四国遍路 第一回
第一回   2015年4月29日〜2015年5月15日
(17日間)
第1番霊山寺〜第37番岩本寺まで
第二回   2015年9月17日〜2015年9月25日
(9日間)
第38番金剛福寺〜第44番大寶寺まで
第三回 2016年10月20日〜2016年10月29日
(10日間)
第45番岩屋寺〜第69番観音寺
第四回未定 未定 
2015年4月29日(水)第1日目 第7番十楽寺まで

「第1番霊山寺」
   「第2番極楽寺」
   「第3番金泉寺」
   「第4番大日寺」
   「第5番地蔵寺」
   「第6番安楽寺」
   「第7番十楽寺」
 「第6番安楽寺」へ戻り
  歩行距離:20.1Km、歩数:36,433歩 宿泊:安楽寺宿坊

昨夜(4月28日)新宿駅西口バスターミナル22時発の「海部観光」が運行する夜行高速バス「マイリピート号」で徳島に移動しました。このバスは一人席3列のゆったりした座席配置で座席間隔は広く背もたれはほぼ水平近く倒すことができます。座席を他の客から遮断するようにカーテンが降すと個室感覚に近くなり非常に快適なものでした。乗務員の気配りにも大変感心しました。私の席は運転手の直ぐ後ろでしたので運転手と控え運転手が声を殺して小さな声で話し合っている様子がわかりました。車内放送は眠っている乗客に配慮して常に物静かな声でなされ ていました。運転は大変上手でアクセルとブレーキに細心の注意をい急加速・急停止を避けていました。勿論急なハンドル操作はなし。朝までぐっすり眠れました。

徳島駅に到着するまでの間に途中二カ所(足柄・甲南)のサービスエリアで休憩し、ほぼ定刻の朝6時過ぎに徳島駅前の「海部観光駐車場」に到着しました。駐車場の待ち合わせスペースで歯を磨き顔を洗った後直ぐ近くのJR徳島駅に向かいました。徳島駅から6時40分発の「高徳線各駅停車」に乗って第1番札所最寄り駅の「板東駅」まで移動しました。春の大型連休初日なので遍路客で混んでいるだろう想像したのですが全くそうではありませんでした。JR板東駅に着いたのは7時過ぎで天気は小雨がぱらつき始めていましたが、雨は本降りにはならず菅笠を付けていれば大丈夫な程度の雨に留まりました。この雨は午前中には止んで午後からは 晴れて少し蒸し暑くなりました。

板東駅から程近い第1番札所霊山寺には7時15分過ぎに到着しました。連休には団体客が押し寄せるという情報をネットで得ていたのですがお遍路さんの姿が少なかったので拍子抜けしました。団体客が多いと御朱印を貰うのに時間がかかるだろうと考え、 札所での滞在時間に余裕を持たせた遍路歩行計画を立てていたのですが、御朱印を貰う納経所で待たされることは全くありませんでした。第1番霊山時で 今回遍路での「ミニマムの参拝ルール」を決めました。

1.門前で拝礼
 2.本堂・太子堂礼拝準備(蝋燭点灯、線香3本、お賽銭、)
 3.納経(般若心経読経、御宝号、納札)
 4.御朱印受領
 5.門前で拝礼

 般若心経は何冊か本を読んで本来の意味はともかくどんなことが書かれているのかは大体わかります。普段から般若心経を写経して各寺に収めるようにすれば本当の「納経」となります。母が使っていた「般若心経写経セット」が 自宅にあるので今後は少しずつ書き溜めようと思いました。各寺の「ご本尊真言」には拘らないことにしました。真言は「かな書き」で正直言って何を意味しているのか全く分からないからです。

一番札所の霊山寺から二番の極楽寺に向かう途中の道では朝の散歩をしている地元のおじさんに追いついたので、並んで歩きながら話好きのこのおじさんから色々教えてもらいました。この辺りの遍路道沿いには「ドイツ人捕虜収容所跡」・「和三盆製造工場」・「藍畑」など徳島の歴史・文化に関する面白い遺物が点在しているので見過ごさないようにというアドバイスを頂きました。おじさんに勧められた「徳島ドイツ人捕虜収容所跡」に立ち寄ってみました。そこから程近い場所にある「第九記念館」 にも行ってみました。「第九記念館」には興味があったのですが朝早く閉館していたので外観を見るだけに留めました。「第九記念館」にはベートーベン が「指揮をしているブロンズ像」が立っています。この像は腕が少し大きすぎてバランスが悪いのですが 「カルロス・クライバー」が第九の1楽章を指揮すればこのような格好になるだろうなと勝手に想像しました。筋肉が盛り上がった逞しい両腕が流麗に動いている様子が表現されています。最近の指揮者では「パーヴォ・ヤルビ」の指揮姿が近いと思いました。

    
    第1番霊山寺仁王門       ベートーヴェン像

第一次世界大戦で捕虜になったドイツ人の中で徳島に送られた捕虜には「職人」が多かったのだそうです。1000人を超えるドイツ職人集団ですから様々な職業の方がいたようです。パン職人、チーズ職人、仕立て職人など一流の「業」をもったドイツ人がコミュニティを作ることになりました。徳島の人達がドイツ人捕虜に対して非常に暖かく、尊敬の念を持って接したのでドイツ人捕虜も心を開き、住民と捕虜の良好な関係が出来上がっていたのだと思います。捕虜の中にアマチュア音楽愛好家も含まれていてドイツ人捕虜楽団によるベートーベン第九の演奏に繋がったということです。第一次世界大戦時の捕虜 とのこのような触れ合いが10年・20年後に全く消え去ってしまったことは何が原因であったのか。今年は第二次世界大戦終戦から70年 目の節目の年でもあります。

遍路道途中の「セブンイレブン」で「海苔弁当」を買って朝食をすませ、8時50分には「第2番極楽寺」に到着することができました。朱色の山門が印象的な寺です。境内には弘法大師お手植えと伝えられる大きな「長寿杉」があります。この極楽寺は安産祈願でも有名なようです。極楽寺から第3番金泉寺へ は車の往来が激しい県道と並行した昔ながらの遍路道が続いています。昔の街道は適当に「くねり」をつけているので大変歩き易く感じます。現代の「車」優先の道 は真っ直ぐで遠くまで見渡せるようになっているので、目線が同じものばかりに向いてしまって変化に乏しく退屈し疲れを感じ易くなります。

   
極楽寺の長寿杉         金泉寺に向かう遍路道

9時50分過ぎには第3番金泉寺につきました。金泉寺にも朱塗りの「山門」があります。金泉寺近くにはJR高徳線の「板野駅」があります。JRはここから高松に向かって北上していきますが遍路道はJRと分かれて西に向かいます。金泉寺から第4番大日寺に向かう と車が通れない昔のままの歩き遍路道(山道)を経験することになります。この遍路道沿いには小奇麗な「愛染院」という庵があり歩き遍路にコーヒー等をお接待しています。ここでコーヒー用 に用意されていたのが「和三盆」(わさんぼう)でした。「和三盆」は徳島特有の「サトウキビ」で作られる高級砂糖で、遍路道沿いにこの和三盆製造工場があると朝の散歩のおじさんが話してくれたものでした。遠くから やって来る遍路にそれとなく「徳島名物」で接待する庵主の配慮に感心しました。「和三盆」は大変上品で繊細な味がしました。大日寺に向かう遍路道沿いにはもうひとつ興味深い場所がありました。それは散歩のおじさんに教えてもらった「阿波の藍」に関するものでした。遍路道沿いに以下を記した石碑が立っていました。

「岩田ツヤ子の碑」
 「第二次世界大戦中、国の方策に依り藍作りは食糧増産のため禁止的作物となった。藍は一年草のため、毎年種を作り続けないと途絶えてしまう。叔父佐藤平助の依頼を受け憲兵警察の目を逃れ命懸けでこの地において5・6年間種を作り続けた。捨て身の努力で守られた藍種により戦後いち早く佐藤家で藍作りが復活した。」この岩田ツヤコさんの「藍畑」と思われる畑が石碑の奥にありました。日本伝統の「藍」は剣道着や袴に使われています。サッカー日本団表のサムライブルーは こうした「日本古来」の武士のイメージからきているのでしょう。

   
愛染院の和三盆        岩田ツヤ子の碑

徳島自動車道のガード下を潜って北に歩き山の谷間に第4番大日寺があります。そして同じ道を戻り再び徳島自動車道の南側に戻ってくると第5番地蔵寺があります。第5番地蔵寺は北側から近づくと、まず「地蔵寺奥の院(弥勒堂、釈迦堂等)に行き着きます。大変立派なお堂群なのですがそこ には本堂・太子堂はありません。迷ったため地図で確かめたところ五百羅漢の南の別の敷地に札所地蔵寺があることが分かりました。歩き遍路道は必ずしもお寺の正面の山門から訪問するようには通じていないことの好例です。

  
地蔵寺本堂に向かう       安楽寺への遍路道   

第5番地蔵寺までの遍路道はずっと山道で食事をする場所がありませんでした。地蔵寺を過ぎたところで漸く交通量の多い県道に近づきました。時刻は午後1時30分を過ぎていましたので遍路道沿いの「だいせん食堂」で「うどん」食べて次の第6番安楽寺に向かいました。四国は「うどん」が美味しいだろうと思って入ったのですが至って普通のうどんでした。第6番安楽寺の少し手前には朝のおじさんが話してくれた「和三盆」の工場(影山製糖所らしい)がありました。この工場の隣はかなり大きなお屋敷がありました。この上板町では現在も4軒の製糖所で「和三盆」の生産が行なわれているようです。

第6番安楽寺には2時過ぎに到着することができました。天気が良くて気持ちよく歩くことができたし、朝食・昼食を簡単に済ませて時間のロスを最小限にしたこと、また各札所が空いていて順調に参拝することができたことが早く着けた理由です。今日の宿は「安楽寺宿坊」に取っていたのですが、安楽寺で参拝しても十分に時間があったので、晩御飯までに第7番十楽寺を参拝しておくことにしました。十楽寺までは往復2.5Kmの道程なので 約1時間の行程です。

初日の宿は「第6番安楽寺宿坊」です。宿泊客は29人だそうですがその中に外国人9人の団体が入っているとのこと でした。 夕御飯の時に少し話を聞いてみたところ、国籍はベルギー、ドイツ、ウクライナとバラバラなのだけれど「ベルギーから来た団体」だということでした。彼ら はこれまで長崎、広島、徳島(遍路)を回り、この後は京都、高山、白川郷、東京を観光するのだ と言っていました。お遍路を日本観光に組み込むあたりはかなりニッチな観光客です。 夕飯の席では女性遍路の南さん、桑島さん、大阪から来ている先達の「浜口さん」と一緒になりました。 

    
安楽寺鐘楼門          安楽寺宿坊での夕食

宿坊に泊まるからには修行として「お勤め」に参加することも重要な 修行なので夕食後の「安楽寺」の「夜のお勤め」に参加しました。、「お勤め前」の準備として「納札」に住所・名前など必要事項を記入し、次に供養したい人の名前を短冊に書いてこれを「楠木の枝」に結びます。更に木札に「願い事」を書きます。 これらと蝋燭が立てられたコップを受け取り「お勤め」が始まりました。本堂では住職の声に合わせて「般若心経、薬師如来の真言、弘法大師の宝号」を唱えます。こ の後本堂の横の部屋には場所を移します。そこは広い空間で脇には「人工の川」が流れているし、火が燃え盛る護摩壇も用意されています。この川で先ほどの「蝋燭の立っているコップ」を流します。ゆらゆら流れる蝋燭の火は幻想的です。先ほどの「供養したい人の札を付けた楠木の枝は川 の中に作られた小さな島に挿します。この「楠木の枝」はこの地方の独特の先祖供養の方法なのだそうです。そして願い事を書いた木札は火が灯されている「護摩檀」で燃やされます。このあと阿弥陀如来の周りの「南無阿弥陀物」と唱えながら3周回って終了でした。外国人の方々も興味を持って参加していました。

