インドの風景
(Sceneries of India)







 

ムンバイの「シッディ・ビニャーヤク」 (Siddhi Vinayak)

ムンバイのヒンズー寺院といえば「シッディ・ヴィナーヤク」です。ムンバイ駐在中の我が社のカウンターパートのVSNL(TATAグループ)の本社がこの寺院の近くにありました。その関係もあって何回か行く機会がありました。

「シッディ」は賢い・知恵のあるという意味。「ビニャーヤク」はガネーシュ神のことです。ガネーシュ神は象の顔をした神様です。シバ神と妻のパルバティ神の長男です。ガネーシュは真面目で賢い神様と されていて、子供の成長・商売繁盛の神様なのです。左の写真のように赤い身体をしていて鼻は左に曲がっています。ガネーシュの右の「牙」は欠けているのです。 右の牙はマハーバーラタの口述筆記競争最中、筆が折れてしまったので筆の代わりに「自分の牙」を使ったという謂れがあって欠けているのです。

シッディ・ヴィナーヤク寺院の公式ホームページは⇒こちらです

シッディ・ビニャーヤク寺院はムンバイの下町にあるので、広大な敷地を有している訳ではありません。左の写真のような近代的なビルです。寺院の屋根は伝統的なヒンズー建築を模しています。高い塔は「ヒマラヤ」を表しているものだと思います。ガネーシュの父の「シバ神」の故郷はヒマラヤなのです。

この寺院はムンバイ市内から空港(国内・国際)に向かう幹線道路に面しています。毎週「火曜日」が寺院の祭日なので火曜日の夜はこの寺院の前の道は大渋滞となり、空港への行く時間が余分にかかってしまいます。火曜夜のムンバイ出発には気をつけなければなりません。





 

ムンバイのマリンドライブ (Marine Drive)

ムンバイ市の南端に広がる「マリンドライブ」です。海の水は決してきれいではないですが数キロに渡って広がる半円形の海岸線は大変美しいです。上の写真はマリンドライブの南側を写しています。この先は半島になっていて半島の先端に はコンサート劇場などが集中する「TATAシアター」があります。 写真左側にみえる建物群は高さを一定に抑え、壁を白く塗っていてとても美しいです。海に沿って続く歩道はムンバイ市民の憩いの場となっています。

下の写真はマリンドライブの南端付近から半円形の向こう側の対岸北西を写しています。北側には古い町並みが広がっています。私のアパートもあちら側にありました。 西側半島の先端には「Raj Bahavan」といって植民地時代のイギリス人のトップの住んでいた大邸宅があります。今はマハラシュトラ州の知事の公邸となっています。写真のようにマリンドライブはムンバイ市民の憩いの場です。防潮堤が丁度休憩場所に なります。

 

Gateway of India とタージマハールホテル(Taj Mahal Hotel)

ムンバイ市近郊のエレファンタ島に向かう渡し船から撮影しました。「Gateway of India」は植民地時代の宗主国イギリス王室のジョージ5世のインド訪問を記念して1924年に建造されました。 当時は飛行機などないでしょうから、港に船で到着しこの門のところで歓迎式典があったのだと思います。
門の右側が有名なタージマハールホテル。 高層の新館と昔通りの旧館が並んでいます。この旧館はムンバイのパルシー実業家の「ジャムショドジー・TATA」が1902年に建てました。今でもムンバイNo.1ホテルです。 一度は泊まってみたいホテルですね。

Bombay House

ムンバイのビジネス中心地にある「Bombay House」。ここはTATA財閥の本社です。「フローラファウンテン」から東に歩いて直ぐのところにあります。そこはかつて植民地時代のフォートの正門に近いはずです。周辺はムンバイの金融街で、中央銀行(RBI:Reserve Bank of India)、SBI(State Bank of India)、ムンバイ証券取引所BSE(Bombay Stock Exchange)があります。インド経済の中枢機関が集中しています。

