スリランカの風景

スリランカでの暮らしの中で出会った印象深い風景・事柄を写真付で紹介しています。


  



 

小説「キラーリ・クロッシング」 ・スリランカ内戦資料

スリランカに滞在していた時に知遇を得た国際赤十字社の 「キングスレイ・シーバラトナム博士」に紹介して頂いた小説「キラーリ・クロッシング」です。この小説の作者はシーバラトナム博士の友人の「C.スリヤクマラン教授 」です。お二人ともスリランカ北端の町「ジャフナ」が故郷ですが今は首都のコロンボに住んでいるタミール人です。

この小説はスリランカ内戦(民族紛争)の悲惨さを紹介するとともに、スリランカタミール人の故郷のスリランカ最北端の街「ジャフナ」の美しさを詠っています。国連勤務の後にイギリスのロンドン大学の客員教授となったスリヤクマラン氏は、スリランカ内戦に関して多くの発言をしています。その発言をまとめた本が 「スリランカ民族危機(写真右)」です。小説「キラーリ・クロッシング」の題材となっている事象も多く紹介されています。スリヤクマラン教授はイギリス留学、イギリス在勤時代を通してイギリス文学、 そして「英国詩」に深く親しまれたようで、小説には数多くの「詩」の断片が散りばめられています。

上の写真はシーバラトナム博士の家で寛ぐスリヤクマラン教授と奥様です。2003年11月2日に私も招待された夕食でのひと時の写真です。この時教授から「キラー・クロッシング」の日本語訳のお許しを得、それ以来ずっと翻訳作業を続けてきました。残念ながら教授は翌年2004年6月に亡くなられました。

私は「ジャフナ」にを2回訪問しました。2002年に和平の機運が盛り上がり、スリランカ南部の首都コロンボからA9国道を通ってジャフナに陸路で旅行することが可能となったからです。最初の訪問は ジャフナ電話局復旧セレモニーで行ったのでした。首都コロンボからの電話会社の同僚達との旅なので基本的には「シンハラ人」サイドの視点からジャフナを見ました。 二回目の旅はタミール人のシーバラトナム博士といっしょに行ったものでした。この時にはジャフナの博士の友人達に会いました。その旅は一回目とは逆にタミール人サイド の視点からジャフナを見る旅となりました。この2回のジャフナ旅行は小説を翻訳する上で非常に役立ちました。

その翻訳作業も漸く終了しました。故スリヤクマラン教授の英国詩に関する博学には苦労しました。インターネットが無かったら糸口も見つからなかったでしょう。 小説の中では、唐の柳宗元、ペルシャのウマル・ハイヤーム、ダンテ、イギリスではP.B.シェリー、ワーズワースが引用されています。教授は特にシェリーが好きだったようで、「おじぎ草」「雲雀に寄せて」「月」「ヘラス」 の断片が小説に登場しています。このように教授の勉学の跡を表面だけでも辿る作業は非常に興味深いものでした。
 





 

スリランカ勤務時代の職場

スリランカの電話会社に勤務していた時の職場「スリランカテレコム財務部門」です。 財務部門フロアにある大きな会議室が荒廃していたままになっていたので、そこを利用して私の居室を作ってもらって一緒に働くことにしたのでした。 壁を取り払ってガラスの仕切りにしたので、毎日部屋の前を通る職員達と顔を合わせることとなり多くの社員とコミュニケーションを交わすことができました。

いわゆる「職場改善運動」みたいなことを提案したところ、或る日社員代表が模様替えをしたいから許可してくれと提言してくれました。勿論OKを出したところ職場内で 「模様替えチーム」が立ち上がり、色々工夫して見事に模様替えが実現したのでした。それが上の写真です上が模様替前・下が模様替後です。私が引っ越してきた当初は、 広い財務部門フロア全体が薄暗く迷路のようなっていました。奥の出口までの通路はまさしく迷路になっていて各担当部門の区分も明確ではなかったのです。模様替え後 はフロアの中央に大きな通路を一本通して、両サイドに整然と担当別に分けて整然とした職場ができあがりました。この財務部門社員とは一緒に運動会をしたり様々な活動を共にしました。自分勝手な思い入れかもしれませんが、かなり深い繋がりができたと考えています。
 


   