2015年4月30(木)第2日目 第11番藤井寺まで 

「第8番熊谷寺」
 「第9番法輪寺」
 「第10番切幡寺」
 「第11番藤井寺」
  歩行距離:21.4Km、歩数:36,807歩 宿泊:旅館吉野

安楽寺の宿坊で6寺30分から朝食を頂ました。昨日第7番の十楽寺の参拝を済ませて置いたので今日は十楽寺は素通りして、十楽寺鐘楼門前を通って第8番の熊谷寺に向かいました。宿からは5.4Kmの距離になります。天気が良くて強い朝の日差しと澄んだ山村の空気が美味しいので非常に気持ち良く歩くことができました。しかし5Kmを休憩無しで歩くと流石に足に負担が大きいようで左膝当たりに痛みを感じ始めました。左足は踵に爆弾(骨棘の悪影響)があるので注意しなければならないので「アミノバイタル」を早速一袋飲みました。これが効いたのかどうか膝の痛みは1時間後位で解消しました。

   
安楽寺宿坊の朝食          第7番十楽寺鐘楼門

朝8時15分頃には第8番熊谷寺に到着しました。朝早い札所は大変空いていたので順調に参拝を終えることが出来ました。熊谷寺は山合いの谷にあるお寺ですが境内が広々としていて大変立派なお寺なのでびっくりしました。ここから次の第9番法輪寺まではずっと下り坂なので法輪寺にはあっという間に着いた感じでした。法輪寺門前の茶屋には可愛らしい子犬(黒のレトリバーで生後2ヶ月ぐらい)が放し飼いで飼われていました。店のおじさんにに名前を聞くと「九ちゃん」だと教えてくれました。第9番法輪寺から貰われてきたのだそうです。これから第9番札所のマスコットになるのではないでしょうか。

    
熊谷寺の立派な仁王門     第9番門前の「九ちゃん」 

法輪寺から第10番切幡寺への遍路道は法輪寺から西に向かって伸び、再び北側の山腹を登る坂道となっています。この寺に行き着く手前最後の「333段」の急な階段は非常にきつかったです。参拝客用の駐車場は階段の下にあるので車で遍路している人も歩かなければなりません。山の中腹にある寺は行くのは大変ですが、この時期の里山では「ウグイス」が既に非常に鳴き方が上手になっていて息の長さを競うように鳴いていて楽しませてくれます。

   
第9番法輪寺本堂         第10番切幡寺の階段

切幡寺から下った辺りで12時になったのでお昼を食べる場所を探しました。街道沿いに大きな「うどん屋」がありましたが、昨日の失敗がまだ記憶鮮やかだったので今日はうどんはやめて置くことにしました。遍路道沿いにある小さなスーパーで弁当でも買おうと入ったところ、店内の隅で一人の遍路さんが腰を下ろして食事をしていました。そのスーパー入り口近くには小さな接待コーナーが作られていて、そこでお茶のお接待がありスーパーで買った物を食べることが出来るようになっています。私も「稲荷寿司」と「ブルーベリーパン」を買いお茶のお接待で頂くことができました。

スーパーのおばさんは稲荷寿司にはお茶、パンにはコーヒーだといって別々に作ってくれました。接待場所にはお友達だというもう一人の「おばさん」がいました。このおばさんが店を出て行った後にお店のおばさんが話してくれたところに依ると、その出て行った「おばさん」は切幡寺の麓の「うどん屋」の女将さんだったのですが一緒にやっていたご主人が亡くなったのでうどん屋さんを止めたのだそうです。今は90歳になるおばあさんとの二人暮らしだとのこと。切幡寺に向かう参道には看板があるものの営業をしていない「うどん屋」さんがありました。この小さなスーパーは「十川商店」という商店でした。

第10番切幡寺から第11番の藤井寺までは9.3Kmの長丁場です。10番切幡寺までの寺は吉野川の北側にありますが第11番藤井寺は吉野川の南側にあり、遍路道は吉野川を渡って徳島の平地を南北に縦断していくることとなります。「十川商店」から藤井寺までは8Km以上あるのですが、途中に手頃な休憩場所がなかったので結局休まずに歩いてしまいました。この間遍路道は吉野川の堤防内を歩くコースがあります。そして吉野川に掛かっている有名な「川島橋」を通過していくことになります。この橋は川の水量が増した時には水没してしまう橋です。水没したときに水の圧力で欄干・手摺が壊れてしまいますから最初からこの橋には欄干・手摺はありません。

   
私の遍路姿      吉野川堤防内の遍路道

藤井寺では私が参拝を始めた直後に大規模な団体遍路2組が到着しました。添乗員の方が「納経帳」を山ほど抱えて納経所へ急いで行きました。これは暫く時間がかかると思い、参拝を中断してベンチで暫く休むことにしました。団体遍路の方は大勢で声を合わせて「般若心経」を唱えるのでその横で別にお経を読むことは殆ど困難です。休んでいると団体遍路は間もなく居なくなり境内は驚く程静かになりました。それからゆっくりと参拝しました。藤井寺にはその名のとおり藤棚があり見事な藤の花が咲いていました。

   
藤井寺仁王門             藤井寺の藤棚

この日の宿は藤井寺からほど近い「民宿吉野」です。民宿吉野は場所が便利で歩き遍路に理解があるということで歩き遍路の間では大変人気があるようです。町からは少し離れていますが自転車を貸してくれるので買い物もできます。私も自転車を借りて町中のローソンまで買い物に言ってきました。歩くより自転車の方がずっと楽だということを改めて実感しました。明日は「第12番焼山寺」に向かう厳しい山道が待ち構えています。コンビニで「おやつ」を買うことができました。民宿吉野の夕御飯で焼山寺への遍路道についての話題が豊富でした。昨日「安楽寺」で一緒だった「南さん」と「浜口さん」が一緒でした。ベテラン浜口さんからは山登りに関しての薀蓄をたっぷりお聴きしました。


旅館吉野の晩御飯

2015年5月1日(金)第3日目 焼山寺登山

「旅館吉野」から
 「第12番焼山寺」 
 「鍋岩荘」まで
  歩行距離:16.8Km 歩数:30,888歩 宿:鍋岩荘

旅館吉野を06:45分に出発して、昨日参拝した第11番藤井寺本堂脇の上り口から焼山寺までの急峻な山道に挑戦です。山の中の遍路道沿いにはコンビニなどありませんから、お昼御飯として旅館吉野に「おむすび二つ」を頼んでおきました。この遍路道には6箇所の「遍路ころがし」と呼ばれる急坂があります。そうした急坂を含め第12番焼山寺まで12.9Kmあります。普通の人が歩くと6時間かかるというコースです。そして「焼山寺から3.4Km山を下ったところに今日の宿の「鍋岩荘」があります。

   
     旅館吉野の朝食        遍路ころがし」の始まり

藤井寺から「焼山寺」までの約13kmの遍路道沿いには3つの「庵」があります。藤井寺から最初の休憩所「長戸庵」までの道程は3.2Km、「長戸庵」から次の「柳水庵」までが3.4Km、「柳水庵」から次の「浄蓮庵」までが2.2Kmです。「浄蓮庵」から「焼山寺」までは4.1Kmです。藤井寺の標高は40m、焼山寺の標高は700mなので650m強登ることになります。

○藤井寺(H  40)ー長戸庵(H440) 道程3.2Km 標高差400m ずっと登り。
   ○長戸庵(H440)ー柳水庵(H500) 道程3.4Km 標高差60m、途中標高540mの峠通過
   ○柳水庵(H500)ー浄蓮庵(H745) 道程2.2Km 標高差245m ずっと登り。
   ○浄蓮庵(H745)ー焼山寺(H700) 道程4.1Km 標高差▲45m途中標高400mの谷通過

最初から急坂連続なのでこのコースに初めて挑む遍路には大きな試練となります。最初の休憩地「長戸庵」には8時15分過ぎにに到着しました。この3.2Kmの坂道を通過するのに1時間30分かかりました。焼山寺まの遍路道沿いにある3つの「庵」は全て廃業となっています。二番目の柳水庵はつい最近(と言っても数年前)まで営業していたとのことで遍路の中にはそこに泊まった経験のある人も多くいます。長戸庵・浄蓮庵は相当以前から営業停止となっているようで建物の朽ち具合はひどいです。この3箇所は山道の中で貴重なトイレ休憩場所となっていますが利用するのが憚られるほど傷んでしまっています。女性遍路には大変厳しい状況となっています。

   
長戸庵               柳水庵

四国遍路道を世界資産に登録しようという動きがあるようですが、歩き遍路のサポート設備であった遍路道沿いの「庵」がどんどん廃屋化していく状況は、遍路文化の伝統的価値が損なわれてしくことを意味していて、世界遺産登録への大きな障害となっていくと懸念されます。山の中の遍路道にある「庵」は季節で極端に増減する遍路客だけを相手にして宿泊施設を維持するのは難しくなっていることは事実だと思います。歩き遍路の数はブームの時代に比べると大分減ってきているようです。

一方で「庵」と対照的に札所となっている「寺院」には納経料はじめかなりお金が入るらしく、建物を改装したり増築したりする寺院は幾つもあるようです。歩き遍路は減っても「観光バス」や「マイカー」での遍路の数は着実に伸びているように思えますから札所は駐車場を整備したりしてそういう遍路客への利便を考えるようになるのでしょう。高速道路を初めとする道路整備・便利な場所に設置される「奇麗なトイレ」完備のコンビニは益々車の便を良くしていきます。

更に遍路道途中にある遍路用民宿の営業にも大きな問題が発生しているようです。運営者高齢化のために「歩き遍路」に親しまれてきた有名な民宿がどんどん閉鎖されています。海釣り、海水浴等も取り込める立地にある民宿はまだ存続可能なようですが、昔ながらの遍路相手の民宿は継続が非常に難しくなっているようです。もっとも歩いて遍路する側も考えるべき事はあると思いました。お尻洗い便座付ききトイレが欲しいとか、温泉があったほうが良いとか贅沢を言わないようにすべきだと思います。民宿運営者としては設備更改したのは当然だと思いますが、歩き遍路だけでは資金回収は難しいと思われるのです。

「柳水庵」には9時30分頃到着しました。長戸庵から柳水庵への道はそれほど険しくは無いので1時間で歩くことができました。柳水庵にはまだ宿泊できる「建物」が残されています。この建物が手入れされずにどんどん朽ち果てていくのは非情に残念です。「浄蓮庵」には10時45分頃に到着しました。この区間は坂道ではありますが整備された車も通れる道が殆どなので比較的快適に歩けました。「浄蓮庵」から「焼山寺」までの区間ではいったん標高400mの谷まで山道を下り、再び標高700mの「焼山寺」に登ることになります。ここの登り坂も結構険しく焼山寺へのっ最後の難関となっています。

   
 浄蓮庵の一本杉      途中で見かけた「雪餅草」

「第12番焼山寺」には午後1時少し前に到着しました。6時45分に吉野を出てから6時間余りかかりましたので標準的時間の範囲内であったと思います。長らく人間ドックで指摘されてきている「不整脈」が悪さをしないか注意して歩きましたが、60歳直前の身で標準的に歩くことができたということは健康である証拠だと思います。

「焼山寺」には宿坊があります。午後1時に到着すればそこに泊まらずとも山を下ってもっと先の遍路宿まで辿り着く事が出来ます。ここの宿坊は「焼山寺」の「奥の院(1.4Km先)」を参拝する人には便利な宿となっているようです。「歩き遍路」には「折角焼山寺まで来たのであるから奥の院を是非参拝したい」という人と「まずは八十八札所を優先に歩こう」という人が居て、後者の人等が焼山寺宿坊を利用するようです。更に焼山寺から「第13番大日寺」に行く遍路道には「玉ケ峠」を通る最短ルートと「神山温泉」を通る迂回ルートがあります。時間に余裕があれば焼山寺宿坊に泊まり「神山温泉ルート」を経由してじっくり遍路をすすめてみるのも面白い経験だと思います。

