サイ・ババの街「シルディ」探訪
 



サイババの絵本の表紙から

日本では南インドに住む「サイ・ババ」が有名です。「手から白い薬(粉)を出すという奇跡」やらアフロヘアの頭髪が印象的です。この人は「サティヤ・サイ・ババ」と言う名前を名乗っています。そして自ら19世紀に西インドのシルディという町に現れた「サイ・ババ」の生まれ変わりだと言われているのです。このシルディ の街の「サイ・ババ」が言わば本家のようなもので、インド全土に崇拝者(ファン)がいて、各地にサイ・ババ寺院があるのです。インドでは「サイ・ババ」と言うと普通は本家の「シルディ・サイ・ババ」を指します。

シルディの町はインド西部マハラシュトラ州の内陸部にあります。私の住んでいた州都ムンバイからが約300Km北東にあり、 車で約5時間かかります。
国道3号線(ムンバイ・ニューデリー間の幹線国道)は、日本の東海道のような幹線ですが、ムンバイから北に60Kmくらい走ると片側1車線の田舎道・山道になります。デカン高原の殺伐とした(あまり樹木が生えていない丘)をひた走 ることになります。国道沿線の「ナシーク」の町で国道3号線から降りて、さらに田舎道を走ります。「シルディ」の町に近づくと、サイババの写真とか、ホテルの看板が目立ち始めて気分が盛り上がります。そしてシルディの町に入るとそれまでのデカン高原の殺伐さが「うそ」のように急に賑やかな巡礼の町になるのです。

シルディ・サイ・ババ(インドの子供向け絵本から)

サイババは19世紀の中頃にインドの田舎町のシルディに現れたのだそうです。彼の生い立ちは全く分かりません。しかし、シルディのイスラム寺院に住み着いたサイ・ババが 、貧しい人達に非常にやさしくやがてサイ・ババが不思議な力を持っているということが人々に知られ始め、その噂がどんどん広がってい き、崇拝者が多く集まるようになったのでした。
サイ・ババは有名になった後でも、ずっと小さな村のイスラム寺院で貧しく(金銭に頓着せずに)暮らし続けました。
サイ・ババはイスラム教のFakir(放浪生活をしながら修行を行う者。貧しい人に慈悲を施しながら布教活動を行う。時として奇跡を起こすという噂から聖人として崇拝されることにもなる)でした。 サイ・ババは生活の糧すべてを「施し」に頼っていて、自分に生計に必要な量以上の物は全て貧しい人々に与えました。つまり蓄えをいう概念が一切なかったのです。
サイ・ババは以下のような奇跡を行ったとされています。
○サイ・ババの与える「灰」によって病気が治る。
○点灯用の油がもらえない時に、油の代わりに水を使って火を点した。
○シルディを襲った嵐を収めた。等など



 

サイ ・ババコンパウンドの地図
サイババが住んでいた地区一帯がテーマパークのように整備されています。
「Khandaba Temple」(右図にはなし)
サイババがシルディの村に来て最初に住んだ場所です。現在はヒンドゥー教の小さな寺院になっています。左の地図の右下の建物です。
「Dwarkamai」
サイババが有名になって沢山の客を迎えるようになってからも、最後まで住み続けた村の小さなモスクです。モスクの中にはサイババが使っていた炊事用具などが残されています。多くの信者が集まってサイババを偲んでいます。 左の地図の中央あたりの黒い印の場所です。
「Gurusthan」
サイババがその下で過ごした「ニーム」の木です。このニームの木は最後までサイババを見守っていたのでした。「Dwarkamai」の西側にあります。
「Samadhi Mandir」
サイババの墓のあるヒンドゥー寺院です。ここだけは入場チケットが必要になります。「Dwarkamai」に隣接しています。



 


正面入り口

シルディの町のサイ・ババ祈念コンパウンドの入り口です。サイ・ババがその半生を過ごしたモスクを中心にして、サイ・ババゆかりの場所が整備されています。
サイババを慕う人々が宗教の壁を越えて集まっています。