ジャフナのパルマイラ・アラック

「The Palmyra Development Board」の「Thikkam(ティッカム)醸造所」で製造された という「パルマイラ・アラック」です。ティッカムはスリランカ北部ジャフナ市のポイント・ペドロ近くにある街だそうです。南部の首都コロンボで も「ココナッツアラック」は 良く飲まれる酒で、多くの種類のアラックが売っていますが「パルマイラ椰子」からつくるアラックは目にすることはありません。電話局復旧セレモニーでジャフナに行った時 に、酒好きのジャフナ電話局の方(タミール人)がどころから入手してきて復旧した電話局の屋上で酒盛りをしたのでした。ジャフナ市内の酒屋さんでは表には並んでい ないのですが、現地の人に一緒に行って貰って買い求めると酒屋の人が奥から取り出してきてくれました。貴重なスリランカアラックです。下のロザリアン修道院の「ワイン 」と並んでジャフナ名物のひとつです。
 


 

  

ロゼワイン       レッドワイン       Nelli Crush
 

ジャフナのロザリアン修道院(Rosarian Convent)のワイン

スリランカ北部のジャフナ市のメインストリートに「ロザリアン修道院」があります。敷地を高い塀が囲んでいるだけなので見逃してしまいそうです。 かろうじて看板が見えます。この修道院はかつてジャフナ半島北東部の「トラガティ(Tholagatty)」にあったのですが民族紛争の被害を避けるためにジャフナ市内に移ってき ました。

この修道院は自ら生産・販売する「ワイン」等でスリランカ全土に知られています。 コロンボにおいても「ジャフナに行くならロザリアン修道院のワインとネッリクラッシュが名物だ」と噂をきいていました。私はスリランカ滞在中に二回ジャフナを旅行 する機会がありましたが、その時にロザリアン修道院の「ワイン」と「ネッリクラッシュ」を購入してしてその味を味わうことが出来ました。他の酒屋店に売っているのかどうか分かりませんが私はロザリアン修道院に直接行って買っ たのでした。修道院の高い塀の中に入ると中庭に「ショップ」があり沢山の「ワイン」やら「ジュース類」が売られています。

ボトルの写真は左から「ロゼワイン」、「赤ワイン」、「ネッリクラッシュ」です。ボトルは何回も再利用しているようでかなり古いものです。ボトルのラベルも昔から使っている版木をそのまま使っているようです。ワインはアルコール度数は低いですがブドウの味がたっぷりしていてなかなか美味しい ものでした。修道院が自分のブドウ畑でとれる葡萄だけでつくっているので大量生産ではありません。

「ネッリクラッシュ(Nelli Crush)」は暑いスリランカでは非常に珍重される飲み物です。「ネッリ」の実から作ったジュースで、原液を水で10倍くらいに水で薄めて冷やして飲みます。ロザリアン修道院の「ネッリクラッシュ」はスリランカ全土でも非常に有名なものです。 私は「ネッリ」の木そのものを知りませんでしたが、ジャフナ市内で実をつけている所を見ることができました。ネッリの「実」の写真は「ジャフナの思い出」にありますのでご覧ください。

ジャフナにはこのようにスリランカ全土で珍重される特産物が沢山あります。南に住むシンハラ民族の人々の多くは豊かなジャフナへ憧れを持っています。民族紛争が一刻も早く終結して南北の往来が復活し、南の人々もこうした、プリマイラ・アラックやの ロザリアン修道院のワイン・ネッリクラッシュを存分に楽しめる時代が来ることを期待しています。
 


 SOSLクリスマスコンサート (2003.12.12)

スリランカ交響楽団(SOSL)のクリスマスコンサートで「バンバラピティヤ修道院合唱団(女声)」と「ペテライト合唱団(男声)」と合同演奏をしました。合唱団 は非常に良く声が」出ていて、歌う時の表情もとても素敵でした。今回のコンサートはコーラスが主役いう感じでした。演奏会終了後の恒例のディナーにも参加 させて頂きました。ディナーが済んでからピアノのある大広間に移して食後の談笑です。そこではステージで歌った歌も含めて延々と「歌合戦」が続きました。スリランカ交響楽団メンバーは楽器が 無いので聴衆 となりました。スリランカでは楽器は高価ですからお金持ちでない家の音楽の好きな子供達はまず「合唱団」にはいるのだと思います。合唱団は重要な音楽教育の場となっていると思いました。