   
焼山寺仁王門             杖杉庵の銅像

今日の宿は焼山時から3.4kmほど下った鍋岩荘です。ここは「住友産業」の保養所だったようですが、今では歩き遍路の間では有名な名物宿となっています。「住友産業」というのは大坂にある折り畳み座椅子を製造するメーカーのようです。焼山寺から鍋岩荘に向かう遍路道沿いに「杖杉庵」があります。「杖杉庵」は「遍路の元祖」と称される「衛門三郎」を祀った庵です。「衛門三郎」は自分の非礼を償うため「弘法大師」を探すために四国八十八箇所札所を20回歩き回り、21回目で漸くこの地で大師に巡り合うことができました。大師は衛門三郎を許しましたが衛門三郎はここで亡くなってしまいました。大師は衛門三郎をここで葬り「杖」を墓標としたのでしたが、やがて杖は根を張り枝を伸ばして杉の大木に成長したのだそうです。歩き遍路にとってはとても大切な場所だと思います。

「鍋岩荘」には3時に到着しました。早く着く事ができたのでゆっくり風呂に入り洗濯をしました。午後5時に町内放送で「夕焼けこやけ」が流されましたが、その音楽に合わて近くで犬が遠吠えを発したので鍋岩荘には番犬が居ることがわかりました。声の主は雑種の「ぼ てち君」で大変人なつこい犬でした。この日の鍋岩荘と昨日の吉野でも夕食に独特「汁物」が付いていました。鍋岩荘の方に聞いてみたところ、徳島郷土料理の「そばごめ」という汁でした。具として「ソバの実」が沢山入っています。チキンスープ仕立てで鶏肉も入っています。「かまぼこ」も入っていてお正月料理のようでした。

   
鍋岩荘番犬「ボテチ」            鍋岩荘の夕食 

2015年5月2日(土)第4日目 大日寺宿泊

「鍋岩荘」から
 「第15番国分寺」
 「第14番常楽寺」
 「第13番大日寺」
  歩行距離:22.6Km 歩数:43,813歩 宿:大日寺宿坊

鍋岩荘を7時15分に出発しました。徳島県遍路道の難関だとされる「焼山寺」登りを終えた安堵感のせいで少しノンビリしてしました。鍋岩荘から次の札所「第13番大日寺」までは遍路ルートには「距離は長いけれど緩い下り坂が続く神山温泉経由の道」と「距離は短いものの玉ケ峠越えの険しい道」の二つがあります。私は距離の短いルート(約17Km)を選 びました。しかしこれが結構厳しい山道で、いきなり急峻な上り坂が数Km続きました。しかしこの坂道頂上の「「玉ケ峠」を越えてしまうと後は緩やかな下り坂とアスファルトで舗装されたなだらかな道が続きました。

   
鍋岩荘の朝食         玉が峠後の快適な下り道

昨日は急坂を降りる場面で慎重にゆっくりと降りてきたのですが、ゆっくり下る場合と少しスピードを上げて下るのとでは膝への負担がそれほど変わらないことに気づきました。それならば膝への負担を増やさないように足(膝)をできるだけ上げないで(忍者のように)小走りに降りるとスピードがだせることになります。位置エネルギーを無駄にしないで足への負担を最小限にして早く歩けば効率があがるだろうととの素人考えです。「坂登り」は根性ですが「坂下り」は工夫次第でいろいろな歩き方ができることが分かりました。

   
鮎喰川を降りていきます        神山地区の遍路小屋

山道からいったん谷に降りてしまうと、後は谷を流れる「鮎喰川」に沿った舗装道路の道です。ここはひたすらがんばって歩くだけです。道の片側には「鮎喰川」がずっと続いています。何人かの方に「鮎」は釣れるのか聞きましたが、鮎漁解禁日は6月1日だそうですが、最近では「サギ」と「鵜」が飛来して解禁日の前に「鮎」を食べてしまうのだとグチをこぼしていました。

遍路道が通過する「阿川地区」という場所を通ったときに非常に興味深いものに出会いました。その集落では街道に沿った多くの家屋の前に等身大の人形が飾ってるあのです。多くは老人の人形ですが、孫と思われる子供と並んで居る人形もあります。人形はそれぞれが非常に「優しい」表情をしています。人形の飾っている家の隣の家の人が偶々戸外に出ていたのでこの人形のことを聞いてみました。

このあたりの集落でボランティアが等身大の案山子(人形)を作り初めたということですが、阿川地区では写真を基にして最近亡くなった方に似せた人形を作るようになったのだというこのです。その人の隣の家の人形は亡くなったの「お婆さん」に似せた人形を作ったとのことでした。お年寄りの人形はモデルが生前にきていた服やら帽子をそのまま身に付けているのだそうです。遍路道を歩いているとお墓を自宅敷地に隣接して作っている家が多い事に気づきます。先祖の墓を自宅近くに作り、事ある毎にお参りできるようになっているようです。亡くなったお年寄り人形もそんな風習の延長なのかもしれません。

    
阿川地区の人形        神山地区の畑の中の古墳

比較的順調に歩くことができたので「第13番大日寺」には相当早く付いてしまいそうなこととなりました。時間がもったいないので、少し遠回りして「第15番国分寺」と「第14番の常楽寺」を先に参拝することにしました。そのために県道を途中の「入田春日橋」で折れて遍路道から外れ「第15番国分寺」に向かいました。国分寺に行くと中で軽トラを運転してきたおばさんがわざわざ軽トラで追いかけてきて「八朔とレモン」を接待してくれました。

既に国分寺近くまできていたので、軽トラのおばさんに辺りの地理を聞いてみました。田植え前で水の張ってある田圃の中のこんもりした小山は古墳だと教えてくれました。また近くの山の山頂に「雨乞い神社」があったとか、この辺りが昔等から古い言い伝えが沢山ある場所だということを教えてくました。奈良飛鳥、吉備、信州上田、府中の国分寺など何カ所か国分寺のある場所を知っていますが、この阿波国分寺も奈良飛鳥と似たような雰囲気を持っていると思いました。奈良時代に国分寺の場所の選定した人達はよほど奈良飛鳥の雰囲気が好きだったのだと思われます。

第15番国分寺の少し北側で遍路道に戻り「国分寺、第14番常楽寺、第13番大日寺」の順序で参拝していくことにしました。これが所謂「逆打ち」 です。距離は短かったですが「逆打ち」の難しさを実感しました。遍路道には数十メートルおきに「遍路道」の標識がありますが、この標識 の殆どは「順打ち」遍路に見やすい場所にあります。標識に従って「順打ち」で進んでいくと間違えない交差点も「逆打ち」には 標識が見つけ難く間違えやすくなります。何回か道を間違えて大分時間をロスしてしました。

第15番国分寺は創建当時は七重の塔があったという立派なお寺で現在のお堂も何となく格式があるように思えました。今は徳島市内からは遠い場所にありますが、嘗てはこの国分寺を中心に官庁建物が沢山ありました。国分寺の北側には「阿波史跡公園」があります。国分寺の北側にある「第14番常楽寺」は境内の敷地が「流水岩」といわれるデコボコした岩盤で出来ています。こういう場所に寺を作るのは珍しいです。

   
立派な国分寺本堂          常楽寺のデコボコな境内

第14番常楽寺から第13番大日寺までの遍路道を逆に歩くのは大変でした。途中遍路道が分からなくなっ てしまったのでサクランボを採っていたおばさんに道を教えていただきました。このおばさんは「サクランボを食べていきなよ」とお接待でしてくれました。そのサクランボの木は子供が食べるのに丁度良いような高さの場所に多くのサクランボが熟していました。粒は小さいですが真っ赤なサクランボは大変美味しかったです。

このサクランボの家からそれほど遠くない家の庭には珍しい動物が飼われていました。遍路道に近い庭の一角に犬用のケージがあるのですが檻の中には猫とも犬とも違う動物が飼われていました。直感は「たぬき」でした。丁度この家の奥さんが玄関から室内に入ろうとしているところだったので、急いで檻の中の動物は「たぬき」かどうか聞きました。予想通り「狸」 。丁度外に出ていた家の方に話を伺いました。名前は「タンコ」で雌雄不明。首に散歩用のチェーンをつけて散歩もさせているのだそうです。 「第13番大日寺」では家の庭に10匹近くの「模様様々、大小様々」の猫が群れている光景に出会いました。近くには餌を入れるトレイがいくつかあります。その家の人は相当猫好きな人に違いありません。猫ものびのびしていました。

   
「お手」をする「タン子」          のんびり猫

この日の宿「第13番大日寺」では夜の「お勤め」はありません。その代わりに 翌日朝6寺から住職様のお話を聞く「朝のお勤め」あるとのこと。有名な韓国舞踊の大家の女性住職がどんな話をしてくれるのか楽しみです。夕食でテーブルが一緒になった三重県からきっと家族連れのお遍路さんから貴重なお話えお聞きました。この一家3人は車で遍路していて88カ所札所は当然として別格20寺院も何回か回っているという強者です。今回は娘さんを連れての特別編で「別格第3番慈眼寺」を参拝してから住職の話で有名な「大日寺」に泊まりに来たとのことでした。「別格3番慈眼寺」には「穴禅定」といって暗闇の洞窟の中を通り抜ける有名な場所があるということです。蝋燭一本で50分程洞窟を潜っていくのだそうですが、洞窟が狭く且つくねっているので通常では経験できないスリルを味わえるのだそうです。初めてだったという娘さんも大分感動していました。

   
ご朱印受領(住職のお父さん)        大日寺の夕食

その「別格第3番慈眼寺」は八十八箇所を巡る遍路道から数Km離れているので「歩き遍路」には非常に行き着くことが難しいということです。この 家族の話を聞いて私も行きたくなりましたが、地図で見るかぎり相当無理をしないと行けそうにありません。そこに行くには明後日の予定えを修正する必要があります。その後の宿も既に手配してあるので行くことは無理だと判断しました。

2015年5月3日(日)第5日目 徳島市縦断

「第16番観音寺」
   「第17番井戸寺」から徳島市内
 「ピッツェリアスガッチー」で夕食(往復2Km)
  遍路歩行距離:16.1Km 歩数:38,224歩
  宿:徳島市二軒屋オリエントビジネスホテル

第13番大日寺の朝の「お勤め」はファンがいるだけあって非常に面白いものでした。読経の後でご住職の講話がありました。ご住職は韓国伝統舞踊の一人者であり、 四国公演の際に先代大日寺住職に見初められて前住職と結婚することになったそうです。ところが結婚 の8年後に先代住職が突然亡くなられたため、急遽大日寺住職を引き受けることになったのだそうです。その時住職はまだ日本語を十分に話せなければ漢字も読めない状態 であり、幼い子供と一緒に韓国に戻って韓国で暮らすことも考えたそうですが、大日寺を改築するために先代住職が銀行からお金を借りた借金がまだ1億円以上残っている 大切な時期であったので、大日寺経営の責を引き受けることにしたのだそうです。

ご住職の自己紹介に続いて「家族への感謝」と題のお話がありました。日本人は家族どうしでは「感謝」を言葉に出すことは少ないのではないか。家族の間でも「ありがとう」と感謝の言葉を掛け合うことは非常に大切なことだと話されました。韓国の人間国法級の舞踊家だというご住職は大変若々しく非常に勢力的な方です。日韓関係がギクシャクしていることにも少し触れられて両国民の相互理解に少しでも貢献できればと話されていました。但し、「家族間の感謝の言葉」など関して、韓国の人々から見ると「日本人」が「シャイ」に見える事が良く分かりました。日本人の感情を表に出さない態度は韓国の方からすると少し物足りなく思えるのだと思いますし、韓国人の直截的な感情表現は日本人からすると少し不躾に見えるのだと思います。難しいところです。

