部分なのでコンピュータが分かっていて、技術があって、部品があれば、それほど時間がかからないだろうと考えました。最悪本体を開けてもらい、外れた電源部分から線でも出してもらって応急処理でもやってもらえればまだましと考えたのです。でも明日は次の訪問地のティルチラパッリに向けて11時30分の飛行機で出発する事になっています。これはチェンナイのコンピュータ産業の実力を試す大きなチャンスとなりました。というのも南インドはコンピュータ産業 、特にソフトウェア産業が盛んなところと聞いていたのでひょっとして直るかもしれないという期待をもっていたのでした。

まずホテルの向かいのコンパックの看板を出したコンピュータショップに行ってみました。しかし残念ながら別な場所に移転した後でした。移転先の連絡先を書いた紙が張ってあったのでそこに電話してみました。携帯の威力です。そのショップの主人は「とにかく持ってきて見せてくれ」というのです。ここは「藁にもすがる」思い。少し離れた彼の新しいオフィスに行きました。店の名前は「Arihant Computers(P) LTD」。前のオフィスより格段に立派になっているのは「腕」の良い証拠かと、ひそかに期待が膨らみました。そこでコンピュータを見せると「直せるかも知れない」という嬉しい回答。 御主人は直ぐに従業員に 富士通製の付属の電源装置一式を持たせて部品屋に向かわせました。マシンに合う部品があれば最高。なければ応急修理として壊れた部品を何とか繋いで固定する。それもできなければ最低、形に拘らずに電源供給できるようにする。という非常に現実的な対応にも好感が持てました。バッテリーだけで使っていては直ぐ使えなくなってしまいます。 これから修理にとりかかり夜8時ごろ電話するというのでコンピュータ・電源類を彼に預けました。料金はノートパソコン修理代基本額 「Rs1200」と部品代だそうです。これが午後4時の話です。

ホテルのピアノレストランで晩御飯を食べていると、夜8時に携帯に電話がかかって来ました。見事修理完了それもベストの修理です。ホテルからタクシーを飛ばしてコンピュータを取りに行きました。これまで苦労してきたコンピュータの電源部の問題が解消しました。料金はRs1200と部品代Rs400でした。そもそも会社のIBM機(98)の電源部 はしっかりしていて 絶好調なのに富士通のBIBLO(XP)は電源部が脆弱な気がします。こういうところはしっかり作って欲しいものです。コンピュータ電源部修理が完了して、デジカメケーブルも揃ったので写真がどんどん取れます。デジカメが故障しなければ。 下はチェンナイ市内の様子とお世話になった修理屋さんです。

 

ところで今回のテェンナイの旅のドライバーは「サシクマさん」、ガイドは「ラージャン」さんです。お二人ともチャンナイ出身。二人 の会話はタミール語です。タミール語は分かりませんがスリランカのジャフナでたっぷり聞いているのでそれほど違和感はありません。非常にやわらかい響きで穏やかさを感じさせてくれます。「こんにちは」という単語の「ワナカム」だけ使いました。ラージャンさんは少し年を取っていますが、タミール紳士といったの感じの方です。 毎朝集合時間の30分前にはちゃんと来ていてなにやら準備しています。

ラージャンさんインド政府のライセンスを持つ「英語」と「フランス語」のガイドです。2日目のママラプラムの海岸神殿では、フランス人の観光客が居て何やら話していました。ラージャンさんは私の色々な質問に殆ど的確に答えてくれました。ヒンズー教の宗教用語や建築用語をフランス語と英語で解説することは非常に大変だろうと思います。彼は自分の名前を「タミール文字」と「サンスクリット文字」で書いてくれました。「サンスクリット」はタミール、スリランカのシンハラの原型になっている言語です。ヒンズー教寺院で聞く僧の言葉は全てサンスクリットなのだそうです。

ラージャンさんからは、インドとスリランカとの政治的な繋がりとか関係についても話を聞くことができました。タミール人側(スリランカはシンハラ人が多数を占めている)から見るスリランカ観はまた面白いです。コロンボでDr.シーバラトナムから聞いた話と全く同じでした。

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