今日のクリスマスコンサートなので女性奏者は色とりどりの服装で出演しました。演奏会場にデジカメを持ち込んで 曲と曲の合間に撮影しました。奇麗な色の「サリー」を着ている 演奏者が多かったです。男性はネクタイだけ色とりどりでした。楽しいコンサートになりました。クリスマスは日本では冬ですがコロンボではかなり暑く 、コンサートは汗だくになります。
 


 

ナーガディーパ島

スリランカ最北端の街ジャフナ南部(フォート付近)から3つの島(マンダティヴ島、カイト島、プンクドゥティヴ島)を 通り抜け、プンクドゥティヴ島のカリカドゥワンの岸壁から「渡し船」に乗って15分海峡を渡ったところに「ナーガディーパ島」(Nagadipa)があります。この島はスリランカの首都コロンボからかなり遠いのですが、スリランカ全土で知られている島なのです。

ナーガディーパ等の「渡し舟」発着所近くには立派なヒンズー寺院があります。その寺院は「ナーガ・プーシャニ・アンバル寺院(Naga Pooshani Ambal)」と言い、祀られている神は「アンバル」(パルヴァティ) で す。「アンバル神」は「シヴァ神」の奥様で、ガネーシャ、スカンダの母親です。この母親として「アンバル」はヒンズー教徒の間で人気のある「神様」です。ドルガ、カシのような力強い神様の象徴でもあり、アンバル・パルバティといった優しい母親のイメージも持っています。シバ、ビシュヌといった強さの象徴の神様に対して非常に優しいイメージがあります。二番目の写真のように美しい人が多いように思えます。

「ナーガ・プーシャニ・アンバル寺院」から西に少し行ったところに「ナーガ・ディーパ仏教寺院」があります。その場所はインドで生まれ過ごした「仏陀」が訪れた場所だという言い伝えがあるのです。仏陀は生涯で3回スリランカを訪れたという言い伝えがあります。一回目はスリランカ南部の山岳地帯のウバにある「マヒヤンガナ村、二回目はこの「ナーガ・ディーパ島」、三回目は首都コロンボ近郊の「ケラニヤ」です。その二回目の仏陀の訪問地跡に建てられた人が「ナーガ・ディーパ仏教寺院」です。

この島はジャフナ市街からも遠く、ましてや南部の首都コロンボから巡礼するのは大変です。私とナーガ・ ディーパ島を訪問する機会を得たドライバー氏(もちろん仏教徒)は仏陀訪問地を巡礼できて大感激でした。
 


カシューナッツ」

果肉の先に「勾玉」みたいな形をした種がついています。上の緑色の果肉はこれから黄色や赤に変わり甘くてとても美味しくなるのだそうです。 この果肉は「種」を持っていないので「偽果」と呼ばれるのだそうです。種は自然と落ちたところを皮をむいて乾燥させ、炒ったりして食べます。「果実 」も美味しく「種」も美味しい「カシューナッツ」です。

スリランカの人達は「カジュー 」と呼んでいます。これはポルトガル語の影響のようです。英語ではプルトガル語から入った「カジュー」が「Cashew」にかわったようです。スリランカの平均的な人々は自分の家の庭に「カジュー、バナナ、パパイヤ 、ジャック、マンゴー」等の木を植え、季節になると食べられる果実を楽しんでいます。本当に自然が豊かです。
 




象の孤児院(Elephant Orphanage)

スリランカの首都コロンボから古都キャンディへ行く道の途中の「ピナワラ(Pinnawara)」に 「象の孤児院」があります 。キャンディ観光の一環で観光客も良く立ち寄る観光地のひとつとなっています。ここでは身寄りの無くなった「赤ちゃん象」を保護して育てています。「赤ちゃん象」が親から離れてしまう理由には幾つかあります。親が密猟で殺されてしまい「赤ちゃん象」だけが残されてしまう場合とか、「赤ちゃん象」が穴や井戸に落ちてしまって出られなくなってしまう場合があるようです。

