ジャフナの風景



ナーガ・ディーパ島のナーガ・プーシャニ・アンバル寺院
(Naga Pooshani Ambal)


 スリランカ最北端の都市「ジャフナ」はスリランカのタミール文化の中心です。 インド亜大陸のタミール・ナド州とは物理的に目と鼻の先でインドとの文化交流が昔からありました。そういう事情でジャフナ半島はタミール・ナド州と同じくヒンズー教徒が多数を占めているのです。一方、スリランカ南部の首都コロンボ や中部主要都市のキャンディーを含めスリランカ全体としては国民の7割が仏教徒です。仏教徒の人達は自分達を「シンハラ人」と呼び 北インドの人々と繋がりがあると考えているようです。従って南インド系のジャフナのタミール系の人々とはルーツが違うとしているようです。

 嘗てジャフナ半島には100万人を超える人々が暮らしていて、南の首都コロンボに次ぐスリランカ第ニの都市であったのでした。しかし現在の人口は50万人を切っているようです。ジャフナ大学はコロンボ大学、ペラデニヤ(キャンディ)大学と並んでスリランカで最も伝統のある大学でした。この ジャフナ大学の入学定員枠に関してシンハラ人・タミール人の間に揉め事が発生し、長い民族紛争のきっかけの一つになってしまいました。コロンボの「シンハラ政権 」は戦略的要衝のジャフナ市街を反政府軍の渡すことは出来ません。しかしジャフナしに住んでいる人は殆どがタミール人で反政府組織に同情的なのです。ジャフナにある仏教施設と言えば、スリランカ陸軍が設置した仏教寺院しかないのです。

 ジャフナ半島とスリランカ本島を結んでいるのが「エレファントパス」です。両側に海が迫った細い街道が細長く続いています。ここは自然のラグーンで動植物が豊かです。しかし戦略的に重要なので内戦の戦いの場所になっています。20年以上続いている内戦でジャフナ半島の人口は半分以下に減ってしまいました。人々は故郷を捨て去り、伝統ある古い建物は破壊されました。 2002年に束の間の停戦が合意されました。その停戦も2005年暮れには「机上の合意」に過ぎなくなり戦闘が開始しました。2006年夏には大規模な戦闘に発展してしまいました。

 私は幸運にもその停戦中にスリランカに勤務する機会がありました。和平ムードが高まり北と南の往来が始まりました。スリランカ北部の反政府軍(LTTE)の支配地を縦断 してジャフナに達する「A9国道」も再開されました。反政府軍支配地に入ったり、そこから出る時には政府軍検問所で厳重なチェックが ありましたがなんとか陸路でジャフナ半島に行く ことができました。戦乱のために整備の遅れた「反政府組織支配地内」の国道は非常に状態が悪く、車もゆっくりしか走れず大変苦労する旅でしたが、ジャフナ半島の素晴らしさはその苦労を吹き飛ばして くれます。自然の美しさ、ヒンズー文化の素晴らしさ、そしてそこに住んでいる人の暖かさは忘れることができません。
 



 

エレファントパス
Elephant Pass

スリランカ本島とジャフナ半島を結ぶ有名な「エレファントパス」です。道の両側は広大なラグーンになっていて素晴らしい眺めです。しかしここは戦略的要衝なので、度々民族紛争で戦闘が繰り返された場所でもあります。道の両側は 依然として「地雷原」なので有刺鉄線で立ち入りが禁止されています。この写真は北(ジャフナ)を向いています。嘗てはこの道に沿って鉄道が走っていました。今は全くその面影がありません。



 


エレファントパスの破壊された戦車

スリランカ北部では戦争の爪跡を見ることは当たり前になっています。殆どの建物が破壊されていると言っていいでしょう。右の写真は「エレファントパス」近くの破壊されたまま残されている戦車です。ここはこのままの状態で保存されるようです。 そのうち内戦が終結したら「内戦記念碑」になることでしょう。
 



 

スリランカテレコムとジャフナフォート

左の写真はスリランカテレコム(手前)からジャフナフォート側(右奥)を見ています。広場になっているところには嘗て役所だとか郵便局がありました。全てが破壊されて更地になってしまいました。 ジャフナ攻防戦でゲリラ軍がジャフナフォートに立て篭もり、政府軍がスリランカテレコムサイドで対峙したのでした。スリランカテレコム庁舎も殆ど破壊されたのでした。この時美しい五角形のジャフナフォートも破壊されました。この写真はジャフナ電話局の交換機更改オープニングセレモニーの時の写真です。



 

破壊された電話局局舎

停戦合意直前の戦いでは、政府軍が電話局に、反政府軍がフォートに陣取って戦闘が繰り広げられたのでした。砲撃の応酬で電話局がボロボロになってしまいました。 こうした内戦による被害の復興が急務になっています。嘗てコロンボからジャフナまで鉄道が通じていたのですが、その復興は全く不可能な状態です。せめて電気通信の復興を急いで、遠く離れて暮らす家族が沢山話せるようにしなければなりません。



