Sigiriya Rock (シギリヤロック)



 

シギリヤを語る際に「キャサパ王」の話は避けて通れません。父「ダートセーナ王」を殺して王権を奪い 、異母弟「マガラーナ王」の復讐を恐れ、シギリヤ ロックに自分だけの宮殿を造り11年間そこで暮らしたのが「キャサパ王」です。彼の父「ダートセーナ王」(在位452−470)はシンハラ民族の英雄でした。約30年間に及んだインドから侵入したタミール族の支配を打ち破ったのが「ダートセーナ王」でした。彼は全国に数多くの農耕用の貯水池を作りました。ダンブッラからアヌラダプラに通ずる道沿いにある「カワベバ貯水池」は彼の作った最大の貯水池です。現在でも大量の水を蓄えています。またこの時代にシンハラ族の神話「マハバームサ」が 創られました。

ダートセーナ王」には三人の子供がありました。長男は「キャサパ」(母親は平民)、次男は「マガラーナ」(母はシンハラ皇女)。そして従兄弟「ミガーラ」に嫁いでいった長女。この「ミガーラ」は軍の司令官でした。このミガーラがキャサパを王位につける為に策略を巡らせました。 ミガーラは「ダートセーナ王」が「マガラーナ」を王位に就けるために王の財宝を密に隠したという噂を流したのです。「ダートセーナ王」は「カワベバ貯水池」を指して「これ が私の財産のすべてだ」と云ったそうですが、怒ったキャサパはミガーラに命じて王を幽閉してしまったのです。王権を奪取したキャサパ王(在位470−488)は当然弟のマガラーナを殺そうとしましたが、マガラーナは難を逃れ てインドに渡りました。キャッサパはマガラーナの復讐を恐れて都をアヌラダプーラからシギリヤ宮殿に移しました。 こうしてシギリヤロックロック頂上の宮殿が建設されました。しかし弟マガラーナはインドからの強力な援軍を従えてシギリヤに攻め上り、キャサッパを滅ぼし再びアヌラダプーラに都を戻しました。

ところでシギリヤロック中腹に描かれている「シギリヤ美女」が「キャサパ王」の時代のものかどうかははっきりしていません。新聞記事で読みましたがこの「美女」達は古代石窟寺院に描かれた天女達だという説が有力なようです。シギリヤロックには嘗て仏教を修行する石窟が沢山あり 、キャサパがその峻厳さに目をつけ宮殿を築いたというのです。 何れにしろ実の父を殺して王位に就いたキャッサパはシギリヤロックの頂上に宮殿を築くという「狂気の王」として有名になりました。しかし現在世界遺産にも登録されてスリランカ有数の観光名所となっている 「シギリヤ」を築いた功績は非常に大きいものがあります。歴史上ではこうした暴君のとんでもないアイデアが後世の文化遺産になることが多いですね。
 

スリランカのA6国道はA1国道から「キャンディロード」アンベプッサで分岐して、クルネガラ、ダンブッラ、ハバラナを通って 北東海岸のトリンコマーレまでまで真っ直ぐ抜ける幹線道路です。ダンブッラでA9国道(キャンディ・ジャフナ道路)と交差して少し走り、「イナマルーワ 」という小さな交差点を右折するとシギリヤロック はもう直ぐそこです。

シギリヤロック周辺はジャングルです。特に東側のポロナルーワ方面からシギリヤに向かう場合には、ジャングルの中の細い道を通らなければなりません。 この道はしばしば野生の象に出会う道なのだそうです。

シギリヤロックの近く来て、木々の間からシギリヤロックの姿が見え出すと まずその異様な形に驚かされます。非常に大きな石ころがジャングルの中に取り残されているといっても過言ではありません。よくこんな岩山が残ったと思います。岩山の壁が垂直に切り立っているのでその頂上は下界から全く隔絶してしまいます。今でこそ金属を使った通路・階段があるのでなんとか登ることができますが、そうした設備のない時代にどうやって登ったのかわかりません。どうやって建築資材を運び上げたのか分かりません。



シギリヤロック周囲の堀


シギリヤロックの入り口検問

 
雄大な岩山に目の前に現れます。



シギリヤロックの入り口


水の庭園の噴水
まず南側の駐車場の出口に突き当たります。この駐車場はシギリヤロックから降りてきた所にあるのです。 ドライバー氏はここで待っていることになります。チケット売り場及び入り口はそこから堀をぐるっと90度回った西側にあります。この入り口が正面になります。