弦楽器職人のハイクさん

ムンバイ室内オーケストラのビオラパートにいるドイツ人のハイクさん。彼女は旦那さんの仕事の都合でムンバイに来ています。職業は弦楽器職人。ドイツのミュンヘンが本拠地です。ムンバイのアパートに弦楽器製作・修理道具一式を持ってきていて、バイオリンからチェロまでの修理を行っています。コントラバスに関する道具はさすがに持ってきていない様子。せっかくなので私のチェロの調整をお願いしました。ムンバイには植民地時代に多くの楽器が流れ込んで来ていて修理屋にとっては非常に興味深い土地のようです。ムンバイには今は廃墟になっていますが立派なオペラハウスの建物も残っているのです。撮影場所はハイクさんの自宅兼工房。

ムンバイのマンゴウ

ムンバイの果物といえば何といっても「マンゴウ」です。本当に美味しいです。季節になると市場はマンゴウだらけになります。最近日本でもカクテルの名前として出ていますが、「アルフォンス ・マンゴウ」という品種が最上とされています。

ラジヴ・ガンジーの慰霊地

ラジブ・ガンジーはインディラ・ガンジーの長男。ネルーの孫に当たります。1984年母のインディラが銃弾に倒れた後に40歳の若さでインドの首相になりました。そして1991年5月21日、落選中で総選挙のための遊説中にインド南部のタミール・ナド州の「スリプレンブドル村」のこの場所でスリランカ の反政府組織「LTTE」の女性テロリストの自爆によって亡くなりました。左はチェンナイ郊外国道4号線沿線にある記念施設です。

ネルー直系の若き指導者を失ったインドの損失は非常に大きかったと思います。彼は科学・産業を振興して、インドを先進国にしようと努力しました。 今になって彼の意思が漸く少しずつ実現しようととしています。
ラジブの奥様がケンブリッジ大学で出会ったイタリア人の「ソニア・ガンジー」です。現在はインド国民会議党の代表を務めています。インドで非常に人気があります。ラジブには長男の「ラウル」と長女の「プリヤンカ」の二人の子供が居ます。いずれどちらかがインドの指導者になるでしょう。
 



 

インドの結婚式

ニューデリーオフィスの社員の結婚式の写真です。2006年1月。昨年暮れに故郷のラクナウに帰省した彼が両親のアレンジした幾つ かの見合い案件の中から射止めたお嫁さんです。インド北部では12月(12月16日から1月15日)には結婚式をしないので、1月16日に結婚式が行われました。新郎も新婦もインドの伝統的な婚礼衣装に身を包んで幸せそうです。結婚式はラクナウで行われました。最近は簡素になってきているといっていますが3日間続いたようです。

一人結婚すると影響するようで、インド現地法人の独身社員もう一人が結婚したとのことで写真が送られてきました。彼は「俺は暫く独身で通す」と言い張っていたのですが、やはり幸せそうな同僚の雰囲気に考えをかえたようです。
 

ミナクシ寺院
Meenakshi Temple

タミール・ナド州のマドライにある「ミナクシ」です。私のもっとも好きなヒンズー寺院です。「シバ」派の寺院ですが、「妻」の「パルヴァティ」の名「ミナクシ」(ドラビダの女神)で親しまれています。壮大ですがとても女性的で繊細なのです。左は「Golden Lotus Tank」と回廊・塔門を眺めた構図です。塔門(ゴプラム)も非常に女性的で美しいのです。
ヒンズー教で素晴らしさのひとつは女性の寛容さ・美しさを正直に崇拝するところにあると思います。寺院全体に 「ミナクシ神」の愛情があふれているのです。その愛情の中に夫の「シバ」、息子の「ガネーシュ」「スカンダ」が住んでいる感じです。
マドライはBC6世紀から14世紀まで「Pandyan」王朝の都が置かれた場所です。タミール文化の中心地です。その街の中心がこの「ミナクシ」寺院で正しくタミール・ヒンズー文化の中心といえます。寺院の中心部の「スンダレシュワラ (シバ)」「ミナクシ(パルバティ)」を祀った聖域にはヒンズー教徒以外は入れません。それでもその他の部分でも十分見る価値はあります。
ミナクシ寺院のホームページ ⇒ こちらです。

コナラクの太陽寺院
(Sun Temple at Konarak)