 

再建されたジャフナ図書館

1981年6月1日の暴徒の放火によってジャフナ図書館が完全に焼失しました。この図書館にはタミール文化の貴重な文献が多数所蔵されていたそうですが全てが失われました。2003年2月に再建されたこの建物はあまり品が良くないといって現地 の人達の間では不評でした。



 

聖マリア教会 (ジャフナカテドラル)
「St Mary's Cathedral」

ジャフナにはキリスト教教会も沢山あります。この聖マリア教会は 「ゴア様式」の教会です。インドのゴアのオラトリオ修道会のレオナルド・レベイロ神父によって1789年に建設されました。教会の白壁は銃弾の跡があって痛々しいです。



 

LTTEリーダの「プラヴァカランの生家」
House Of Prabhakaran

’THE HOUSE OF HONOURABLE VELUPILLAI PRABHAKARAN, THE PRESIDENT OF TAMIL EELAM’

ジャフナ市東部にある「プラヴァカラン」の生家です。現在は空き家になっています。プラヴァカランはスリランカ本島北部の「キリノッチ」に本拠を置 き住んでいるとのこと。今は政府軍の支配下にある「反政府軍リーダの生家」。ジャフナのタミール住民は非常に複雑な感慨を持って見ています。家自体は政府軍に破壊され てボロボロになっています。プラヴァカランの故郷はインド南部タミールナド州のティルチラパッリ。タミール・ナドを旅行した時にガイドが教えてくれました。
 



 

カイト島からのジャフナア半島の眺め

真ん中に見えるのがジャフナ電話局のアンテナです。電話局の直ぐ近くから「カイト島」に通ずる「Causeway」が始まっています。ジャフナには島が多いのですが、このように「Causeway」で繋がっていて、島々に車で渡ることができます。しかし道の両側には厳重な鉄条網が敷設されています。これは反政府軍(LTTE)の上陸を阻止するためです。あちらこちらに政府軍の警備兵が居ます。


「ナーガ・ディーパ島」への渡し船

スリランカ本島のシンハラ人に非常に有名な「ナーガディーパ島」。ここには仏陀が訪れたという伝説があるのです。ナーガ・ディーパへはカイト島からプンクドゥティヴ島に行って 、その北端から渡し舟で渡るのです。約15分の船旅です。この「渡し舟」は驚くほど多くの客を乗せます。一番上の写真が「ナーガ・ディーパ」島の桟橋の目の前にある「ナーガ・プーシャニ・アンバル」寺院です。素晴らしく魅力的なヒンズー寺院です。ここは「シバ神」の奥さんの「パルバティ」を祭っている寺院です。この寺院はコブラが集まることでも有名なのだそうです。
 



 

「ナーガ・ディーパ寺院」

仏陀はスリランカに3度やって来たとされています。その一つが「ナーガ・ディーパ島」です。後の二つは首都コロンボ郊外の「ケラニヤ」と南部の山「スリーパーダ」です。後の二つはヘリコプターでもない限りインドからやってくることは難しいですが、ナーガ・ディーパだけは距離的に はおかしくないところに立地しています。右の写真は「ナーガ・ディーパ寺院」内の仏陀像です。スリランカ本島の仏教徒シンハラ人にとっては、非常に遠く離れて いて訪れることが困難な聖地となっています。当時の私のドライバー氏は仏教徒であったので、はるばるコロンボから訪れることができて感激していました。



 

カイト島の様子

カイト島はジャフナ近郊では最大の島で、非常に平坦 です。左の写真のように広大な平地にまっすぐ道が開かれています。所々農地がありますが殆どが使われていない空き地です。舗装すれば良い飛行場になるだろうと思われます。スリランカ南部は山が海岸近くまで迫っていて平地は少ないのですが、スリランカ本島北部とジャフナは平地が多いです。気候が非常に乾燥しているので灌漑設備が必要になります。



 

「パルマイラ椰子」と月

ジャフナの木といえば「パルマイラ椰子」ですジャフナの社会はパルマイラなしでは考えられないくらいその恩恵にあずかっています。幹は建築材料、茎を葉は家を囲む塀や屋根に使われます。その実は食料に使われます。しかし最も大切ななのその「樹液」です。樹液は「ジュース」のような飲み物にもなりますが、なんといっても発酵させた「アラック」が有名です。ジャフナ土産として非常に人気があるのがこの「ジャフナアラック」。スリランカ本島では手にいれることができません。