堀にかけられた橋を渡って堀の内側に入り、少し階段を登るとシギリヤロックを正面に見て「水の庭園」が現れます。シギリヤロックの麓に広がるこの庭園を見ると戦いに備えた城だけではないことが分かります。 高いところの貯められた水の勢いを利用した噴水が作られています。そうした噴水を色々なところに配した優雅な庭園です。キャサパ王は平和な時代にはここで大いに楽しんだのだと思います。この庭園は散策するのもいいですが、岩山の頂上から眺めるのも素晴らしいです。

長閑な庭園を抜けて岩山の垂直な壁面に突き当たると、いよいよ階段で切り立つ「ロック」を登っていくことになります。この階段は ある程度までは石作りのものが整備されていますが、踊り場が少ないので結構きついです。1000年以上前のものですが石造りなので保存がいいのでしょう。 この石造りの古い道には昔の人の「いたずら書き」が残されています。昔も今も人々の「悪戯癖」は同じですね。

最初の見所がフレスコ画です。「ミラーウォール」の入り口にチケット確認場所があってここでチケットを見せます。このミラーウォールの道から鉄の螺旋階段で10m位垂直に登ったところに美女のフレスコ画の石窟があります。こんな岩山の中腹に 、何のために、どのようにしてフレスコが描かれたのか全く不明です。しかしフレスコ画自体はのびのびしていて、生々しい彩色が残されています。確かな技の冴えが感じられます。 下に掲載している写真は現在 この場所で確認できるフレスコ画のすべてです(順不同)。

このフレスコ画は上半身裸の女性が描かれているのですが、女性の年齢によってお腹の描き方が違うのです。お腹の「たるみ」を見事に描き分けています。 インド亜大陸の女性にとって「サリー」は正式な服装です。 そして「サリー」を着る時には「お腹」が出てしまいます。若い人は「すっきり」着こなしますが、年配の方は「たっぷり」 (隠すように)着ます。太っていることは「豊かさ」の象徴でもあるのです。

フレスコ画の女性達がなぜ「乳房」をあらわにしているのか。いくらスリランカが暑いとはいえ、描かれた当時女性が胸を露にしていたとは思えません。



垂直な岩山を登っていきます。


頂上から眺め


この向うに垂直に上る螺旋階段があって、
フレスコ画のある部屋に登ることができます。


フレスコ画
 


       

   

   
 

   
フレスコ画のある石窟

 

フレスコ画の石窟に登る鉄の螺旋階段。
この階段がない時代にどのようにこの石窟に行く事ができたのか不思議です。
 

フレスコ画のある石窟から同じ螺旋階段を下りて、もとの道に戻り「ミラーウォール」で ガードされた岩道をさらに登っていきます。この「ミラーウォール」は名ばかりで、鏡と言えるほど表面が磨き上げられているわけではありません。また何を反射させようとしたのかも不明です。ただあちこちに昔のシンハラ文字の落書きが書かれていることが貴重なのです。この道はいつの間にか途切れて、鉄製の床板と手すりの細い通路に変わってしまいます。 鉄板は板はところどころ朽ちていて今にも崩れるのではないかという恐怖が襲ってきます。ここの道を抜けて長い階段を一気に登りきると中腹の広場にでます。ここが「ライオンポウ」の広場です。

この広場には、巨大な「ライオンの前足」の間にロック頂上への上り口があるので「ライオンポー」と呼ばれています。昔は「ポー」だけではなくライオンの「顔」がありライオンの口の通って登っていたようです。 この「ポー」は非常に上手に彫ってるので、もしライオンの顔が残っていたらさぞやすばらしい眺めであったろうと思われます。ここからの道は非常に険しいのです。鉄の 手摺がついていますが、道が細くて大変急勾配なので非常に苦労することになります。ここを数珠なりに登っていきます。ここを登り切ると頂上の宮殿跡です。

 

シギリヤロックの頂上は1.6hもある広場になっています。頂上は海抜377mで麓からだと200m登ることになります。頂上全体に宮殿があったことを想像するとこれは凄い光景です。360度の大パノラマです。周囲はジャングルで遠くまで見渡せます。宮殿の脇には貯水地(27m×21m)のがあって水に困らないようになっています。ちょうどよいプールの大きさです。宮殿は大理石でつくられたのです。材料の大理石はシギリヤロックの下から運び上げなければなりません。大変な工事だったと思います。

頂上から降りるには同じ道を通って行きます。崖が見えるので降りる方が怖いです。また、風邪が強いので帽子を飛ばされたりします。頂上まで登り降りてくるまで2時間〜3時間かかります。混んでいる時はもっと時間がかかります。太陽が高い時間帯は 日差しが強くとても暑いので、午前中の朝方か夕方に登るのが楽なのです。シギリヤは大きな岩山を庭園や堀や塀が覆っています。この全体をヘリコプターで眺めることができたら面白いだろうと思います。

HOME

inserted by FC2 system