インド東部のオリッサ州はヒンズー建築のひとつのオリッサ建築の中心です。州都ブバネシュワラの「リンガラージ寺院」、プリーの「ジャガンナート寺院」、そしてコナラクの「スーリヤ寺院」が有名です。左の写真は「スーリヤ」寺院本堂ですが、その後ろに隣接して巨大な「塔」が建っていたそうです。余りにも巨大な構想であったため に石組のうまくいかず日の目を見なかったのだそうです。この寺院の魅力は建物壁面に施された無数の彫刻です。とにかくとんでもない大きさなのです。

太陽寺院のホームページは ⇒ こちらからどうぞ

ムンバイのクロフォード・マーケット

ムンバイの台所「クロフォード・マーケット」です。この近辺では何でも揃います。ムンバイはインド西海岸最大の都市でインドの流通の中心地のひとつです。マーケット北側には卸売り商がびっしり陣取っていて多くの人達が仕入れにやってきます。マンゴーの季節にはマーケットが本当に「マンゴー」だらけになり、美味しそうな香りに包まれます。インドの豊かさを実感する場所でもあります。1870年代のムンバイ市長の「Arthur Travers Crawford」の名前が冠されています。時計台はまだ現役で正確な時刻を知らせていました。

アグラ・フォート

アグラは「タージマハール」等名所が多いので、じっくり見てまわるには時間を必要とします。アグラフォートはデリーのレッドフォートに比べて昔のものがそのまま綺麗に残っていて素晴らしいです。左の写真は入り口で、赤い岩だらけですが中には白い大理石でつくった館があります。ムガール帝国の第三代の王「アクバル」によって作られました。「シャー・ジャハン」の作った「タージ・マハル」もそうですがかつての君主が現代のインドに大きなプレゼントを残してくれています。

アクシャルダーム・スワミナラヤン寺院

昨年ニューデリー郊外に完成した大寺院です。一応ヒンズー教寺院ということができるでしょう。(新興宗教といった方が適切かもしれません)。ここは聖人「バグワン・スワミナラヤン」を祀っています。場所はニューデリー 東部のヤムナ川の川岸の広大な砂地です。中心の大寺院の周りには3つの近代的な展示館とかレストラン・土産物屋などの建物があります。多分飛行機からも良く見えるはずです。とにかく非常に壮大で す。ヒンズー文化のテーマパークです。将来はニューデリー観光の名所になるでしょう。
寺院のホームページは ⇒ こちらです



 

番犬「ダブー」

私が住んでいたムンバイのアパート「グルマルク」の番犬の「ダブ」爺さん。年齢不詳。皮膚が弛んでいてお尻のところで段ができています。隣のアパートの番犬とは仲が悪くて、散歩するときには遠回りして避けていきます。動きが鈍く「眼差し」が優し い(見えない?)ので見ていてとても癒されました。



 

ガネーシュ神

 

ムンバイでは「ガネーシュ神」がとても人気があります。ムンバイはインド経済の中心で中央銀行や証券取引所があります。そういう土地柄なので「商売の神」「知恵の神」のガネーシュが祀られるのだと思います。 ムンバイの代表的な寺院「シッディ・ビナーヤク」がガネーシュ信仰の中心になっています。
毎年8月末から9月始めにかけて、ムンバイではガネーシュ祭りが行われます。家内・町内などに大小様々なガネーシュ像が飾られます。ムンバイだけでも数百万作られ祭りの最後の日に海に流されます。 海に流すので土で作られているのです。このガネーシュ像の大きさや精巧さで街どうしが競いあっていて、大きい像だと10m近い巨大な像が作られます。
 



 

ムンバイのファッションショー

 

ムンバイはインドの文化の中心でもあります。市の北部には「ボリウッド」と称される映画村があります。新聞社・放送局があるので情報発信基地になっています。ファッションもそうです。高級ホテルの夜のボールルーム付近では有名人や着飾った婦人を見 ることができます。左は屋外ファッションショーの写真。知り合いに招待されて見てきました。 世界のビューティページェントで度々優勝者を出すインドだけに綺麗なモデルさんが多かったです。
 



 

ムンバイ「バックベイ(BackBay)」での飛行機ショー

 

ムンバイの南端の半円形の湾「バックベイ」は観光名所のひとつです。ここを会場にして秋インド空軍による「エアーショー」が行われます。まだアパートが見つからずホテル暮らし(バックベイに面していた)をしていた時にちょうどショーを見ることができました。 その時の部屋は33階だったので、飛行機が目線の高さに見えて非常に迫力がありました。向こう側のビル群はムンバイ西部のアパートです。こちら側がビジネス街になっています。



