スリランカ象「ルアン・ラジャ」

コロンボ市の「ガンガラーマヤ寺院」で飼われていた象の「ルアン・ラジャ」の記録です。


スリランカの首都コロンボでは街の中心部にあるコンドミニアムに住んでいました。その近くにスリランカでは結構有名な仏教寺院「ガンガラーマヤ」があります。その境内に一頭の象が飼われています(別な場所でもっと多くの象が飼われているかもしれませんが)。その象は 寺院の外に道路から良く見えるところに繋がれているので、土曜・日曜には寺院見物客や客待ちドライバーが象を眺めている光景を良く見かけます。またコロンボを良く知らない外国人観光客にとっては、善意か悪意かわかりませんが「象を見せてやる」と言って親切そうなスリランカ人に三輪車に乗せられて連れてこられる場所でもあります。この象の名前は「ルアン・ラジャ」といって年齢は「60歳」です。「ラジャ(Raja)」というのは「牙(タスク)を持つ立派な象」に贈られる共通の名前です。

 2002年4月、20年以上続いているシンハラ・タミールの民族対立紛争の一時停戦協定が成立し、恒久的な本当の解決を願ってスリランカ南部の聖地「カタラガマ 」から最北端の都市「ジャフナ」まで「平和の行進」が行われました。この行進はそれまで紛争のために閉鎖されていたスリランカ北部のLTTE支配地域を縦断する「A9道路」を真っ直ぐ北上する形で行われました。このとき「ルアン・ラジャ」はカタラガマからジャフナまで 約300Km以上の道程を「平和の象徴」としてトラックに乗って旅をしたのでした。途中のLTTE支配地域の主要都市の「キリノッチ」で、そして最終目的地ジャフナでも大歓迎を受けたのだそうです。タミール人の宗教である「ヒンズー教」の「ガネーシャ神」は象の姿をしていますし、仏教においても重要な地位を与えられている「象」はヒンズー教・仏教共通に非常に重要な動物なのです。ジャフナでは現地で飼育されていた「ダーシニ」という雌象の歓迎を受け 、一夜を共にしたのだそうです。

毎年7月に行われる「キャンディ(Kandy)」の 「エサラ ・ペラハラ(パレード)」はスリランカで最も有名な祭りのひとつで世界中から観光客が訪れます。そのペラハラで最も重要な役目は「聖なる仏歯収めたカスケット」を背中に乗せて行進する「象」なのです。何百人ものダンサーや曲芸を演ずる人 、数十頭の着飾った象に先導されて「聖なる仏歯」を背中に載せた象が主役として堂々と行進するのです。この役に選ばれた象は「仏歯寺」境内の中に入って「仏歯」を 収めたカスケットを背中に乗せて急な階段を降りてこなくてはなりません。そして「仏歯」を運んでいるからには周りの見物人の騒ぎに動じないで常に堂々としていなくてはならないのです。いわば人格ならぬ「象格」が必要なのです。

この重要な役目は「ラジャ(Raja)」という有名な象が65歳で亡くなるまで1987年まで50年もの長期間勤めていたのでした。この「Raja」は1922年スリランカ東部のバチカローラ近郊のジャングルで生まれ1937年にキャンデの仏歯寺に寄贈され、それ以来この重責を担ってきました。「ラージャ」は1985年には当時にジャヤワルダナ大統領から「スリランカ国宝」の指定を受けました。1989年にはラージャの記念切手が発行されています。 キャンディ仏歯寺に隣接する建物に展示されている象の剥製はこの「Raja」なのです。

この「Raja」が死んだ後、ラタナプーラの「Saman Devale Raja」がこの役を引き継ぎ、1994年までこの役を務めました。その後「Heiyantuduwe Raja」という象が昨年まで勤めたのですが、この象が急死したため、今年2002年は急遽ガンガラーマヤの「Ruwan Raja」が代役に選ばれたのでした。「Ruwan Raja」は特に他の象より大きいということはありません。Kandyの仏歯寺に飾られている初代「Raja」 の剥製に比べると一回り小さい感じです。でも牙のカーブの格好がとてもバランスが良く見栄えがするのです。上の写真は新聞に掲載されたルアンの晴れ姿です。「仏歯」を格納したカスケットを背中に乗せて、キャンディの仏歯寺正門から降りてくるところです。

