インドの風景
(Sceneries of India)
|
ムンバイの「シッディ・ビニャーヤク」 (Siddhi Vinayak)
ムンバイのヒンズー寺院といえば「シッディ・ヴィナーヤク」です。ムンバイ駐在中の我が社のカウンターパートのVSNL(TATAグループ)の本社がこの寺院の近くにありました。その関係もあって何回か行く機会がありました。 シッディ・ヴィナーヤク寺院の公式ホームページは⇒こちらです
シッディ・ビニャーヤク寺院はムンバイの下町にあるので、広大な敷地を有している訳ではありません。左の写真のような近代的なビルです。寺院の屋根は伝統的なヒンズー建築を模しています。高い塔は「ヒマラヤ」を表しているものだと思います。ガネーシュの父の「シバ神」の故郷はヒマラヤなのです。 |
|
ムンバイのマリンドライブ (Marine Drive)
ムンバイ市の南端に広がる「マリンドライブ」です。海の水は決してきれいではないですが数キロに渡って広がる半円形の海岸線は大変美しいです。上の写真はマリンドライブの南側を写しています。この先は半島になっていて半島の先端に
はコンサート劇場などが集中する「TATAシアター」があります。
写真左側にみえる建物群は高さを一定に抑え、壁を白く塗っていてとても美しいです。海に沿って続く歩道はムンバイ市民の憩いの場となっています。
|
Gateway of India とタージマハールホテル(Taj Mahal Hotel)
ムンバイ市近郊のエレファンタ島に向かう渡し船から撮影しました。「Gateway of
India」は植民地時代の宗主国イギリス王室のジョージ5世のインド訪問を記念して1924年に建造されました。
当時は飛行機などないでしょうから、港に船で到着しこの門のところで歓迎式典があったのだと思います。 |
|
Bombay House ムンバイのビジネス中心地にある「Bombay House」。ここはTATA財閥の本社です。「フローラファウンテン」から東に歩いて直ぐのところにあります。そこはかつて植民地時代のフォートの正門に近いはずです。周辺はムンバイの金融街で、中央銀行(RBI:Reserve Bank of India)、SBI(State Bank of India)、ムンバイ証券取引所BSE(Bombay Stock Exchange)があります。インド経済の中枢機関が集中しています。 |
|
弦楽器職人のハイクさん ムンバイ室内オーケストラのビオラパートにいるドイツ人のハイクさん。彼女は旦那さんの仕事の都合でムンバイに来ています。職業は弦楽器職人。ドイツのミュンヘンが本拠地です。ムンバイのアパートに弦楽器製作・修理道具一式を持ってきていて、バイオリンからチェロまでの修理を行っています。コントラバスに関する道具はさすがに持ってきていない様子。せっかくなので私のチェロの調整をお願いしました。ムンバイには植民地時代に多くの楽器が流れ込んで来ていて修理屋にとっては非常に興味深い土地のようです。ムンバイには今は廃墟になっていますが立派なオペラハウスの建物も残っているのです。撮影場所はハイクさんの自宅兼工房。 |
|
ムンバイのマンゴウ ムンバイの果物といえば何といっても「マンゴウ」です。本当に美味しいです。季節になると市場はマンゴウだらけになります。最近日本でもカクテルの名前として出ていますが、「アルフォンス ・マンゴウ」という品種が最上とされています。 |
|
ラジヴ・ガンジーの慰霊地
ラジブ・ガンジーはインディラ・ガンジーの長男。ネルーの孫に当たります。1984年母のインディラが銃弾に倒れた後に40歳の若さでインドの首相になりました。そして1991年5月21日、落選中で総選挙のための遊説中にインド南部のタミール・ナド州の「スリプレンブドル村」のこの場所でスリランカ
の反政府組織「LTTE」の女性テロリストの自爆によって亡くなりました。左はチェンナイ郊外国道4号線沿線にある記念施設です。 |
|
|
インドの結婚式
ニューデリーオフィスの社員の結婚式の写真です。2006年1月。昨年暮れに故郷のラクナウに帰省した彼が両親のアレンジした幾つ