  
大日寺の朝食             ご住職との記念写真

大日寺を7時30分に出発し昨日来た同じ道を辿りました。「逆打ち」ではなく「順打ち」においては遍路道を示す案内が非情に分かり安い場所にあることを再確認しました。「第14番常楽寺」、「第15番国分寺」 は昨日参拝を済ませているのでそこは素通りして「第16番観音寺」に向かいました。 国分寺からは道は整備されていて観音寺には午前9時には到着することができました。観音寺北東でJR徳島線を渡り、「第17番井戸寺」に参拝しました。井戸寺は徳島市街地に近く平坦な場所にあります。これまで山間の遍路道を歩いてきたので街中の遍路道はとても新鮮に感じました。

   
観音寺の鐘楼門          井戸寺の「井戸」

「第16番観音寺」、「第17番井戸寺」には多くの遍路が参拝していたのですが、遍路道の私の前後には歩き遍路の姿は全くありませんでした。昨日まで前に行ったり遅れたりしていた歩き遍路達は 既に先の方まで行ってしまったのかもしれません。 今日は「井戸寺」参拝の後「徳島市内」に入って「寄道」をすることにしていました。実は郵便局のキャッシュコーナーでパスワードを3回間違え口座にロックがかかってしまたのでした。今日から連休なので郵便局でロック解除手続きができるのは連休明けの6日となってしまいます。仕方が無いのでクレジットカードでキャッシングするために四国4県で唯一のセゾン窓口のある徳島駅前の「そごう」に寄ることにしたのでした。また徳島駅から少し東に行った場所に「真のナポリピザ協会認定」のピッツェリア「スガッチイ」があるということを調べていたのでそこでナポリピザを食べようと考えていました。

徳島駅前「そごう」周辺の道には派手な格好(コスプレ)をした若者が沢山集まっていました。5月3日から5日まで全国のアニメファン・コスプレファンが徳島に集ま る「マチ・アソビ」というイヴェントが行なわれていたのでした。ゲストとしてアニメの声優さん、子供向け番組主人公を演じる俳優さん を向えています。集まっているのはテレビやマンガのキャラクターのコスプレを趣味とする人、そしてコスプレしている人達の写真をカメラで撮ろうという写真マニア です。奇抜な格好をしているコスプレファンの中にあっては。白装束で菅笠を被る「歩き遍路」は全く目立ちませんでした。 このイヴェントのお陰で徳島市内の宿泊施設は殆どが満員状態なので、徳島から二駅目二軒屋駅前にあるビジネスホテルを漸く確保できたのでした。

 無事にお金を降ろしてから、「ピッツェリア・スガッチー」へランチが食べられるかどうか電話したのですが、生憎ランチは予約で一杯だというので夕方5時30分からの夕食を予約しました。 昼食はピザの代わりに「徳島名物の徳島ラーメン」を食べる事にしました。 一旦今日のホテルまで歩くこととして、二軒屋に行く途中の「両国」という徳島ラーメン屋さんで徳島ラーメンを頂きました。非情に濃厚なスープで美味しかったです。生卵無料で濃い目のスープに生卵を入れると 一層まろやかになりました。

   
二軒屋駅構内の看板      二軒屋のホテルオリエント

今日の宿は徳島から南に走るJR徳島線の二つ目 の駅「二軒屋」というところにあります。二つ目といっても駅間が短いので歩いても大した距離ではありません。駅前にある「オリエントビジネスホテル 」はかなり古く宿泊料金は非常に安いホテルです。一泊朝食付きで4600円。徳島市内の主なホテル・旅館は連休のイベントで一杯なのに、空いているということは「相当な」ホテルだとは予想していましたが、駅前で近くのスーパー・薬局のある便利なホテルでした。

必要な品物の補充を終えてからピザ屋さんい向かいました。一度JR徳島線に乗って徳島駅に出て「徳島土産」を買って埼玉に送りました。今回の遍路は高知まで行く 予定なので徳島土産は持って 歩くことはできません。遍路においては不要と分かった荷物や特産物の土産などはさっさと送ってしまいできるだけ身軽で歩くことが大切だと痛感しました。ピザ屋さんは駅前ロータリーからフェリー乗り場行きのバスに乗って行き 、バス停から少し歩く距離にあるのですが「多少の歩き」は全く苦になりませんでした。

    
美味しかった徳島ラーメン     スガッチィのマルゲリータ

 「スガッチィ」のマルゲリータピザは「トマトソースの美味しさ」 に特徴があると思いました。さすがに「認定店」だけあってレベルの高いマルゲリータでした。帰りは徳島駅まで歩きJRで徳島駅から二軒屋まで移動しました。 駅前の「そごう」で現金を調達するやら「ピッツェリア」でマルガリータを食べるやらで「半日」遅れてしまいました。これまで一緒になあったお遍路さんはずっと先に行ってしまったようです。

2015年5月4日(月)第6日目 金子屋さんへ

「第18番恩山寺」
 「第19番立江寺」
 歩行行距離:22.6Km 歩数:40,294歩 宿:金子屋

朝食はオリエントビジネスホテル2階レストランで頂いたのですが、このレストランの朝食がホテル設備の「シャビー」さとは 対照的に美味しかったことに驚きました。私は和食を選んだので味わえなかったのですが、洋食コースには何とサイフォンで作る本格的なコーヒーが付いているのです。店の中央にコーヒー用のサイフォンが3つセットされていて手際よくコーヒーが準備されていました。 西日本では珍しい納豆付きの和食も十分美味しかったです。

   
オリエントビジネスホテル朝食      国道55号線沿いの奇麗な休憩所

朝7時20分に宿を出発しました。この日は久しぶりに朝から小雨が降っていました。カッパを着るほどではなく菅笠 を被ればで凌げる程度の雨でした。今日は徳島市内を南北に通過していく平坦なコースなので多少の雨は大丈夫です。天気の崩れ が今日一杯で終わって明日回復すればラッキーです。明日は「第20番鶴林寺」・「第21番太龍寺」の二つの山中にある寺を順に参拝するコースとなり 遍路道は山道となります。

徳島市内の遍路道は国道55号線がメインです。広い国道の側道を小松島に向かいます。国道両サイドの歩道は整備されていて歩きやすいですが車の騒音が煩く快適とは言い難かったです。「第18番 恩山寺 」に向かう遍路道は「国道55号線」から分かれて次第に山道となっていきました。昔は海岸線が山まで迫っていたのだと思いますが、細くなった遍路道沿いに源平合戦の折に源義経群が屋島の平氏を攻めるために摂津から船出して四国に上陸した場所 だという碑がありました。その後の遍路道沿いの幾つかの場所に義経に因んだ言い伝えのある場所がありました。

    
義経上陸の碑         恩山寺の仁王門

「第18番恩山寺」には9時30分頃到着しました。雨は既にあがっていました。恩山寺は空海が修行していた際に訪問してきた母「玉依御前」のために女人解禁の法要を行って迎え入れ、「玉依御前」は恩山寺で出家・剃髪してその髪を奉納した場所なのだそうです。空海の母「玉依御前」は空海が高野山を開いた後に四国から空海の住む「高野山」を訪れています。空海は高野山が女人禁制なので麓の街の「慈尊院」に母を住まわせて月に9回高野山を降りて母の住む慈尊院に通ったのだそうです。それがその町の「九度山」の謂れです。空海の母「玉依御前」は大変活発なな方だったようです。

   
玉依御前石碑         見事な竹林(弦巻坂)

第19番立江寺の手前には「お京塚」という祠がありました。なんでも情夫と共謀して旦那を殺して捕まった「お京さん」が罪を償って改心して亡くなった場所なのだそうです。ま新しい「お京さん」の位牌 が置かれていて今でもお参りに来る人がいることが分かります。「お京」さんはどんな女性だったのか。私の今年の占いで「旅 では女性に気をつけなくてはならない」ことになっていることを思いだしました。今のところお京さんを始め女性にいろいろ世話になって助けられている感じ がします。正月の占いの託宣は感謝の気持ちを忘れるなということだと理解しました。

「第20番立江寺」には11時30分頃に到着しました。立江寺は光明皇后(聖武天皇の后)の安産を祈願して建立されたという由緒があり、罪を犯して逃げてきた「お京」さんに説教して出家させたのもここの住職だったのだそうです。立江寺には宿坊があり昨日頑張って歩くとここまでたどり着くことができたのですが、ナポリピザのためにそれは断念したのでした。今日5月4日 は端午の節句の準備で立江寺近辺の和菓子店は忙しそうでした。立江寺門前の和菓子屋さんで柏餅をひとつ購入して食べました。徳島の この辺りでは「柏の葉」の代わりに「サンキライ(山帰来)の葉」を使うのだと店の方が教えてくれました。サンキライの葉は柏の葉よりも小さく中の餅を完全に覆うことはできません。

   
真新しいお京さんの位牌         立江寺仁王門   

第19番立江寺から第20番鶴林寺の麓の民宿金子までは10.2Kmの道程です。坂がきついということではないですが変化のない風景が続 くので退屈しました。立江寺近辺では食堂が休みお菓子屋さんしか営業していませんでした。仕方がないのでお菓子屋さんで 節句用の「お赤飯」を買って途中の休憩場所で食べました。

勝浦町の町に入ると遍路道沿いの家で武者人形を飾ってる家が何件かありました。雛人形を表に出して飾ることは良くありますが武者人形は珍しいと思いました。 道沿いの新聞販売店の方に話しを聞いたところ、昔は三月に雛人形を飾っていたようですが、町のボランティアが5月の連休には武者人形を飾ろうという取り組みを始めたのだそうです。雛人形ほど華やかではないですがゴールデンウィークなので観光客 向けの広告塔になっているようでした。

民宿「金子屋」は便利な立地なので遍路の中では有名な場所です。今日は歩き遍路6人、そのほかに自動車で回っているグループが宿泊していました。個人で回っているの遍路 の中の一人が慈眼寺(別格3番)に歩いて行ってきたと言っていました。行くだけで大変なので有名な「穴禅定」までは行かずに別格20カ所の「数珠玉」だけを手に入れてきたとおっしゃっていました。今日は午後3 時過ぎ宿に到着して、贅沢に1番風呂に入り洗濯も済ませました。

   
沿道に飾られた武者人形            金子屋の夕食

 遍路さんどおしの話題は、宿舎(民宿・宿坊)のことと遍路道の様子に尽きます。昨日から徳島ではゴールデンウィークに合わせた 「コスプレイベント」が行なわれいるので市内の主要ホテルは予約が取れない状況なのですが、殆どの歩き遍路さんは徳島市内でどんなイヴェントが行われてい るのか全く知らず興味もないようでした。遍路に集中しているのだと思いますが少し寂し感じもします。土地の名物を知り、名産を食べ、その土地の人々を理解することも 遍路の楽しみだとは思います。

2015年5月5日(火)第7日目 太龍寺登山

「第20番鶴林寺」
 「第21番太龍寺」
    距離:15.5Km 歩数:26,662 宿:民宿坂口屋

今日の遍路道は焼山寺登山に続く山岳コースでした。まず宿舎の金子屋から「第20番鶴林寺」に登ります。 遍路情報地図では「金子屋」近辺の標高は30mで鶴林寺の標高は500mです。そして次の「第21番太龍寺」に行くためには一旦標高40mの那賀川まで谷を下って、標高550mの山頂にある太龍寺まで再び山を登らなければなりません。今日の宿民宿「阪口屋」は太龍寺から山を下った標高80mの場所にあります。