この写真は2002年の2月、ガンガラーマヤ寺院のペラハラの時のルアンの晴れ姿です。全身に美しい刺繍をあしらった服を着せてもらい、牙には金色のカバーを着け、仏舎利の入ったカスケットを背中に積んでいます。まさしくペラハラの主役です。一番重要な役を演じました。(夜なので露出不足でピンボケになってしまいました)。


2002年8月のルアン

ところが2002年8月にはガンガラーマヤに痛々しいラージャの姿がありました。 4月のジャフナまでの平和行進の後、「キャンディ・ペラハラ」と「カタラガラ・ペラハラ」でもルアンは主役を演じたのですが、この間の激務で右足に怪我 をしてしまいました。そして筋肉が落ちずいぶん痩せてコロンボに帰って来たのでした。右足の傷は疲労で倒れたことによる床ずれだとのことでした。今から考えるとこの夏の 一連のペラハラはそれほど体が大きくない「Ruwan Raja」には負担が重すぎたのかもしれません。ルアン専門の象使いの「ピータさん」が心配そうに手当てをしていました。

上の写真は2002年9月のルアンです、 足の傷は治りかけているように見えますが、身体全体は痩せていて衰弱がさらに進んでいる感じです。後で聞いたのですが、ルアンは胃腸を壊して食欲がなくなっていたそうなのです。

2002年10月、ガンガラーマヤ寺院で「 ルアン・ラジャ」の姿が無く、非常に心配になって寺の人に聞いてみると、近くのビクトリヤ公園で療養しているとのことでした。寺の庭はコンクリート敷きだし、草木もないので、公園の方がゆっくりできるから大丈夫かなとおもっていた矢先、11月6日に「Raja」が重態とのニュースが新聞一面に紹介されました(右は新聞に載った痛々しい姿です)。象は 自分で立てなくなって横たわると呼吸ができなくなってどんどん衰弱してしまうのだそうです。つまり危篤状態なのです。

その後「Raja」は一旦は状態を持ち直して、立てるようになりました。ピータさんに身体を預ける木の囲いを作ってもらって療養していました。 つまり療養のためのベッドです。私は毎週土曜日には見舞いに行きました。いつもコロンボ市民が何人か来ていて心配そうに見守っていました。 ラージャはコロンボ市民のアイドルなのです。でも腰(足)の傷は悪化しているようでした。


 

2002年12月に日本へ一時帰国し年末にスリランカに戻っ た最初の土曜日(2003年1月4日)、ビクトリア公園へ 「ルアン」を見舞いに行ったのですが、ルアンは既に亡くなった後で、近くに埋葬された後でした。象使いの「ピータさん」が公園内の以前にルアンが繋がれていた近くにいました。とても悲しそうでした。ピータさんによると 12月18日に亡くなったのだそうです。木に寄り掛かって療養している時に別の足にも怪我をしてしまい、両足の傷が悪化したことが原因のようです。


悲しそうなルアン担当のピータさん

ルアンが療養していた跡はまだ整理がついていません。 ルアンを支えていた木材が雑然と詰まれ、ラジャのために緩衝用に木材に巻かれていた布着れが散らばっていて、とても悲しい情景となっていました。ルアンは繋がれていた木のすぐ後ろに埋められたそうです。残念なことに、この ルアンを扱ったこの記事はあっという間に終わってしまいました。「ルアン」が回復した様子、二世の誕生記事も書きたいと構想を考えていたのですが、残念な報告をしなければならないことがとても悲しいです。


ルアンの療養していた場所の跡、埋葬された場所。

ビクトリア公園のルアンの墓近くに、ルアンの奥さん(らしい)年老いた雌象(年齢は55歳)がいました。ルアン担当だった象使いの「ピータ」さんが世話をしていました。とっても気品のある象です。亡くなったルアンに似ていると思います。人間では「夫婦は似てくる」というので、象でもそういうことがあるのかもしれません。ピータさんに 聞いてみた所、ルアンには「子供」はいないとのことでした。

2006年6月、3年ぶりにスリランカを訪れた時にガンガラーマヤに行って見ました。この寺には象牙が沢山あるのですが、寺の隅の方に大きな象の頭蓋骨が 置かれていました。それはまさしく「ルアンラジャ」のものでした。堂々と大きく開いた両方の牙の形はまさしく「ルアン」の牙でした。



 

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