かの見合い案件の中から射止めたお嫁さんです。インド北部では12月(12月16日から1月15日)には結婚式をしないので、1月16日に結婚式が行われました。新郎も新婦もインドの伝統的な婚礼衣装に身を包んで幸せそうです。結婚式はラクナウで行われました。最近は簡素になってきているといっていますが3日間続いたようです。 |
ミナクシ寺院
タミール・ナド州のマドライにある「ミナクシ」です。私のもっとも好きなヒンズー寺院です。「シバ」派の寺院ですが、「妻」の「パルヴァティ」の名「ミナクシ」(ドラビダの女神)で親しまれています。壮大ですがとても女性的で繊細なのです。左は「Golden
Lotus
Tank」と回廊・塔門を眺めた構図です。塔門(ゴプラム)も非常に女性的で美しいのです。 |
|
コナラクの太陽寺院 インド東部のオリッサ州はヒンズー建築のひとつのオリッサ建築の中心です。州都ブバネシュワラの「リンガラージ寺院」、プリーの「ジャガンナート寺院」、そしてコナラクの「スーリヤ寺院」が有名です。左の写真は「スーリヤ」寺院本堂ですが、その後ろに隣接して巨大な「塔」が建っていたそうです。余りにも巨大な構想であったため に石組のうまくいかず日の目を見なかったのだそうです。この寺院の魅力は建物壁面に施された無数の彫刻です。とにかくとんでもない大きさなのです。 太陽寺院のホームページは ⇒ こちらからどうぞ |
|
ムンバイのクロフォード・マーケット ムンバイの台所「クロフォード・マーケット」です。この近辺では何でも揃います。ムンバイはインド西海岸最大の都市でインドの流通の中心地のひとつです。マーケット北側には卸売り商がびっしり陣取っていて多くの人達が仕入れにやってきます。マンゴーの季節にはマーケットが本当に「マンゴー」だらけになり、美味しそうな香りに包まれます。インドの豊かさを実感する場所でもあります。1870年代のムンバイ市長の「Arthur Travers Crawford」の名前が冠されています。時計台はまだ現役で正確な時刻を知らせていました。 |
|
アグラ・フォート アグラは「タージマハール」等名所が多いので、じっくり見てまわるには時間を必要とします。アグラフォートはデリーのレッドフォートに比べて昔のものがそのまま綺麗に残っていて素晴らしいです。左の写真は入り口で、赤い岩だらけですが中には白い大理石でつくった館があります。ムガール帝国の第三代の王「アクバル」によって作られました。「シャー・ジャハン」の作った「タージ・マハル」もそうですがかつての君主が現代のインドに大きなプレゼントを残してくれています。 |
|
アクシャルダーム・スワミナラヤン寺院
昨年ニューデリー郊外に完成した大寺院です。一応ヒンズー教寺院ということができるでしょう。(新興宗教といった方が適切かもしれません)。ここは聖人「バグワン・スワミナラヤン」を祀っています。場所はニューデリー
東部のヤムナ川の川岸の広大な砂地です。中心の大寺院の周りには3つの近代的な展示館とかレストラン・土産物屋などの建物があります。多分飛行機からも良く見えるはずです。とにかく非常に壮大で
す。ヒンズー文化のテーマパークです。将来はニューデリー観光の名所になるでしょう。 |
|
番犬「ダブー」 私が住んでいたムンバイのアパート「グルマルク」の番犬の「ダブ」爺さん。年齢不詳。皮膚が弛んでいてお尻のところで段ができています。隣のアパートの番犬とは仲が悪くて、散歩するときには遠回りして避けていきます。動きが鈍く「眼差し」が優し い(見えない?)ので見ていてとても癒されました。 |
|
ガネーシュ神
ムンバイでは「ガネーシュ神」がとても人気があります。ムンバイはインド経済の中心で中央銀行や証券取引所があります。そういう土地柄なので「商売の神」「知恵の神」のガネーシュが祀られるのだと思います。
ムンバイの代表的な寺院「シッディ・ビナーヤク」がガネーシュ信仰の中心になっています。
|
|
ムンバイのファッションショー