午前7時に宿を出発しました。玄関の外で私より少し早く準備が整った東京から来た「金高さん」に合いました。彼女は自分で「形から入るタイプ」と言うだけあって遍路姿が決まっています。上下の白装束は当然で、地下足袋・手甲・脚絆を身に付け、当然菅傘をかぶり、杖・数珠を持ちながら歩きます。一方で私と同じ吸水装備を身につけ・アミノバイタルを飲み、毎日その日の記録をブログにアップするという近代設備にも通じているのです。 一般に女性遍路は男性より用意周到な感じです。

   
金子屋朝食              完璧な遍路姿(金高さん)

「第20番鶴林寺」には8時15分過ぎに到着しました。遍路道の坂は半端ではなく険しいもので山道に階段が作られていま した。階段の無い山道だと歩幅を狭くして調節できますが、階段がついていると普通の歩幅でつい調子に乗って歩いてしまい直ぐに息が切れてしま います。長い山道なのでゆっくりと登りましたがそれでも1時間余りで登ることができました。遍路道の途中で これから登っていく「太龍寺山頂」を見渡せる場所を通りました。一旦降りることになる谷も見渡せました。

   
太龍寺への遍路道案内版     実際の道(かなり遠く感じます)

 鶴林寺には立派な三重塔があり、寺の名前の由来となっている「雌雄の鶴」の像が本堂の正面に据えられています。とても趣のある寺院だと思いました。鶴林寺から 勝浦川への下り道は傾斜がきつい場所もありま した。上り坂より下り坂の方が危険なので注意して降りました。勝浦川にかかる「水井橋」を谷底として再び太龍寺への上り坂となります。

   
鶴林寺の仁王門          鶴林寺三重塔

「第21番太龍寺 」には11時過ぎに着きました。太龍寺は「西の高野」とも呼ばれる寺で趣があり大変美しい寺です。この寺近くまで「太龍寺ロープウェイ」が通じていてロープウェイが着く度に多くの観光客・遍路がやってきます。山頂付近にはレストランも宿泊施設もありませんから遍路はこのロープウェイを利用して麓まで降りて用を足すことが可能です。

この日は鶴林寺・太龍寺の二つの伝統ある寺院参拝のため、拝観の時間の余裕を見てスケジュールを組んだのですが、険しい山頂にあるため寺の敷地面積が限られているのでゆっくり拝観してもそれ程時間を必要としませんでした。太龍寺から約4Km下った場所にあるこの日の宿の「坂口屋」さんには2寺30分頃到着し てしまいました。多くの遍路は「坂口屋」からさらに7Km程度歩いて「第22番平等寺」近辺に宿を取っているようでした。

   
太龍寺の仁王門           民宿坂口屋の晩御飯

私は遍路計画を立てる時に、一日どれくらい歩けるのか分からなかったので、比較的安全サイド に立って計画を組みました。今日で遍路6日めですが、私の脚力・体力は平均より勝っているように思えるようになりました。これからの行程は大凡の計画は立てているものの宿泊場所をまだ予約していないので、少しキツ めの計画に組み替え1日の移動距離をもう少し伸ばそうと決めました。今日の宿の「坂口屋」さんは遍路客にとても親切です。夕ご飯も非常に美味しかったです。

(追記)民宿「坂口屋」は今年(2015年)の夏の台風で被害を受けて9月1日をもて廃業されたそうです。一方「坂口屋」手前に既に廃業されたという「龍山荘」がありましたが真新しい看板がかかっていました。本当に廃業したのかどうか不明です。

2015年5月6日(水)第8日目
徳島県にお別れ

「第22番平等寺」
   「第23番薬王寺」
    歩行距離:31.1Km 歩数:51,612歩 宿:国民の宿ウミガメ荘

今日は「第21番太龍寺」下の民宿「坂口屋」から「第22番平等寺」を経由して海岸に出て徳島県最後の札所「第23番薬王寺」まで行きます。宿は薬王寺手前の「ウミガメ荘」を予約しました。今日の歩く距離はこれまでの中で一番長くなります。これから1日の歩く距離を長くしようと考えました。

「坂本屋」を6時40分に出発しました。遍路道は途中のの「大根峠」まで登り道です。この峠までの坂道は大変キツかったです。その日の歩き始めに急坂があると、歩き始めは元気なのでつい歩きのテンポが上がってしまい急激に体力を消耗することが分かりました。歩き始めの坂道は無理をせず歩数を費やして心臓に負担がかからないようにしようと思いました。

   

民宿坂口屋朝食           平等寺の仁王門

大根峠を越えて下り坂になると遍路道は大変のどかの感じになりました。第22番平等寺には8時20分の到着しました。平等寺は山の麓にある寺院で本堂まで急な階段が続いています。納経所にはお茶の「お接待」がありましたし有名な「霊水」に因んだのかとても水を奇麗に飾っていました。こじんまりした寺院ですがとても清楚で心配りの行き届いた魅力的な寺院だと思いました。

    
本堂と弘法の霊水            楓とシンビジウム

 平等寺を後にするとひたすら徳島県南部の海岸を目指すことになります。海岸に向かう道はいくつかの尾根を越えるので上り・下りの坂道となります。登り坂で「山の峠」に差し掛かるととたんに風速が増すことに気付きました。峠が風の通り道となっているのです。峠を抜ける風を感じ始めた時にリュックを持ち上げて背中とリュックの間に隙間を作り風を通すと大変気持ち良いことが分かりました。峠は背中を冷やす絶好の場所です。

第23番薬王寺への遍路道は途中で大きく二つの道に分かれています。ひとつは平等寺から国道55号線に合流しそのまま内陸を走る国道55号線に沿って日和佐まで行く道、もう一つは国道55線から別れて県道25号線にそって由岐まで南下しそこから海岸づたいに日和佐を目指す道です。私は海岸を通る道を選びました。海岸に近いといっても由岐から日和佐までの道は結構アップダウンのきつい道でしたが、やはり海が見える景色は素晴らしいものがあります。これから暫くは海沿いの遍路道が続くようです。

由岐の町の漁港には12時少し前に到着しました。漁港では「テングサ」を乾している漁師さんがいるだけで、昼近くの漁港は基本的には閑散としています。近くのスーパーでパンを買ってここの漁港で昼食を食べました。由岐の町を過ぎると「田井ノ浜」という海水浴に絶好の砂浜があります。この砂浜を見下ろす遍路休息所では車遍路のカップルが休んでいました。私も田井ノ浜の写真を撮るためにその休憩所に登ったところ、彼等はこの辺の名物だというお菓子を接待してくれました。彼等二人は7年前の夏にもこの休憩所で野宿したのだと話してくれました。7年前はちょうど台風に遭遇しこの休憩所で宿泊して全身びしょ濡れになったのだと思い出話を聞かせてくれました。四国を襲う台風はさぞ強烈なのだろうと想像しました。

   
由岐の漁港            田井ノ浜休憩所

 3時少し過ぎの今日の宿の「国民宿舎うみがめ荘」に着きました。ここでリュックサックを預かってもらい日和佐の町にある「第23番薬王寺」に向かいました。薬王寺のある日和佐町は非常に伝統のある町で、阿波から土佐に通ずる街道の宿場として昔から繁盛していたようです。「薬王寺」に向かう参道には立派で門前町ができています。その一角に「さくら庵」と名付けられたその接待所(コミュニティセンター)がありました。そこは古い商家を日和佐町が貸し出しているのですが、マレーシアでの長期滞在から帰国したというご夫婦がつい最近始めた接待所だということでした。お茶とお菓子のご接待を頂きました。お遍路も含めて町の人気スポットに成長していって頂きたいと思いました。

「第23番薬王寺」には午後4時に到着しました。薬王寺は大変大きな立派なお寺でした。 日和佐の町を見下ろすことが出来る山の中腹に「瑜祇塔(ゆぎとう)」があり遠くからも特徴的な姿を見ることができます。朝一番のお寺も良いのですが、1日の終わりの夕方の寺院は参拝客が少なくゆったりしていて気持ちが安らぐ感じがします。(追記)私が訪問した2015年5月時点で薬王寺宿坊は休業中だったのですが、2015年7月から営業を再開したようです。「国民宿舎うみがめ荘」も趣がありますが、薬王寺の宿坊に泊まることができればそれに越したことはありません。温泉施設も完備していてなかなか商売上手なお寺だと思います。

   
薬王寺仁王門          瑜祇塔から眺める日和佐の町

 国民の宿「ウミガメ荘」の面している浜辺は「ウミガメ」が産卵にやってくる場所として有名です。5月2日の今年最初のウミガメの上陸が観測されたのだそうです。まだ 産卵の季節には早いのでく夜の監視は行なわれていないとのこと。産卵シーズンになるとこの「ウミガメ荘」に宿泊してウミガメ産卵シーンを見学する客が増えるのだそうです。「ウミガメ荘」の隣には「日和佐ウミガメ博物館 」があり広い水槽には沢山のウミガメが泳いでいます。ここに飼われているウミガメはそれ程大きくはありません。

   
うみがめ荘の夕食           ウミガメ博物館水槽のウミガメ
 

2015年5月7日(木)第9日目 室戸を目指して一日目

室戸岬を目指す第1日目
 距離:29.3Km 歩数47,042歩 宿:海部「生本旅館」

「第23番薬王寺」から「第24番最御崎寺」までは75.4Kmという長丁場です。私は第24番まで行くまでに途中で、海部の「生本旅館」、佐喜浜「民宿徳増」宿泊し、この長距離を3日間かけて歩くことにしました。第1日目は日和佐からJR牟岐線・国道55号線に沿って「牟岐」を経由し、牟岐から海部(海陽町)まで歩きます。

「国民宿舎ウミガメ荘」を朝7時に出発しました。晴れ上がって良い天気です。今日は一日中歩きなので歩き易いように「遍路グッズ」は全てリュックに入れ込みました。基本的には国道55号線を歩くことになり、幹線道路沿いにはコンビニが所々にあるので食料・トイレの山道を長時間あるく時の心配は要りません。従ってしばしば美しい海を見ながらの快適な歩きとなりました。

   
ウミガメ荘の朝食     日和佐トンネル入り口

海部までの区間では3人の遍路と相前後しながら進みました。一人は奈良から来ているという遍路馴れしている若い男性。彼とは以前にも会ったことがあり、そのときは外国人の女性遍路(既に一周しているベテラン)と一緒でしたが今日は一人でした。彼女がどうしたのか聞いたところ、足の豆の肉刺(水膨れ)が酷いために「日和佐」で一日休養することになったとのことでした。この青年は歩きのペースが早く休憩も少ないのでズンズン進んで行きました。更にフランス人の男性(フィリップさん)と韓国人の女性(ノ・ウルさん)とも何箇所かで一緒になりました。フィリップさんは長期休暇を取って日本を回っているのだそうです。ノさんは学生で二回目の四国遍路だということでした。二人とも寝袋を担ぎ基本的に「善根宿」に宿泊して回っているという強者です。従って二人はかなり大きな荷物を背負っているので歩きのペースはゆったりしていました。

薬王寺から15Kmくらいの進むと牟岐の町がありJR牟岐駅には11時30分頃到着しました。駅を行き過ぎ牟岐警察署近くにある遍路休憩所はネットではかなり有名です。私がコンビにでオムスビを買って休憩所で食べようと「休憩所」を探していると後ろから「フィリップさん」と「ノさん」が追いついてきました。丁度お昼時だったので3人一緒に牟岐の休憩所で休ませてもらいました。休憩所では二人のおばさんが番をしていて大変親切に接待してくれました。お茶・お菓子を出してくれた後に「ゆで卵」を接待してくれました。今日は歩き遍路の数が少なく少し手持ちぶさただったようで我々3人が訪れると「待ってました」という勢いでした。この接待所は地域のボランティア30人位が順番に面倒をみているとのこと。外国人二人(そして私も)は親切なお接待を受けて大変喜んでいました。こういう風習が残っていることが歩き遍路の人気を支えているのだと思いました。