 

ムンバイレストランで「日本」に遭遇

 

ムンバイの下町モスリムの方が多く住んでいる地区のレストランで遭遇しました。普通のインド料理レストランでしたが、注文を取りにきた「兄ちゃん」が左の写真のシャツを着ていました。旅行者と交換でもしたのでしょうか。インパクトが強かったです。



 

ムンバイの建築物

 

ムンバイにはネオゴチック建築が沢山残っています。このビルも金融街の古いビルですが、銀行が買収して支店にしています。外は古いですが、中は改装されていて綺麗なことに加え、最新式のOAが装備されています。



 

ビクトリアターミナス(チャトラパティ・シバージターミナス)

 

ムンバイのネオゴチック建築で最も有名で雄大なビクトリアターミナス駅です。現在も立派にターミナルとなっています。「セントラルレイルウエィ」の終着駅として使われています。設計は「フレディック・ウイリアム・スティーブンス」。1878年に着工し1888に完成しました。



 

ムンバイ市「企業局」ビル


非常に立派なムンバイ企業局の庁舎です。この隣に世界遺産に登録された「ビクトリア駅」があります。この建物もビクトリアターミナスと同じく「FW Stevens(1848-1900)」の設計です。1888年に設計が始まり1893年に完成しています。



 


 

Moti Mahal Restaurant (モティ・マハール)

 

オールドデリーのダリヤ・ガンジのネタージ・チャンドラ・ボース通りにある「モティ・マハール・レストラン」です。ここは北インドのタンドーリ料理を最初に始めた店なのです。「Shri Kundan Lal Gujral」という人が1920年にパキスタンのペシャワールでタンドーリ料理のレストランを始め、1947年にオールドデリーに越してき て、現在のモティ・マハールの場所でレストランを始めたのでした。彼がチキンをタンドーリというパンを焼く釜の中で料理することを始めなければ今の「タンドーリチキン」は無かった のでした。またその「タンドーリチキン」をトマトソースで料理しなければ今の「バターチキン」は無かったのです。

今でも「骨付きのタンドーリチキン」「バターチキン」で店の看板メニューです。ここのレストランでは夜8時頃からインド伝統音楽の演奏があり ます。北インド料理とともにインド音楽を楽しむことができ るので外国人の観光客には人気があります。但し駐車場スペースが少ないのでバスで来るわけには行きません。 左はニューデリーのダリヤ・ガンジーのモティ・マハールの店の名刺物です。この名刺には「うちには支店などないぞ」みたいなことを言っています。

インドの主要都市には「モティ・マハール・デラックス」というインド料理チェーン店があり大々的に展開しています。私はニューデリーのデフェンスコロニーとムンバイの 「CR2」にある「Moti Mahal Delux」に行ったことがあります。

モティ・マハール・デラックスのホームページ

 

この「Moti Mahal Delux」の方は「モーニッシュ・グジュラール」という「クンダン・ラル」さんのお孫さんが経営者です。この人がインド全国にチェーン店を展開しているのです。 本店の「モティ・マハール」と全国展開している「モティ・マハール・デラックス」は全く別のレストランのようです。一族に揉め事でもあったのでしょうか。



 

ジャガンナート神、ジャガンナート寺院

インド東部のオリッサ州のプリにある「ジャガンナート寺院」に祀られている神様です。左の写真は右から、「ジャガンナート」、「スッバードラ(女神)」、「バラバードラ」です。この3人の神様についてはいろいろな説話があります。 非常に単純な造詣でユーモラスな姿です。
「ジャガンナート寺院」は現役のヒンズー寺院でヒンズー教徒以外の参拝を厳しく禁じています。ヒンズー教徒以外の人は「門前払い」。外国からの観光客は近くの高いビルを捜して 、その屋上に上げてもらって寺院の様子を見るしか方法がない。下の写真はプリのメインストリートの「グランドストリート」からの「ジャガンナート寺院」の眺め です。道の向うの端にあるジャガンナート寺院の威容は素晴らしいです。プリ市内のお土産屋さんを捜すと「ジャガンナート神」のコケシみたいな置物や絵を買うことができます。

 

