Anuradhapura(アヌラダプーラ)紀行
2002年 2月2日〜2月4日
「アヌラダプーラ」は歴史上スリランカの最初の都が置かれた都市とされています。紀元前 6世紀北インド 王の一族が祖国から追放されて船で南方の漕ぎ出し、スリランカの中部の西海岸「プッタラム」辺りに上陸したのだそうです。そして現地部族の娘と結婚してスリランカの王朝を開いたとされています。これがスリランカ王朝の最初の王「ビジャヤ王 」でした。そして紀元前5世紀の終わり頃6代目の王「パンドゥバーヤ王」の時代にスリランカ内陸のアヌラダプーラに首都が建設されました。 スリランカの西海岸は南インドに近いため、北インド系王朝のスリランカへは南インドから度々侵略されたのでした。 その後もアヌラダプーラ王朝はたびたび南インドからの進入に晒されました。そうした戦いの中で「ドゥトゥゲマーヌ王(BC161−137)」「マハセーナ 王(AD276−303)」といったスリランカの英雄的な王が現れます。北インド系王朝と南インド民族との対立という構図は、インドにおける政治構図をそのまま持ち込んでいる ものです。北インドの人々はアーリア人で南インド系がドラビダ人とされます。しかしスリランカの多数を占めるシンハラ人(一応北インド系と言われますが)と南インド系民族に大きな違いがあるとは思えません。 紀元11世紀になるとインド南部のタミールナド州を強大なチョーラ王朝が平定します。当然タミールナド州の東沖合いにあるスリランカにも「チョーラ王朝」の兵が押し寄せることにあります。当時のアヌラダプーラ王朝の「ビジャヤバフ一世」は都を「アヌラダプーラ」から南東方面の「ポリナルーワ」に都を移して「チョーラ王朝」と戦いました。その後都は更に南の「キャンディ」に移されることになります。 スリランカの仏教の歴史は、大和朝廷と「仏教伝来」 、仏教を中心にした鎮護国家の建設という日本の歴史と非常に似ています。アルナダプーラの国立博物館に展示されている仏像は、いくつかの日本の仏像を彷彿とさせるものがあります。元々スリランカ王朝が北インド系なので仏教を保護したアショーカ王等と関係が深いのです。アショーカ王がほぼ全インドを統一した頃の紀元前3世紀に仏教がスリランカにもたらされました。その仏教はスリランカ国内に急速に広まり、スリランカ王朝は仏教を国を治める中心に置くこととなりました。 アヌラダプーラを三角形の一つの頂点として、スリランカ東部にある二番目の首都「ポロナルーワ」、スリランカ中央高地南部にある三番目の首都の「キャンデイ」を結んだ三角形の地域が「カルチュラル ・トライアングル(Cultural Triangle)」です。この大三角形の中、その頂点にある三つの古い首都に加えてダンブーラ、シギリヤといった世界文化遺産に指定されている 仏教遺跡が点在しているのです。 「アヌラダプーラ」はコロンボの北東約210Kmのところにあります。アヌラダプーラより少し先はLTTE(反政府勢力)支配地域であり、同一国内ですが厳しい政府・反政府組織の検問所があり簡単に行くことができません。アヌラダプーラ はスリカンカ政府陸軍の駐屯地があって前線基地となっていて町の警戒はとても厳しく町に入り口に物々しい検問所があります。 今回の旅行(2002年2月2日)は、コロンボにある日系企業「F社」のMさんの写真撮影旅行に急遽便乗させてもらったものです。Mさんが 丁度道ずれを探しているという情報を聞いたので旅に同道させてもらったのです。従って使った車はMさんのトヨタのランドクルーザ。日本で初回車検を済ませて直ぐにスリランカに 運んだというのもでまだ新車の雰囲気です。リアガラスに倉敷市水島の車庫証明書が添付されています。スリランカの長旅にはセダンよりこうした大きめ車の方が快適のようです。
コロンボからアヌラダプーラへは通常使われるダンブッラを経由する内陸の道を選ばずに、国際空港に向かうネゴンボ道路を通ってプッタラムから内陸に入っていくコースを取りました。「コロンボ−プッタラム」間は約140Kmですが快調に飛ばして約3時間で到着しました。この道は空港を過ぎると車の数はぐんと減って、しかも内陸部と違って平坦で舗装状態も良いので結構スピードが出せるのです。海岸の町プッタラムから内陸のアヌラダプーラまで道は一応舗装
はされている
のですが、道をキチンと「平」にしてから舗装したのではなく、単にでこぼこ道をタールで仕上げただけなので車の揺れは相当なものでした。この区間の距離は70Kmくらいですが2時間以上かかりました。 |
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ミヒンターレ寺院入口の階段