ここにやってくる「赤ちゃん象」は怪我をしていたり、ショックで「心」に傷を負っていたりしてしていることが多いようですが、この孤児院で暮らす親切な年上の仲間の象や職員の世話でだんだん元気になっていくようです。赤ちゃん象は1日に21リットルの特性ミルクを与えられ育っていきます。

食事の後の「象」達の楽しみは毎日2回 (10時から12時、2時から4時)一回2時間の水浴びです。水浴びの場所は「孤児院」から少し離れた「マハオヤ川(Maha Oya)」です。水浴び場所までは「孤児院」のゲートを出て土産物が両側に並ぶ一般道を抜けて川に下りていきます。水浴びの時間になるとそれを知らせるサイレンが鳴り、車は通行禁止となり、歩行者は左右に道を開けて象を見送ることにあります。待ちに待った水浴びのせいか象達は意外と静かに行進していきます。小さな「赤ちゃん象」の場合に大きな年上の象が近くに寄り添います。大人の像は群れ全体に気を配っているようです。
 







カタラガマ神殿(Kataragama)

スリランカ南部にヒンズー教の聖地の「カタラガマ 」があります。コロンボからはかなりのスピードで走っても車で6時間以上かかります。カタラガマに行き着くまでにはジャングルを走ったり、渓谷を走ったりかなり苦労する道程でした。「有名な巡礼地」は得てして非常な僻地にあるもののようです。

1番上の写真はカタラガマの「神聖な区域」の中を通っている「Menik Ganga」の上を超えている狭い橋です。カタラガマの「神聖な区域」は非常に厳しく 管理されていて車両の通行も禁止されています。ここからは車を降りて歩かなければなりません。真ん中の写真は「カタラガマ神殿入り口 」のゲートです。カタラガマは元々は土着の神「Kataragama  Deviyo」を祀っていた場所が、ヒンズー神の「シヴァ」の次男 (末っ子)「ムルガン」信仰と合体したようです。ムルガンはガネーシャ(象の姿をした神でシバの長男)の弟です。長男のガネーシャが「知恵・富」の象徴 で非常に優等生的な神様であることと対照的に、次男で末っ子の「ムルガン」は「力が強く力・獰猛で・我侭」といった雰囲気を持っ た神様です。カタラガマでプージャをして願い事をすると「悪事でも何でも適う」という言い伝えられています。「末っ子神様」の強さがあると思います。 1番下の写真は本殿の最も神聖な場所で祈祷が行われています。

カタラガマは元はヒンドゥー教の聖地ですが今では仏教寺院も建っています。スリランカ仏教の「シブトイ」ところでヒンズー教の聖地には大体仏教寺院も建てています。多神教のヒンズー教・仏教はもともと兄弟のようなものですから。「神聖な区域」は山の中にあることを忘れるほど平地で神聖な感じがします。そこには巡礼者用の簡易宿泊施設が沢山あります。ここはヒンズー教徒もイスラム教徒も仏教徒も多く訪れる聖地となっています。
 


トランペットトゥリー

花の形がトランペットみたいなのでこの名前がついた ようですが、木の名前は「パウダルコ」というのだそうです。花の形は朝顔の花に似ていて木自体はかなり背の高い大木になります。ピンク色の花は遠くから見るとハナミズキに似ています。コロンボ コンドミニアム近くの並木に植えられていて花が咲くと見事ですし、量が半端でない「散った花」も見事です。

ブーゲンビリヤ

住んでいるコンドミニアムが殺風景なのでブーゲンビリアを買ってきて育てています。一時期元気が無かったブーゲンビリヤが再び花をつけました。ピンクというよりは紫に近いのです。元気はいいのですが枝が茂って しまってかっこ悪く剪定が必要です。ブーゲンビリアはコロンボで非常に良く見かける花です。

火炎樹(Flame Tree)

コロンボ・ベイラ湖畔の「Flame Tree」です。文字通り「火炎樹」ですね。「May Tree」とも呼ばれているだけあって「春」になると派手な色の花をつけます。この花を見るとその「 色の強烈さ、元気さ」に圧倒されます。日本では出会うことの無い強烈な個性だと思います。