ムンバイはインドの文化の中心でもあります。市の北部には「ボリウッド」と称される映画村があります。新聞社・放送局があるので情報発信基地になっています。ファッションもそうです。高級ホテルの夜のボールルーム付近では有名人や着飾った婦人を見
ることができます。左は屋外ファッションショーの写真。知り合いに招待されて見てきました。
世界のビューティページェントで度々優勝者を出すインドだけに綺麗なモデルさんが多かったです。 |
|
ムンバイ「バックベイ(BackBay)」での飛行機ショー
ムンバイの南端の半円形の湾「バックベイ」は観光名所のひとつです。ここを会場にして秋インド空軍による「エアーショー」が行われます。まだアパートが見つからずホテル暮らし(バックベイに面していた)をしていた時にちょうどショーを見ることができました。 その時の部屋は33階だったので、飛行機が目線の高さに見えて非常に迫力がありました。向こう側のビル群はムンバイ西部のアパートです。こちら側がビジネス街になっています。 |
|
ムンバイレストランで「日本」に遭遇
ムンバイの下町モスリムの方が多く住んでいる地区のレストランで遭遇しました。普通のインド料理レストランでしたが、注文を取りにきた「兄ちゃん」が左の写真のシャツを着ていました。旅行者と交換でもしたのでしょうか。インパクトが強かったです。 |
|
ムンバイの建築物
ムンバイにはネオゴチック建築が沢山残っています。このビルも金融街の古いビルですが、銀行が買収して支店にしています。外は古いですが、中は改装されていて綺麗なことに加え、最新式のOAが装備されています。 |
|
|
ビクトリアターミナス(チャトラパティ・シバージターミナス)
ムンバイのネオゴチック建築で最も有名で雄大なビクトリアターミナス駅です。現在も立派にターミナルとなっています。「セントラルレイルウエィ」の終着駅として使われています。設計は「フレディック・ウイリアム・スティーブンス」。1878年に着工し1888に完成しました。 |
|
ムンバイ市「企業局」ビル
|
|
Moti Mahal Restaurant (モティ・マハール)
オールドデリーのダリヤ・ガンジのネタージ・チャンドラ・ボース通りにある「モティ・マハール・レストラン」です。ここは北インドのタンドーリ料理を最初に始めた店なのです。「Shri
Kundan Lal Gujral」という人が1920年にパキスタンのペシャワールでタンドーリ料理のレストランを始め、1947年にオールドデリーに越してき
て、現在のモティ・マハールの場所でレストランを始めたのでした。彼がチキンをタンドーリというパンを焼く釜の中で料理することを始めなければ今の「タンドーリチキン」は無かった
のでした。またその「タンドーリチキン」をトマトソースで料理しなければ今の「バターチキン」は無かったのです。
この「Moti Mahal Delux」の方は「モーニッシュ・グジュラール」という「クンダン・ラル」さんのお孫さんが経営者です。この人がインド全国にチェーン店を展開しているのです。 本店の「モティ・マハール」と全国展開している「モティ・マハール・デラックス」は全く別のレストランのようです。一族に揉め事でもあったのでしょうか。 |
|
ジャガンナート神、ジャガンナート寺院 |
|
チャンドラ・ボースの胸像 オールドデリーにあるレッドフォートにはインド独立の模様を展示した博物館がありますが、そこにでは「チャンドラ・ボース」のことが沢山紹介されています。 下の写真はそこに展示されていた貴重な写真です。チャンドラ・ボースは「Abid Hasan(アビド・ハッサン)とともにドイツ海軍の「Uボート」に乗って日本に向かいました。1943年の1月のことです。制海権はイギリスに握られていたことから、英国海軍に発見されれば「おしまい」ですがボースを乗せた「Uボート」は見事に大西洋を乗り切り、アフリカを回ってマダガスカル沖まで到達しました。そこで待ち受けていたのが日本軍の潜水艦でした。左の写真はドイツの潜水艦から日本の潜水艦に乗り移った時の写真だそうです。
|
|
インドの絵本
(上)インドの国民的物語「ラーマーヤナ」
(下)マハーバーラタ |
ムンバイの「ブリタニアレストラン」 |