   
牟岐休憩所               鯖太子手前の海岸の遍路道

 牟岐トンネルを過ぎると昔の遍路道は国道55号線から別れて山道に入っていきます。遍路地図には「国道55号線」を遍路道と指定してるのですが、実際には「旧遍路道」が多く存在しています。たぶん昔の遍路道は切り立つ岬の山沿いにくねっていたのだと思いますが、「55号線」はトンネルを掘って「直線道」にしてしまっています。また「国道」は道の狭い昔からの街中を通らずにバイパス的に迂回しますが、旧道は街の中心地区を貫いています。複数の遍路道がある場合にはできるだけ旧道を歩こう考えて遍路道を選択することにしました。その結果この牟岐警察署から「鯖太子」までは殆ど旧道を通ることとなりました。旧道は海岸の岩場などをも通っていて高低差があり他の通行人のいない静かなものでした。 

   
海岸の遍路道           鯖太子

「鯖太子」には午後1時30分頃到着しました。四国には「四国八十八箇所札所」のほかにも数多くの空海の足跡が残されていて八十八箇所に入っていない20の寺院が集まって、1968に創設されたのが「四国別格二十霊場」です。古くから歩かれている「四国八十八箇所」に準ずる札所とされていて、ベテラン遍路の中には八十八箇所と合わせて巡礼している方が多いように思えます。その別格札所の中でも「鯖大使」は「第23番薬王寺」と「第24番最御崎寺」を結ぶの75.4Kmに及ぶ遍路道上にあり、宿坊があって宿泊できるので多くの歩き遍路が立ち寄るようになっています。私も八十八箇所以外の寺院で唯一御朱印を頂いてきました。

   
落ち着いた海部の街並み     生本旅館の夕ご飯(豪華でした)

 今日の宿は「海部」に取りました。海部町は薬王寺から約28Kmの距離にあります。後6Km程度歩くと「宍喰温泉」という魅力的な宿泊地があり、そこまで頑張って歩くことを考えたのですが、無理はやめて手前の海部で泊まることにしたのでした。「海部」の町は小さいながら趣のある町だと思いました。商店街には「ピアノ・楽器屋」さんがありました。この小さな町で楽器店がやっていけるのは大したものだと思いました。宿の生本旅館の入り口応接コーナにかつてお嬢さんが弾いていたのだというアップライトピアノが置いてありました。街道筋にはカラオケ店が多いことにもびっくりです。音楽(歌)が盛んな町なのだと思いました。生本旅館の今晩の遍路客は3人。神奈川、千葉、さいたま(私)からきた遍路でした。神奈川からの青年は今回八十八箇所を通しで全て回るとのこと、千葉からの女性は今日でいったん区切るのだそうです。今日で徳島県とはお別れになり明日はいよいよ高知県に入ります。  

2015年5月8日(金)第10日目 室戸を目指して二日目

室戸岬を目指す2日目
 海部町宿(生本旅館)から佐喜浜町宿(徳増)まで
   距離:32.4Km 歩数:50,397歩 宿:徳増(佐喜浜町)

室戸まで75.4Kmの長丁場の2日目です。徳島県海部町の「生本旅館」を出発し途中で徳島県から高知県に入り、佐喜浜町の旅館「徳増」まで32.4Kmの歩きです。生本旅館を朝7時に出発しました。今日のコースの遍路道は殆ど国道55号線とダブっているので、車道の路肩の歩行者用側道を歩く時間が長かったです。また峠にはトンネルが掘ってある場所が多くトンネル歩きも何回かありました。国道といっても交通量はそれ程多くはないのですが、たまに通過する車はスピードを出しているのでトンネル内はかなり怖いです。また国道と並行して営業距離8Km余りの「阿佐海岸鉄道」が走っています。この鉄道は国鉄時代に建設が開始され国鉄経営悪化で工事が中断した後、県・沿線自治体が出資して会社を設立して平成4年に開業したということです。

     
生本旅館の朝食        那佐湾の美しい風景

 

海部の町を出発してまもなく左手にゆったりした風景が現れます。かなり幅広い海峡の向こうに長い島が横たわっているように見えます。しかしその島に渡る橋はありません。遍路道地図で確認すると海峡だと見えたのは「那佐湾」であり、島だと見えたのは細長い長い半島でした。「那佐湾」は数Kmに及ぶ深い湾でこの日は波は殆どなく大きな河口のように見えたのでした。

海部の町から6Kmの距離にある「宍喰」の町には8時15分に到着しました。ここには「道の駅宍喰温泉」があり、となりには立派な建物の「ホテルリビエラ宍喰」があります。「道の駅宍喰温泉」の二階にも安く泊まれる3部屋の宿泊施設があるのだそうです。3部屋なので直ぐに予約で一杯になってしまいますが運が良ければ泊まれるとのこと。ホテルの豪華な風呂を使うことができるのだそうです。因みに今日は空きがあるとのことでした。「宍喰」はゴルフの尾崎3兄弟や昔の阪急の上田監督の出身地なのだそうで、物産館の一角には尾崎兄弟・阪急の上田監督を顕彰するコーナーがありました。「宍喰」が徳島県最後の街で、宍喰を過ぎるといよいよ高知県に入ることになります。

 

       
立派な宍喰温泉          いよいよ高知県入り

「宍喰」から8Km位先に「東洋大師明徳寺」という寺院がありました。ここで少し休ませて頂きました。東洋大師には宿泊施設もあり歩き遍路にとっては有難い寺院ではあります。真言密教を実践するという少々生々しい感じの寺院でした。弘法大師に関する寺院でも四国には様々な形態の寺院があるのものだと感心しました。東洋太子には大きな犬が飼われていて休憩用の長椅子で堂々と眠っていました。名前は「弁慶」だということでした。

   
東洋大師境内        弁慶君です

東洋大師を11時30分頃に出発したのですが、その先には休憩場所が殆ど無くて、コンビニで買っておいた「お握り」は遍路道沿いの「法海上人堂」で食べました。ここは「トイレと水がある」と看板に書かれてはいますが、かなり傷んでいて両方とも利用するには憚られるものでした。法海上人堂に到着したのは午後1時過ぎになっていました。こういう町から外れた場所では早め早めに休憩場所を確保すべきだとつくづく思いました。

更に一時間歩くと「佛海庵」という小奇麗な庵がありました。そこで昨日「牟岐接待所」で一緒になった「フィリップさん」と「ノさん」コンビに追いつきました。この日は天気が良かったので「テント・寝袋」などをこの庵の庭で干していたのだそうです。彼等は相変わらず「善根宿」「テント泊」で回っているのですが疲れた様子でした。フィリップさんは「足の筋肉が痛いし、そろそろ洗濯もしたい」とぼやいていました。「ノさん」にも疲れが見えていたので秘蔵の「アミノバイタル」をお接待しました。これで元気を取り戻してくれていれば良いのですが。ここから「室戸岬」まで野宿する場所を探すのは大変だと思います。その室戸岬では明日5月9日土曜日に第一回のトライアスロンレースが行われる有線放送アナウンスが案内していました。国道55号線一部の車両交通は規制されるようです。

   
荒れた法海上人堂       小奇麗に整備された佛海庵

民宿「徳増」には午後4時に到着しました。午後4時でも遍路客の一番乗りです。他の遍路が苦労して歩いていることを想像しながら一番風呂に入り、ゆっくり洗濯できるというのは少し複雑な気持ちです。民宿「徳増」は名前の古さと全く違って建物は新しく非常に快適でした。「徳増」の名物は何といっても優しくて働き者で歩き遍路に人気のある「おばあちゃん」です。歩き遍路のことを十分に分かっているので痒いところに手が届くといった気配りです。宿泊する歩き遍路は各自のペースで朝の出発はバラバラなので朝ご飯もバラバラに食べることが多いですが、夕ご飯は基本的に宿泊している遍路客が一緒に食べます。名物おばあちゃんも話の輪に入って美味しくてとても楽しい夕食でした。

 
2015年5月9日(土)第11日目 室戸岬を通過

「室戸岬」を目指す3日目:第24番最御崎寺から第26番金剛頂寺まで
   ○宿から第24番最御崎寺まで15.5Km
   ○第24番最御崎寺から第25番津照寺まで6.5Km
   ○第25番津照寺から第26番金剛頂寺まで3.8Km
   ○第26番金剛頂寺から道の駅キラメッセまで1.6Km
   歩行距離:27.4Km 歩数:44,562歩 宿:民宿「うらしま」

室戸岬までの道程も3日目となりました。今日の行程は佐喜浜の「民宿徳増」から只管室戸岬を目指し、室戸岬の第24番最御崎寺を参拝して室戸岬を北上して第25番津照寺、第26番の金剛頂寺を参拝するというものでした。朝6時30分には「徳増」の朝食を済ませ7時に出発しました。20分ほど歩くと海岸沿いに「鹿岡の夫婦岩」が見え始めます。この辺りは変化のある海岸線となっています。

   
徳増の朝食            鹿岡の夫婦岩

遍路道となっている国道55号線のところどころから雄大な太平洋が見渡せます。東北地方太平洋岸、茨城県あたりまでは太平洋の向かい側は「北アメリカ」です。従ってユーラシア大陸とアメリカ西部を結ぶ「海底ケーブル」は最短距離の日本を通過することになります。しかし関東南部・本州西部・四国の太平洋は海の向こうは何処なのか直ぐには思いつきません。インドネシア・オーストラリアなのでしょうが、インドネシア・オーストラリアに向かって船を漕ぎだそうという気持ちにはなりません。船での交流は「東西貿易」が一般的で「南北貿易」は航路には向かないのでしょうか。世界の東西の旅なら同じような気候帯をずっと進むことができますが、南北は気候が反転してしまいます。そんなことを考えながら歩きました。

室戸岬に近づくにつれて弘法大師に関連する興味深い場所が少しずつ現れるようになりました。9時50分過ぎ国道の右側山側の中腹に巨大な白い「空海象」が見えてきます。この像が「室戸青年大師像」で遠くからでも目につきます。この立像は昭和59年に真言宗の信徒の方や一般からの寄進で建立されたものです。高さ21mで「青年大師」だけあって厳しい修行を行う顔付をしています。この像が建てられている寺院は「明星来影寺」というのだそうです。この「明星来影寺」から10分ほど歩くと、空海が籠もって修行したとされている海岸近くの洞窟「御厨人洞(みくろど)」があります。「雄大な太平洋」を見渡せる「座禅場所」としては絶好の場所だと思われます。

   
室戸青年大師像      大師が修行された御厨人洞

御厨人洞から更に20分ほど歩くと国道55号線から「第24番最御崎寺」につながる遍路道が現れます。ここから最御崎寺までは約20分の道のりでした。最御崎寺に到着した直後から雨が降り出したので早々に参拝を済ませ、「室戸岬灯台」に立ち寄って次の札所の第25番津照寺に向かいました。室戸岬と最御崎寺は室戸市の最南端にあり、室戸の遍路道は室戸岬から北上して室戸市の市街地に向かいます。

  
最御崎寺への遍路道        最御崎寺仁王門
      
室戸岬灯台            室戸市街の遠望

この日5月9日は室戸市の「漁港・坂道・海岸道路」を利用して第一回「室戸トライアスロン大会が行われていました。12時30分スタートで漁港内のスイミングから始まり、海岸に沿った国道55号線を使って自転車とマラソンが行われたようです。このレースのために国道の一部が車両通行止めとなりました。普段は多分静かな漁港なのでしょうがこの日はトライアスロンレースで賑わっていましたし、競技者・観客向けの臨時テントの売店が多く設営されていいたので、私はスタート・ゴール地点付近に設営されていたその一つのテントで昼飯を頂きました。さすが土佐だけあって「鰹のたたき」用の藁や火を燃す大型の炉が用意されていましたが、観光客向け値段になっていました。昼過ぎから雨が強くなったので笠とリュックにカバーをかぶせ上下のカッパを身に着けました。カッパとリュックカバーは準備した甲斐がありました。この雨は夕方まで続きました。第25番「津照寺」には午後1時に着きました。津照寺のある近辺が室戸の町の中心部なのだと思われ、最御崎寺が岬の突端の山にあるのと対照的に町中にある感じがしました。津照寺は大変こじんまりした寺でした。小さな山門をくぐると大師堂と納経所があり、寺の本堂は125段の石段を登った山腹にあります。町に溶け込んでいるような寺でした。