「ナルー・カンダスワミー寺院」

ジャフナの市中心部にある大寺院です。7月から8月に行われるこの寺院の祭りは非常に有名です。ゴープラム(塔門)の前方に立派なゲートを設ける形式はインドでは見かけませんでした。ナーガ・ディーパ島の「アンバル寺院」も同じ形式でしたが、ジャフナ独特の形式かもしれません。寺院の内部も非常に綺麗に管理されていました。この寺院は15世紀半ばに南部の 「コッテ王朝」を確立した「ブバネーカ・バフー6世」によって創建されたのだそうです。彼はジャフナ王朝をも征服しスリランカ全土を統一した王でした。もっとも仏教徒であったコッテ王朝の王がヒンズー寺院を建設するというのも変な話です。当初は征服を記念した仏教寺院であったのかもしれません。その後ポルトガルの侵攻によって完全に破壊され、現在の寺院が再建されたのは1807年のことだそうです。ジャフナは「シバ派」のヒンズー教徒が多いのだそうですが、このナルー寺院は代表的な「シバ寺院」です。
 



 

ヴァリプラム寺院
ジャフナ半島東部の「ポイントペドロ」近くにある大寺院です。この寺院は「ヴィシュヌ神」を祀っています。私の印象ですが、「ビシュヌ派」の寺院は「シバ派寺院」に比べて庶民的な感じがします。「現世利益」的な雰囲気があって人々に愛されています。そのせいか雑然としている印象です。それに比べると「シバ派寺院」は非常に厳しい感じがするし「孤高」な雰囲気です。ヒマラヤに隠遁して生活した「シバ」と「10の別の顔」をもって色々な場面に登場する「ビシュヌ」の違いでしょうか。インド最大の聖地とされる「ティパッチ」 がビシュヌ派寺院です。



 

ヴァリプラム寺院のシャリオ
寺院の外に置かれている「シャリオ」です。日本で言うならば、岸和田の「だんじり」とか高山の「山ほこ」でしょうか。祭りの時はこれを引っ張り 回すのです。左の写真のように「シャリオ」への登り口が作られていて「ご神体」が収められるようになっています。



 

ジャフナ市内の鉄道跡

ジャフナ市内には嘗て鉄道が走っていました。今でも線路の後を見ることができます。この鉄道は遥か南部のコロンボに繋がっていましたが、今では殆どその面影はありません。 このように線路があった道が普通の道路になっています。ところどころに「レール(広軌)」をみることができます。コロンボとジャフナはその昔スリランカの2大都市でした。この2大都市を結ぶ鉄道はスリランカの鉄道でも特別であったのです。日本の東海道線ですね。タミール社会とシンハラ社会を結ぶ大動脈は切れたままになっています。



 

Nelli (Niruri)の実
ジャフナ名物のひとつ「ネリー」です。この実をつぶして作る「Nelli Crush」は非常に美味しい飲み物です。暑く乾燥した気候のジャフナでは冷やした「ネリクラッシュ」は欠かせない飲み物なのです。
ジャフナの「ロザリアン修道院」が自分の農園で作っている作物でつくる「ネリクラッシュ」は非常に有名です。ロザリアン修道院は「ワイン」でも有名です。どういうブドウを使っているか知りませんが、非常に上品な味がするワインです。修道院に直売所があります。



 

ジャフナ半島パライ近くの「ムハマライ駅」跡

ムハマライ駅の少し南に政府・LTTE支配地境界線があります。そこから南はLTTE支配地です。このムハマライ駅に政府軍の検問所が置かれていて、LTTE支配地域に入る車をチェックをしています。この検問所は朝7時から夕方5時30分mまで通過できます。ジャフナからコロンボまでは来るまで10時間以上かかるのでコロンボに帰るためには早朝出発する必要があります。従って検問所には朝から車の列ができます。

ムルカンディ寺院

キリノッチ(LTTE支配地の中心都市)の南、A9道路の道沿いにある「ムルカンディ・ピラヤ寺院」は旅行者の安全を守ってくれる神様です。コロンボの南 の「A2ロード」に沿って「ガンガティラカ・ビハラ」があり、やはり旅行者が旅の安全を祈願しています。タミールの友人から聞いた話ですが、「ガンガティラカ」から南は「カタラガマ神(ガルーダ神)の支配地で「ガンガティラカ」のある場所はその境界で、「ガンガティラカ」から「ムルカンディ」までの地域は「ガネーシュ神」の領地なのだそうです。それぞれの神の支配地に入るための儀式が「安全旅行祈願」になっているのですね。
 



 

ヴァウニア北部のオマンタイ検問所

LTTE支配地域を南下し、スリランカ政府側との境に「オマンタイ」の検問所があります。LTTE検問所の南500mくらいのところに政府側検問所があり、バスを利用する旅行客はこの間を重い荷物をもって歩かなければなりません。右の写真は政府側検問所です。ここでは荷物を積んだトラックは積んでいる荷物を全て降ろして検問を受けます。食料でも、木材でも、砂利でさえ同じ検問を受けます。このための時間のロス、労力のロスは大変な物なのです。政府はLTTE支配地からの武器の流入、テロの材料の流入を極端に警戒しているのです。(暗い話題で終わるの残念ですが・・・)

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