 



 

コンパウンド内の広場
コンパウンドの中の人々はとても幸せそうで寛いでいるようです。サイ・ババの醸し出すやさしさの中に包まれている感じがするのです。ここではヒンズー・イスラムも宗教の違いは全く感じられないのです。 



 

「Gurusthan」
サイ・ババがその下で過ごしたニームの木です。ニームの木は、後から作られた建物の屋根から幹を空に伸ばしています。ニームの木の根元にはサイババのフットプリントを模った石と祠があります。多くの人々が順番に祠に祈りを捧げています。

Samadhi Mandir概観
このヒンズー寺院に参拝するためはコンパウンドの入り口でチケットを入手する必要があるのです。そんなことは知らずに行ったものですから、5人くらいにインド人に聞き、チケット売り場の場所を 教えてもらって漸く事の次第が判明したのでした。しかし昼の12時少し前に私が整理券(チケット)をもらいに行くと、オフィスは既にお昼休みに入っていて、1時半までは閉鎖 していいて門前払い。 「日本からはるばる来て午後は直ぐムンバイに戻らなければならない」とお願いしたのですが、州政府の役人らしき人は「NO」の一点張り。(官僚の対応でした)
取り付く島もないので中に入るのは諦めました。中に入れない人向けに内部の映像をスクリーンで見せています。


 

「Dwarkamai」
サイ・ババが住んでいたモスクです。これは東側の壁です。サイババの写真が飾られています。人々はモスクの床に座りサイババの歌を声を合わせて歌っています。ヒンズーとイスラムの宗教の違いは全く感じられません。同じ節の歌を皆で歌い続けます。 またヒンズーの女性が頭を隠さずに堂々と参拝していることに少しびっくりしました。

「Dwarkamai」窓際のサイ・ババの足型
窓の下に作られている足型の記念碑です。サイ・ババはここに立って窓の外を通る村人達に声を掛けたのだそうです。

「Dwarkamai」内部のババの調理具
この火でババが調理を行ったのだそうです。サイババは食料を村の人々から貰い、ここで料理をして貧しい人々と一緒に食事をしたのでだそうです。

「 サイ・ババの火
サイ・ババの点した火です。今でも燃え続けています。「火」は拝火教ばかりでなく、ヒンズー教、イスラム教においても非常に大切なものとなっています。サイ・ババはしばしば 「灰」を信者に与えました。ババの灰は不思議な力があったそうです。現在のサティア・サイ・ババが指先から灰を出すと言う話は、このサイ・ババの灰の話から始まっていると思われます。

 

サイ・ババが使っていた支え棒
サイ・ババしばしばこの支え棒で身体を支えて、窓の外を眺めていたのだそうです。今は広い部屋の中にポツンと立っています。

モスク西側のNimbar
モスク西側の壁にはイスラム教徒が祈りを捧げる「Nimbar」があります。



 


サイ・ババが使っていた石臼
サイ・ババはこの石臼を使って小麦粉を作ったのだそうです。また村人に与えうるために様々な薬も作られたようです。


土産物店

とにかく サイ・ババグッズが豊富です。

 

「Khandoba Temple」
サイババが最初にシルディにやってきたときに滞在したヒンズー寺院。「Khandoba」はマハラシュトラ州のこのあたりの土着の神様です。現在では「シヴァ」神の生まれ代わりと考えられています。

Khandoba Templeにあるサイ・ババのフットプリントこのヒンズー寺院は嘗ては村の入り口にありました。この寺院の神官「マーラサパティ」が、「サイ・ババ」が通りかかった時に「サイ・ババ」を聖人だと理解したのだそうです。



 

シルディの案内書
サイババの街シルディの案内はなかなかありません。この本は新しいですが、シルディの街を細かく解説しているので、旅行者には大変便利です。

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