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「デヴァナンピヤティッサ王」の時代(BC247−207)に仏教がインドからもたらされました。北インドの有名な 「アショーカ王の息子マヒンダ王子」が伝えたものです。デヴァナンピヤティッサ王が山に鹿狩りに行ったときに鹿に導かれて、インドから渡ってきたマヒンダ王子に出会い、マヒンダ王子と話をする中で、直ぐに仏教の教えに帰依したのだそうです。 その場所がアルナダプーラの少し東側の険しい岩山です。そこはマヒンダ王子の名前から「ミヒンターレ」と名 付けられ、現在は寺院となっています。この寺院を見学するには、まず苦労して長い階段を登らなければなりません。 その後仏教はスリランカの国を治める宗教となりました。スリランカ国王の権威を示す宝がインドからもたらされた「仏歯」(The Tooth Relic) です。仏陀の教えが「生成」された仏陀の口の中にあった「歯」として、とても尊いものとされています。仏歯を納めるために「仏歯寺」が立てられました。そして王国の首都が移されると「仏歯寺」もまた移設されました。現在の仏歯は最後の王朝があった「キャンディ」にあります。
(追記)この「仏歯」はインド東部オリッサ州のプリの「ジャガンナート寺院」から奪われたとの言い伝えがあります。ジャガンナート寺院は嘗て仏教寺院であったとの説もあります。またオリッサ州には多くの仏教遺跡が残されています。オリッサ州には嘗て「カリンガ王朝」が栄えていました。インド北部の「アショーカ王」はカリンガ朝との戦いにおける「戦争の悲惨さ」から仏教に帰依することとなりました。オリッサはインド洋に面した港町なので海で出ればスリランカは遠くありません。 |
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昼ご飯はこの日の宿である「パームガーデンビレッジホテル」で 頂きました。このホテルはプッタラムからアヌラダプーラに抜ける道沿いでアヌラダプーラの少し手前に立地しています。 広い林の中にコッテージが点在していて、ホテルの一番奥の池には時々象も現れるという自然の中のホテルです。
スリランカのホテルは外国人でも「スリランカレジデンスビザ」を持っていると、外国からの観光客の半分くらいの値段で泊まれます。ここは晩御飯・朝食付きで「Rs3750」です。長旅の疲れをビールで癒して太陽の高い暑い時間帯を避けて、午後3時からアヌラダプーラ観光に向かうことにしました。 |
恋人達の像 |
イスルムニーヤ寺院(Isurumuniya) 南からアヌラダプーラの街に入っていくと、林の中に大きな岩山があったり、道の両側の林の中に石柱が建っていて昔の 遺跡であることを示している光景にぶつかります。アヌラダプーラには荒廃した遺跡が沢山点在しています。アヌラダプーラでの最初の訪問地は「イスルムニーヤ寺院」です。少々の遺跡には目もくれず「イスルムニーヤ寺院」に向かいました。 「イスルムニーヤ寺院」はBC3世紀ごろ創建された寺ですが現在でも現役の寺院です。結構遠くから参道が 繋がっていて、正門の手前には二つの大きな池があります。靴を門の受付に預けて裸足になって門を入ります。寺の境内は全て裸足で見学しなければなりません。正面に岩山を上手に使った古い寺院があります。その古い寺院の左側に仏陀像を収めた新しい建物がります。 ここの博物館には古代の石造りの仏像が展示されています。寺の方は現役なので新しい仏像が安置されています。スリランカでは寺院を参拝するときは、短パンとかノースリーブなどの肌を露出は禁止。また寺院の敷地に入るときは必ず靴を脱ぎます。今回Mさんの忠告に従って捨てても良いような靴下を履いていって、その靴下のまま入場することにしました。このおかげで日中の焼けた石畳の上でも平気で歩き回ることができました。 |
Cultural Triangle Ticket |
アヌラダプーラ国立博物館 アヌラダプーラの国立博物館入り口で「Cultural Triangle Ticket」を買いました。これはアヌラダプーラ・ポロナルーワ・キャンディ等の主要な遺跡・寺院の拝観券がセットになっているのもので、外国人観光客用でUS$32.2(Rs2990)でした。ガイドブックでは有効期間60日と 紹介されていましたが、実際のチケットには有効期間14日と記載されています。 それでも「アヌラダプーラ」と「シギリヤ」で別々に入場券を買うとそれぞれUS$15するので、観光地をしっかり回ろうと考える外国人にはお徳です。なお、ダンブッラ石窟寺院はこの「トライアングルチケット」に含まれませんし、滞在ビザ所有者も割引にはなりません。 アヌラダプーラの国立博物館には、このアヌラダプーラ地域で発掘された大理石で作られた古い仏像が数多く展示されています。石造なので細かい細工までは不可能なのですが、全体のバランスが良く体の線がとても柔らかくいのです。古い仏像ほどすばらしいものがあるというのは日本の仏像でも言えることです。昔の人の技術と信仰の篤さに驚きます。 |
聖菩提樹の木への入り口。 |