   
津照寺山門       津照寺大師堂

津照寺を過ぎて直ぐのところにお魚を店先に沢山ならべている魚屋さんがありました。新鮮で美味しそうな魚の写真を撮らせて頂いていると「食べて行きなよ」と「一人前」の差刺身盛り合わせを作ってくれました。鰹の刺身と近海マグロの刺身で本当に美味しくて感動しました。申訳ないことに物欲しいそうな遍路姿の効果は大したものがあります。お返しに「般若心経」でも唱えると恰好良いのでしょうが私の遍路修行はまだその域に達していません。丁重にお礼をしてお返しとしました。

     
親切な浦戸屋さん          お接待で頂いたお刺身

5月9日は室戸岬のトライアスロン大会でもありますが、もう一つの行事で第26番「金剛頂寺」の御祭礼にあたっていました。そのため「歩き遍路」の間では人気のある金剛頂寺の宿坊が臨時休業となってしまいました。「御祭礼」では仕方がないのでこの日は金剛頂寺への登り口にある民宿「うらしま」に宿をとりました。この宿は金剛頂寺への上り口にあるため、リュックを民宿に預けて26番金剛頂寺を参拝してきました。帰りは26番からは遍路道に沿って27番方向に山を下りて道の駅「キラメッセ」まで進みました。帰りはバスを利用して「うらしま」まで帰ってきました。民宿うらしまの夕食では名物の「鰹のたたき」がでました。これからしばらく「鰹のたたき」が続きそうです。津照寺から金剛頂寺に向かう街道沿いにはこの地方独特の「水切り瓦」を施している漆喰壁に出会います。室戸は台風銀座で毎年大きな台風に襲われるのですが、その台風の暴風雨から建物の壁を守るのがこの「水切り瓦」なのだそうです。漆喰壁の作り方にも独特のものがあるようで伝統的な台風対策ですが、町の景観にも独特な味わいを醸し出しています。

   
水切り瓦と漆喰壁          金剛頂寺

雨は夕方にはあがりましたが、靴と雨カッパはずぶ濡れになりました。民宿「うらしま」さんはこういう場合の対処には十分に慣れているらしく、靴乾燥用の新聞紙とカッパを乾かすハンガーを用意してくれました。また宿泊客が少なかったので洗濯もゆっくりすることができました。これに加えて美味しい晩御飯を頂いてお蔭で今日の苦労の連続の「歩き」の疲れはすっきりと消え去りました。民宿「うらしま」には「しま」という黒猫がいます。推測できるのですがかつては「うら」と「しま」という二匹の黒猫がいたのだそうです。残念ながら「うら」は民宿の前の道路で交通事故に遭って亡くなったしまったそうです。現在では「しま」だけが客に媚びることなく民宿のい飼われています。

   
「うらしま」の夕食      「うらしま」の看板猫「しま」

2015年5月10日(日)第12日目 神峰寺登山

民宿「うらしま」から
 第27番神峰寺まで(25.9Km)
 第27神峯峰寺から下山(6.5Km)
 歩行距離:32.4Km 歩数:53,196歩 宿:ドライブイン27

民宿「うらしま」さんの前の通りはバスも通る結構交通量のあるバス通りです。黒猫「うら」が交通事故に遭ったということも無理からぬことだと思いました。一階のレストランで朝ご飯を済ませて朝7時13分のバスに乗ってキラメッセまで行こうとで出発しようと考えていたのですが、「うらしま」の奥さんが6時59分のバスでも間に合うと言うのでついその言葉に乗って急いでしまいました。バスには無事に乗れたのですが、座席に腰掛けるときに吸水ストローをどこかに引っかけてしまったらしく、降りる間際にペットボトル給水器から水が漏れ出ていることに気づきました。飲み口が外れて床に落ちていしまっていたことに気がつき飲み口を拾ったのですが、二つあるチューブ固定装置の一つがリュックから外れて無くなっていることにバスを降りてから気づきました。チューブ固定装置は一つでも十分固定可能なので利用には支障がでませんが、バスに急いで乗ろうとして注意力が散漫になっていたことがこの失敗の原因です。やはり自分のぺースを守らないと不都合な事が起こると反省しました。

   
「うらしま」の朝食        民宿うらしま正面

今日の遍路道の途中の公衆電話で5月11日、12日の宿を予約しました。事前に想定していた宿より少し先の宿を選びました。事前の想定では「自分の体力」に自信が持てなかったので「標準的な遍路」の一日に歩く距離をベースにして、今回の後半の高知県に入ってから体力不足でバテる可能性を想定して少し余裕を持った計画になっていました。しかし実際に歩いてみると、これまでの毎日の「長距離通勤」で歩く訓練ができていたお蔭だと思いますが、一日に歩く歩数を標準より少し多めにしても大丈夫なことが分かりました。体力不足に陥るのではなくて、逆に多めの歩数に身体が順応できるようになっているようです。今日の遍路道は国道55号線を室戸市から一路北に向かっています。道はほぼ海岸線に沿っていて坂道は多くはないです。

「キラメッセ」から少し歩くと遍路道は「吉良川」の街に入っていきます。吉良川の遍路道沿いに「水切り瓦と白漆喰」の土蔵があちこちに見ることができます。吉良川は「伝統的建造物保存地区」に指定されています。室戸岬の西側は台風の通り道になっているのでこのような独特な建築が考案されたようです。また途中で土佐くろしお鉄道終点の「奈半利駅」を通過しました。奈半利駅は「ごめん・なはり線」の終着駅で「ごめん・なはり線」は奈半利駅と後免駅間42.7Kmを結んでいて、後免駅ではJR土讃線に接続しています。「後免駅」からのJR土讃線は「窪川駅」まで延びていて、その先は「宿毛」までやはり土佐くろしお鉄道の「中村宿毛線」が接続しています。まだ随分先ですが今回の遍路は「窪川駅」近くにある「第37番岩本寺」まで行く予定としました。「窪川」から「高知」まではJRの特急列車で「約1時間」です。高知まで戻ればそこからバスか飛行機で首都圏に戻れます。

   
吉良川の土蔵          「なはり駅前」

今日の宿は「とうの浜」地区の「ドライブイン27」に取りました。「27」というのは「第27番札所神峯寺」の麓にあるとことから来ています。「とうの浜(唐浜)」地区には「ドライブイン27」の他に「浜吉屋」「民宿きんしょう」の3件の宿泊施設があります。しかしドライブイン27のお隣にある「民宿きんしょう」は営業停止になっていました。「きんしょう」は大規模な民宿で相当多くの遍路を泊めることができそうです。少し前の遍路情報(日記等)では歩き遍路の間で大変人気のある民宿でした。大規模な民宿は逆に運営が難しくなってきているのでしょうか。「民宿きんしょう」が閉鎖されてしまったので「とうの浜」の民宿事情は厳しくなってしまいました。一方かつて「とうの浜」には「坂本屋」という民宿があったとのことです。その坂本屋は「よさこい・かんざし騒動」で有名な、高知竹林寺の僧「純信」と駆け落ちした「お馬」が裁きの後に高知から追放となり、その唐浜の坂本屋で勤めていたのだそうです。この騒動が起こったのは1854年だそうです。それ程昔の話ではないのですね。

    
ドライブイン27       とうの浜の民宿案内

「道の駅キラメッセ室戸」から22Km程度歩いて、宿の「ドライブイン27」にリュックを預け、そこから更に4Km先の山中にある「第27番神峯寺」を参拝しました。「第27番神峯寺」までの往路は山登りだったので厳しいものでした。神峯寺は山の中腹にあるので境内が狭くところどころに階段があります。神峯寺の納経所は一番下に本堂・大師堂など参拝した後に回る順番になっているのですが、納経所が丁度空いていたので先に納経印を押してもらおうと思ってお願いしたところ、納経所には納経を済ませてからお出でくださいと冷たく拒否されました。歩き遍路に取り組むからにはそこまできちんと約束事に従うことが求められるとは思いますが、団体バス遍路の添乗員が御朱印帖や掛け軸を山ほど抱えて納経所に走り込む光景は幾つかの札所で目にしました。そういう団体に遭遇すると納経所でかなり待たされることになります。空いているのなら柔軟に対応しても良いのではと思われます。


神峯寺の山門

      
神峯寺の大師堂           神峯寺 本堂

神峯寺からは来た道を戻るのではなく次の札所に向かって山間の遍路道を出来るだけ進み、国道55号線に出てから「ドライブイン27」にバスで戻ってくることにしました。結果としては神峯寺から更に6.5Km程歩き国道沿いの「下山」というバス停まで進んでそこから今夜の宿に戻ってきたのでした。途中横浜から来たという「原田さん」に出会いました。原田さんとは「徳増」・「うらしま」と宿が一緒でした。72才だという原田さんは、華奢な身体ながら山登りで鍛えた脚力と近代的遍路装備(くつ、リュック、水筒など)と常に早め早めに対応する用意周到さでどんどん進んでいます。私も原田さんを見習って夕方は宿に早く着くことを考えずに、時間と体力のある限り少しでも前に進んでおくという作戦を取ることにしたのでした。実はサングラスをした原田さんは「タモリ」そっくりなのです。私は原田さんは本当は「タモリ」ではないかと思っています。

   
ドライブイン27夕食         宿のお祖母ちゃん

「ドライブイン27」はレストラン、民宿、お遍路用品販売の店です。この「宿」はお婆ちゃんと娘さん(忙しい時に手伝いに来る)が運営しています。従って大勢の遍路客を扱うことはできません。宿泊場所は浜沿いドライブインとは別になっていて、少し離れた住宅に隣接する古い民家を活用しています。そこまでは「娘さん(といっても孫がいますが)」が車で送ってくれます。宿の建物は大変古くて狭いものでした。宿泊可能な部屋は二間だけで、トイレ・風呂は建物の外に別作りになっています。トイレの外に電気が付いていましたがトイレ個室には電気が無いので夜中に大変苦労してしまいました。今回の遍路でこれまで泊まった宿の中で古さ・不便さでは圧倒的に「No.1」です。最近の歩き遍路はこういう施設は好まないだろうなと思いました。しかし大変貴重な経験をさせてもらった思いました。「ドライブイン27」の宿泊客は私一人のはずでしたが、夜になって若い学生風の遍路がふらっとやって来ました。食事の準備は出来ないようなので「娘さん」と一緒にスーパーに食事の買出しに出かけたようです。この宿が一杯だったときは「駅」にでも泊まれるような装備を背負っている若者でした。(彼とはこの後何回か会いました。追記)

2015年5月11日(月)第13日目  高知市に到着

ドライブイン27⇒大山4.4Km(バス)
   大山⇒伊尾木駅3.1Km
   伊尾木駅⇒球場前駅4.1Km
   球場前駅⇒八流山極楽寺4.2Km
   八流山極楽寺⇒琴ケ浜4.7Km
   琴ケ浜⇒道の駅夜須5.1Km
   道の駅夜須⇒民宿かとり4.4Km
   民宿かとり⇒「28番大日寺」3.5Km
   距離:31Km 歩数:47,645歩 宿:民宿喫茶「きらく」

今日は「第27番神峯寺」の麓の「ドライブイン27」で朝食を頂いて向かいのバス停から高知市に向けて出発しました。昨日夕方に前方の「下山」まで進んでおいたので今日はその地点までバスで移動ということです。7時丁度の朝一番のバスに乗ったところ、車内の多くの二人掛けの席に傍らにカバンと荷物を置き席を一人で独占して高校生が爆睡していました。彼らは毎日このバスに乗ってこのような形で通学しているはすですので、偶々乗り合わせた遍路が彼らの邪魔はできません。一番後方の席で小さくなっていました。