チャンドラ・ボースの胸像

杉並区の蓮光寺にある「ネタージ・スバッシュ・チャンドラ・ボース」の胸像です。チャンドラ・ボースはインドのベンガル出身のインド独立の英雄です。彼は 独立運動を指導した事からイギリス官憲におわれ、インド国内からアフガニスタン・ソ連を経由してドイツに逃れました。さらに潜水艦で大西洋・インド洋を渡って日本にやってきました。日本軍と一緒にインバール作戦に参加しました。最後は終戦直後1945年8月18日 に台北の飛行場での飛行機事故で亡くなりました。(ことになっています)

その遺骨は日本に運ばれ蓮光寺に保管されています。インド政府はその遺骨 が本物であるかどうか何回か正式な調査を実施しましたが、これを本物とは見なしていません。蓮光寺の住職さんは「チャンドラ・ボース」を戦後ずっと遺骨を守 りながら、何時の日にかインド政府が遺骨を本物と認め、母国に返すこととなることを期待しながら毎年法要をおこなっているのです。2006年5月に最新のインド政府の見解が発表され ましたが、日本の遺骨は「偽物」と断定されています。

オールドデリーにあるレッドフォートにはインド独立の模様を展示した博物館がありますが、そこにでは「チャンドラ・ボース」のことが沢山紹介されています。 下の写真はそこに展示されていた貴重な写真です。チャンドラ・ボースは「Abid Hasan(アビド・ハッサン)とともにドイツ海軍の「Uボート」に乗って日本に向かいました。1943年の1月のことです。制海権はイギリスに握られていたことから、英国海軍に発見されれば「おしまい」ですがボースを乗せた「Uボート」は見事に大西洋を乗り切り、アフリカを回ってマダガスカル沖まで到達しました。そこで待ち受けていたのが日本軍の潜水艦でした。左の写真はドイツの潜水艦から日本の潜水艦に乗り移った時の写真だそうです。

 



 


 

インドの絵本

(上)インドの国民的物語「ラーマーヤナ」
インドもっとも有名な物語「ラーマーヤナ」です。本屋さんでは「幼児向
けから大人向け」まで色々なバージョンのラーマーヤナを 揃えています。インドでは色々な言語の版があるのですが、私は英語版を買いました。この本はインドの小学生高学年程度向けの英語で書かれているそうで読み安く「絵」も綺麗です。
インドの王子「ラーマ」が「ハヌマン」(猿の将軍)の力を借りて、ランカの悪魔ラーバナに連れ去られた妻の「シータ」を取り返す話です。わくわくするような面白い物語です。 一部の本(例えばレグルス文庫版)では大団円ではなしは終了するのですが、この絵本では救出された妻の「シータ」はその身の潔白を疑われ、大地に身を投げて自殺して今します。最後は悲しい物語なのです。

(下)マハーバーラタ
ラーマーヤナと並んで2大物語の「マハーバーラタ」 です。この話は血筋の「パーンドゥ」五王子と「クル」の百王子の間の大戦争を描いたものです。非常に登場人物が多いので読んでいくのが大変です。両者の多数の英雄がいて様々な武器を使うので、最近のゲームに似ています。最後にには五王子側が勝つのですが、この王子達も最後にヒマラヤで死んでいくのです。この壮大さはちょっと表現できません。話の所々に「人生訓」が散りばめられているのです。有名な「バガバッドギータ」もこの中に含まれます。
この話は古代インドの戦いを基にして書かれているとされています。今後研究や発掘が進んで「マハーバーラタ」の背景は明らかになれば面白いと思います。

ムンバイの「ブリタニアレストラン」

ムンバイのフォートにある「パルシー料理」のレストランです。ムンバイでパルシー料理を食べるならここは外せません。最初の事務所の大家と雇った社員の日ひとりがパルシーであったため、このレストランは良く利用しました。出前もOKです。この店はランチしか営業していないし、日曜日は定休なので旅行者が食べにいくのはなかなか難しいです。この店ではわざわざ「イラン」から食材を輸入しているとのことで「イラン」の味そのままなのだそうです。パルシー料理はインド料理のように辛くなく、むしろ味付けは日本人に合っていると思いました。何が代表的なのか言えないところが難しいです。

inserted by FC2 system