ゴールデンシャワー

インド原産のゴールデンシャワーという花です。タイの「国花」になっているだそうです。「ぶどう」みたいな花の塊が首飾りか何かの装飾品みたいに見えてとても 優雅です。
 

活躍する日本のバス

コロンボで勤務している会社の裏道は昼間の間バスの停車場所になります。今日は横浜市営バス3台、西武バス1台の日本製バスが停車していました。横浜市営バスは学生時代にお世話になったバスなので感慨深いものがあります。こちらのバスはドアが無いバスがほとんど。車掌さん(男性)がそこから身を乗り出して行き先を大声で案内しますし、乗客は降りたい場所近くでバスがスピードを落とすと勝手に降ります。
 

茶摘風景

ヌワラエリヤ近郊の茶摘風景です。頭から背中に袋をぶら下げて積んだお茶をそこに入れて運びます。実は多くの茶摘の人たちはインドから渡ってきたタミール人労働者・およびその子孫なのです。スリランカの「ゴム・お茶」のプランテーションには、合わせて100万人くらいのタミール人の方がインドから移民してきたのです。この人たちに最近になってスリランカ国籍が与えられたのでした。

コロンボ・ペタ地区のモスク「Jami Ul-Alfar Mosque」
首都コロンボのビジネス街ペタ地区にある「モスク」です。コロンボではキリスト教会、仏教寺院、ヒンズー教寺院に加えて、イスラム教のモスクも幾つか見ることができます 。イスラム教徒の比率は高くは在りませんが人口増加率は大きいようです。このモスクはとてもカラフルなので目を引きます。

夏目漱石が立ち寄った(?)とされるレストラン

コロンボのフォート地区にある「British Indian Hotel」です。夏目漱石がイギリスに行く途中で、乗船していた船がコロンボに入港し たついでにコロンボに上陸してカレーを食べた場所だと言われています。それは1900年10月1日のことです。スリランカでは居酒屋のことを「ホテル」と言っています。もっともその当時は別の場所にあったみたいですが。

PADIのライセンス

2003年2月に終了したSCUBAダイビング講習のライセンス証が漸く手に入りました。スリランカ南部「ヒッカドゥア」の「アンダウォータ ・サファリ」で実地講習終了後、発行されたコロンボの事務所に留め置かれていました。今日コロンボ事務所に行って聞いてみたら、「住所はわかるのだけど、電話番号がわからないのでほっておいた」 ということでした。この程度のことはまあ余分な費用なしに入手できて良しとすべきでしょう。 この「アンダーウォータ・サファリ」という会社は有名作家の「アーサー・C・クラークさん」の経営なのです。
 

夜明けの「キャンディ仏歯寺」

スリランカ中部の古都「キャンディ」にある「仏歯寺」です。仏教国のスリランカではインドからもたらされた「仏歯」が王朝権威の象徴でした。したがって遷都に 伴って「仏歯寺」も移設されました。キャンディにはスリランカ王朝最後の「仏歯寺」があります。これはキャンディに泊まった時の早朝に撮影したものです。仏歯寺の明かりが湖面に映っていてとてもきれいでした。山に漂う霧が幻想的なムードを漂わせています。ライトアップされた黄金の屋根の下に仏歯を収めています。

Elephant Pass(エレファント・パス)

ジャフナ半島とスリランカ本土を結ぶ狭い「エレファントパス」です。両側がラグーンになっているのです。しかしこの写真のように紛争の残骸が散らばっています。 道の両側には有刺鉄線と地雷注意を示すのドクロマークの看板が所々にあります。ここは反政府勢力のLTTE支配地域です。

The Shrine of Innocents

コロンボから西へ10km行くと、国会がある「スリジャヤワルダナプラコッテ」という町があります。この長い名前はクイズ番組が盛んな頃によく出題されていました。その国会へ向かう真っ直ぐな道入り口近くに「The Shrine of Innocents」があります。これは1989年ごろ、スリランカ南部の都市「エンビリピティヤ」というところで、生徒と若い教員合わせて38名が誘拐され、そのまま消息不明になっている事件の犠牲者を追悼するために作られたものです。幹線道路の脇にあるですけど草に覆われて訪れる人は少ないです。私は毎週土曜日にレッスンの行き帰りに通ります。
(Jagath・Wheerasinghaという人の作です) 