博物館見学の後いよいろアヌラダプーラ遺跡の中心にある「The Sacred Bodhi Tree」「聖菩提樹」見学です。インドから仏教をもたらした「マヒンダ王子」の妹「サンガミッタ」が、インドのブッダガヤ にある仏陀がその下に座って瞑想して悟りを開いたとされる菩提樹の苗木を持ち込んだものだそうです。 スリランカではこの木から多くの苗木をつくり、全国に菩提樹を広げました。全国いたるところで菩提樹の木を見る事ができます。ここの警備は大変厳重なもので車では近づくことはできず、車を遠くの駐車場に置いて約30分くらい歩かなければなりません。嘗て反政府組織のLTTEが爆弾を積んだトラックを暴走させたテロ事件があったからです。「聖菩提樹」の近くまで歩いてくると検問所があるのですが、この検問はコロンボの空港より厳しいもので手荷物の中まで検査されました。 「聖菩提樹」自体は何のへんてつもない菩提樹で特に大きいとか変わっているとかはありません。この「聖木」の葉を拾い、ちょうど受験を迎えた長女に「お守り」としてメールで写真を送りました。この「お守り」の効き目は大したもので娘は受験した高校すべてに合格しました。 「聖木」に向かう長い参道の両側には朽ち果てた寺院跡が点在しています。ここは確かにスリランカの仏教のひとつの中心で、嘗ては多くの寺院があり、修行僧や参拝客で賑わっ たのでしょう。今でも多くのスリランカ仏教徒が足を運びます。(追伸)その後インドに勤務する機会に恵まれ、ブッダガヤの本家の聖菩提樹を見る機会を得ました。こちらは「インド」に関する雉として整理されています。 |
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ルワンヴェリサヤ・ダーガバ 聖菩提樹寺院から北に伸びる参道の中央付近に「Ruvanvelisaye Dagaba」があります。これは「ドゥトゥゲマーヌ王(BC161−137Dutugemanu王 )」が作ったもので、白い大きな「Dagaba」(高さ55m)が遠くから目を引きます。この「Dagaba」の周りは象が肩を並べて立っているよいう細工を施した塀が連なっています。残念なことに、「聖木」に行くだけで疲れてしまいこの「Dagaba」は通り過ぎるだけに終わりました。 この「聖木」のある地域から南北に主要な遺跡が点在しています。「聖木」から少し北に行くと古い土塁が林の中を連なっている光景を目にします。この内側が「Palace」ですが、今は鬱蒼とした林(ジャングル)の中に柱や石の土台が点在するだけです。調査が進んでいる様子はありません。きちんと発掘すれば何が出てくるかわかりません。 |
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Moon Stone Site 聖菩提樹寺院遺跡群の最も北側の部分に有名な「Moon Stone Site」があります。ここは数棟の建物の土台と柱をきちんと残っていて、昔の寺院の様子を想像することができます。 「Moon Stone」というのは寺院の入り口階段の上り口に敷かれた「半月」状の石板です。階段の両側にはガードストーンが置かれています。このムーンストーンとガードストーン に様々な彫刻が施されています。ここの「Moon Stone」は大変古く、かつ非常に造形が美して有名なのです。 アヌラダプーラには沢山の寺院があるため、スリランカ修行僧が沢山いらっしゃいます。 |
サマディブッダ |
サマディ・ブッダ 有名な「The Samadhi Buddha」です。この仏像は西暦3世紀ごろ作られたものでスリランカでも最も美しい仏陀像のひとつ とされています。「Samadhi」とは深い瞑想の状態にあることです。仏陀は悟りを開いた後に深い瞑想に入りました。非常に素朴な作りですが堂々とし た仏像です。素材は大理石。後から作られた被いが雨を避けています。 |
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この北側地区に「Abhayagiri Dagaba」という大きなDagabaがあります。これは紀元前1世紀に建てられたもので創建当時は100mの高さがあったそうですが今は70mの高さです。このDagabaはレンガで造られていた ということですが、長い年月で風化して土の山のようになっています。新しいレンガで修復中です。塔の周囲は大きな石の石畳で整備されています。この石畳はところどころ修復されていますが多くの石が2000年以上も参拝客を見守ってきているのです。 アヌラダプーラは車で駆け足で回って「3時間」要しました。ひとつひとつじっくり見ていたら何日も必要になります。一日かけて自転車で回るのがいいと思いますが日本の観光地のように食堂があるわけでもなく、トイレが完備されていることもありませんので大変かもしれません。 昔の遺跡が「観光地化されず」にそのまま残っている のですが、見学する側にもそれなりに準備を必要とします。便利に観光地化され観光客を集めるのが良いのか、このままそっとしておくのが良いのか難しいところです。仏教発祥の地インドにおいて はヒンズー教が支配的になっていることを考えると、かなり早い時期に伝来した初期仏教の遺跡が残っているという点では非常に貴重な遺跡だと思います。是非もう一度行ってじっくり見たいと思っています。 |