ガンガラーマヤペラハラの準備をする象

スリランカでは満月は特別な日です。仏陀が「悟り」を開いた日なのです。特別な月の満月の日には仏教寺院で催しがあります。7月の満月はキャンディの「仏歯寺」で有名なペラハラ (行列行進)が行われます。2月近辺の満月にはコロンボのガンガラーマヤ寺院でペラハラが行われます。これに参加するためにスリランカ全国から70頭あまりの象達がコロンボに集まりました。 コロンボのような都会で70頭もの象を数日間管理するのは大変です。市役所の隣の広大な「ビクトリヤ公園」では簡易キャンプが設営され、あちこちに象が繋がれる事になります。象たちは身体を洗ってもらった後に綺麗な衣装を着けてもらいます。これから晴れ舞台です。
 

子象のミゲール

キャンディ仏歯寺からガンガラマーヤペラハラに招かれた7歳の子供のミゲール。気性は荒いようですが牙の形が良いので、成長したら仏歯のカスケットを運ぶ名誉ある象に成長しそうです。とてもかわいいです 。身体を丁寧に洗ってもらってからペラハラ用の衣装を着せてもらいます。

仏像

スリランカでは大多数の国民が敬虔な仏教徒であることから、ほとんどの家庭に「仏陀像」があるのです。私も結構好きなので部屋に置いています。製造元の「ブディスト ・アートセンタ」で注文して入手しました。これはファイバーグラス製(1Foot)Rs3025(4000円弱)でした。品揃えは6インチ(15cm)から5Feet(150cm)まで8種類くらいから選べます。色は袈裟や髪に色を塗ったもの、白、金色との種類から選べます。 この仏陀像を安置するシュラインが欲しくなっています。この仏陀像は日本に帰国するとき会社に寄付してきました。会社の同僚達は「Mr.SATOH」は帰国するときに置いていくだろうと期待 していたようです。
 


象の「ルワン・ラージャ」

右足に怪我をしている「Ruwan Raja」(ルアン・ラージャ)です。スリランカで最も有名な象の一匹です。コンドミニアムの近くの「ガンガラーマヤ寺院 」で飼われていました。上の写真は2002年8月に撮影したもので、右足の怪我を治療しているのはルアンの「象使い」の「ピータさん」です。 優しそうなピータさんが心配そうに世話をしていました。(ホームページに特別記事がありますのでそちらもご覧ください)

下の写真はコロンボ中心部のビクトリア公園で怪我の治療をしてもらっているルアンです。木の囲いは象が療養するための道具です。大きな象が寄りかかって眠 ることができます。象は身体が重いので横に倒れると「床ずれ」になるし、元気が無いと呼吸困難にな ってしまうのです。従って立ち上がれなくなった象は生きていくことができないのです。ルアンはこの後衰弱が進んで回復することが適いませんでした。

 

インド洋に沈む夕日(2001/11/10)

コロンボはスリランカの西海岸にあるため、コンドミニアムからはインド洋に沈む夕日を眺めることができます。手前にはベイラ湖という池 があります。前任者の部屋をそのまま引き継いだ部屋は30階に在るためこの雄大な眺めを楽しむことが出来るのです。因みにコロンボの緯度は北緯7度辺りです。


コルピティヤ・マーケット

コンドミニアムの近くにあるマーケットの風景です。野菜・果物・魚・肉が新鮮でしかも安いです。週末はここに買い物にでかけ ることが多いです。果物屋さんでは季節の移り変わりに従って様々な果物を売ることになります。その時々の旬の果物を食べていくのが楽しみです。 寒いところの果物(例えばリンゴ)以外は基本的にコロンボ近郊で取れる果物を売っています。食べ頃になる直前に収穫するので日本で食べる果物とは味が違います。また、ここの魚売り場には見事な 色合いの三毛猫が住んでいます。「猫」のページに写真があります。


コロンボ中心街のフォート地区

朝の人通りの少ないコロンボ中心街フォート地区 のメインストリートです。私の職場がこの近くにあるため毎日植民地時代に建てられたの古い建物を沢山 見ることができます。これらの建物はメンテナンスが不十分のためのに薄汚れてい て崩れかけている場所が多いのです。イギリス植民地時代の遺物なのでスリランカ国民が保存を望むのかどうか分かりませんが、過去かなりの費用をかけて作られたことだけは事実です。外国人からするとかなり貴重な文化遺産だとは思いますが。
 

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