   
ドライブイン27の朝食       防波堤に沿った遍路道

今日の最初の遍路道は「国道55号線」「土佐黒潮鉄道ごめん・なはり線」に沿った「歩道・サイクリングロード」をひたすら歩くことになりました。左手に太平洋を見ながら同じような風景の中を進むだけで非常に退屈する区間です。しかし天気が良いので非常に気持ちの良い道でした。遍路道は伊尾木の待ちを抜けて「安芸市」に入っていきます。「安芸」の街は古くから開けていたようで趣のある街並みが続きました。 街並みを抜けると遍路道は再び海岸にそったサイクルロードとなります。サイクルロードは車が通らないので保育園児の遊び場ともなっていました。

    
安芸市内の遍路道        サイクルロードの子供達

安芸市を過ぎて香南市にはいると非常に珍しい光景に出合いました。小高い峯の遍路道から香南市夜須町に向かって降りていくと、遠くに何か大きなものが直立している姿が見えました。次第に近づいてみるとそれは「道路」であることが確認できました。アスファルトで舗装された「道路」が90度近く垂直に壁のように切り立っているのです。これは実際には「可動橋」で「高知県手結港臨港道路可動橋」というのだそうです。私の見たのは丁度橋が持ち上がっているところでした。そして橋を眺めている中に橋がだんだん下がり始めました。午後1時になると橋が降りて再び水平な道路が現れるようです。それにしてもすごい光景でした。

   
香南市の可動橋           絵金蔵 弁天座

香南市を更に進んでいくと「赤岡」という地区に入ります。その街中には古い建物などを解説した立て札が沢山たっていました。それほど歴史的に貴重だったりする訳ではないようですが、街全体が嘗ての伝統を大切にしていることが想像できます。そんな雰囲気の中で「絵金蔵」に遭遇しました。「絵金蔵」という妙な名前に惹かれて寄り道してみると、そこには立派なミュージアムと劇場がありました。今は合併して香南市となっていますが嘗ての「赤岡の町」には江戸から明治期に活躍した画家の「弘瀬金蔵(絵金)」という画家が住んでいて、絵金が襖に描いた浮世絵が多く残っているのだそうです。更にその絵金の描いた「浮世絵」をバックにした「芝居」が行なわれ、そうした伝統文化保護に賛同した「市川海老蔵公演」も今年(2015年)の秋に行なわれるのだそうです。非常に元気な「香南市赤岡」の町を発見しました。「絵金蔵」のことを教えてくれた家には「大きな身体の可愛い声をした猫」が飼われていました。名前は「じゃじゃまる」で8歳になる三毛猫です。体重は5Kgで少し太り気味でした。この辺りでは有名な猫だということです。

 
じゃじゃまる

今日の宿は事前には「赤岡地区」にある「民宿かとり」にしようと考えていたのですが、もう少し頑張って歩くことにして第28番近くの「民宿喫茶きらく」に取りました。第28番大日寺は既に高知の平野の中にある寺です。室戸岬以来札所と札所の距離が長かったのですが、これから高知の都市部の札所を巡っていくことになります。そうすると一日に数カ所納経することができます。「大日寺」も街中の寺という雰囲気があります。

   
大日寺本堂          大日寺大師堂

今日は終日良い天気で気持ち良く歩くことができましたが、明日は「台風6号」が接近するので天候が心配です。台風は今日の夜中から沖縄石垣島に接近して前線を活発化させるために明日の高知県の天気予報は昼前から暴風雨です。「きらく」でも明日本当に出発するのかと聞かれました。台風が来るのなら一日休めば良いのにということです。「台風」との遭遇も経験なので明日予定通りに歩くことにしました。その代り台風襲来前に少しでも歩いておくために、朝食を取りやめて今夜中に「お結び」を作っておいてもらうことにしました。「きらく」の夕食はびっくりするほどの「おかずたっぷり」でした。それも家庭料理で味付けも美味しいのです。朝食を「おむすび」にしたことを少し後悔しました。

   
「きらく」さんの夕食          「きらく」さん

2015年5月12日(火)第14日目 台風の中高知市縦断

○第28番大日寺から第29番国分寺9.2Km
 ○第29番国分寺から第30番善楽寺まで6.9Km
 ○第30番善楽寺から第31番竹林寺まで6.6Km
 ○第31番竹林寺から第32番禅師峰寺まで5.7Km
 ○第32番禅師峰寺から宿まで6.5Km
 距離34.9Km、歩数:57,233歩、宿舎:国民宿舎桂浜荘

この日は遍路道は高知市内を北から縦断するものです。遍路道は途中土佐電の市内電車の「文殊通り駅」を通過することになるので、一旦そこで遍路道を離れ電車で高知市内に出てホテルに荷物を置き、軽装となって再び文殊通駅から遍路を始めようかと考えたのですが、それは止めて出来るだけ先に進むことにしました。高知市内では「桂浜だけ」は見ておきたかったので、第32番禅師峰寺を参拝してもう少し頑張れば「桂浜」に近い宿に泊まることが出来るのでそこで宿を取ることしたのでした。その結果この日の歩行距離は約35Kmと今回の遍路で最長となりました。

一方、皮肉にも今日は台風6号が高知県に接近する日に当たってしまいました。天気予報では昼前から午後・夜にかけて暴風雨となると報じています。台風季節がまだ早いとは言え、高知県に近づく台風は関東で経験する台風と違って「活きが良い」でしょうから気を付けなければなりません。雨が降り出す前にできるだけ距離を稼いでおきたかったので、朝食は抜きにして代わりに「オムスビ」を作ってもらって朝5時に宿を出発しました。もっと早く起きたのですが、暗いと道を間違える恐れがありますので、明るくなって遍路道の目印が分かるようになるのが5時だったのです。

   
朝5時出発         途中の松本大師堂 

朝5時は厚い雲が垂れ下がっていましたが雨・風はまだ無くて涼しいので快適に歩くことができました。午前6時40分には第29番「国分寺」に到着しました。さすが国分寺で非常に重厚なお寺です。まだ朝早いので参拝客はちらほら程度でした。国分寺で参拝している間に台風特有の急な土砂降りとなりました。国分寺の寺の庇下を借りてカッパの上下を身に付け、菅笠にビニールカバーを付け、リュックにカバーをしました。地図とか集印帖はビニール袋で防水してリュックの奥に詰めました。こういう時のために地図のコピーを用意してあったのでそコピーを頼りに歩くことになりました。

   
国分寺仁王門            国分寺本堂

国分寺を過ぎてからはずっと雨模様の天気となり、散発的に雨・風が強くなる台風の中の歩き遍路となりました。今日の激しい雨・風に「弱点」を露呈したのが「カッパ」と「リュック」でした。カッパは遍路に取り組むに当たって新規購入も考えたのですが、大昔に買った「ゴルフ用」の上下カッパがあったのでこれに防水スプレーで防水処理を施して持ってきたのでした。遍路一回目の使用ではまあまあ防水機能が働いていましたが、二回目に当たる今日の豪雨では防水機能が機能せずカッパを着けても下にどんどん雨が染み込む状態となってしまいました。体温の低下で風をひかないように気を付けました。リュックの弱点も「防水機能」です。リュック用の防水カバーを買って持ってきているのですが、台風等の激しい雨に晒されるとリュックが背中と接する部分から雨水がリュックに侵入しリュックの中身が全部びしょぬれに成ってしまうのでした。第30番札所「善楽寺」には8時50分に到着することができました。仁王門から続く参道が大変立派です。「善楽寺」からの遍路道は高知市内を南下する一本道です。途中で高知の繁華街に通ずる市電の「文殊通駅」を縦断します。都市部に入ってきた感じがします。

   
善楽寺本堂              文殊通駅

雨の影響で道にも迷いました。遍路地図該当ページのコピーを持ち歩いているのですが、それが雨に濡れてしまって使えない状態になってしまったっことに加え、遍路道を示す目印も見失って何度か道に迷いました。高知県内の遍路道は徳島県の遍路道に比べて目印の数が少ないようですがこれが迷った原因のひとつです。また高知市内の五大山という山には札所第31番竹林寺と「牧野植物園」が同居しています。「遍路の印」もあれば「植物名を記した名札」もぶらさがっています。そして台風の暴風雨の中ですから、できるだけ後戻りしたくないという気持ちが優先したり、五台山で植物の名札があったので安心して進みすぎてしまったりしたのだと思います。ガソリンスタンド・一般の民家の方に道を聞いて何とか遍路道に戻ることができましたし、五台山では植物園で台風の最中に作業されていた方に道を聞いて編路道に戻ることが出来ました。結果的に距離的にはそれほどロスはしなかったのですが気分的に大分不安でした。

今日の遍路の道沿いでどうしても寄りたかった場所に、「仙台伊達騒動」の主役のひとり「伊達兵部」の墓がありました。伊達騒動において幕府から藩主後見人としての責任を問われた伊達兵部は仙台伊達藩から「土佐藩預かり」となって高知で暮らすこととなりこの地で亡くなったのでした。その墓が五台山中腹にあります。この墓を捜し求めて雨の中山中を歩き回ったことも道に迷った原因の一つではありました。

   
伊達兵部の墓(五台山)           第31番竹林寺

竹林寺で「50円(ダイソウ製)」のカッパを売っていたので購入して今着ているカッパの上に着ました。これは新たに雨の侵入がない分身体を冷やさずに済んだので良かったと思います。竹林寺から第32番禅師峰寺に行く道は比較的真っすぐだったので迷わずに済みました。この遍路道沿いには「浜口雄幸生家記念館」「武市半平太生家・墓」があります。武市半平太の家に寄ってみることにしました。武市半平太は幕末土佐藩の土佐勤王党の親玉です。土佐藩からは坂本竜馬・中岡新太郎等の幕末の英雄が生まれていますが、武市半平太は坂本竜馬・中岡新太郎の兄貴分に当たる存在であり、幕末の騒擾を生き延びていれば「西郷・大久保」に並ぶ維新政府の指導者になっていたとされる人物です。残念ながら藩主の山内容堂と折り合いが悪かったこともあり様々な騒擾の責任を背負って切腹させられました。土佐では大変人気の高い人物のようです。武市半平太の生家は山裾にある大きな農家でした。家の裏山には武市家の墓があり、半平太と妻「富」の墓が並んで立っていました。家の方が武市家とは別の方の所有となっていますが入口の門から中を覗くことが出来ました。昔の姿がそのまま残っていました。

   
武市半平太看板          武市半平太生家

この日の最後の参拝は第32番禅師峰寺には午後2時30分に到着しました。禅師峰寺は海に近い高台にあることから、南からの暴風とそれに乗った大粒の雨が凄かったです。禅師峯寺からこの日の宿の「国民宿舎桂浜荘」までの道も南からの暴風雨でした。その結果全身・持ち物で濡れなかったのは「納経帖と案内地図」などごく少数で、リュックの中の着替えも含めてすべてずぶ濡れとなりました。

   
禅師峯寺の遍路           禅師峯寺大師

この日の宿は「国民宿舎桂浜荘」には4時30分頃に到着しました。龍馬像で有名な「桂浜」に近く隣には坂本龍馬記念館があります。残念ながら夕方到着し朝早く出発するので龍馬記念館は見学することはできませんでした。「桂浜荘」は遍路宿というよりは観光客用の宿ですが、遍路客用に「遍路パック」という安い料金設定コースがあります。お風呂も料理も同じですが料金だけディスカウントされているようで非常に有難いです。この宿のサービス精神は特筆に値するものでした。各部屋に備えられたお尻洗い装置付き便器は非常に嬉しいものでした。晩御飯・朝御飯も非常に美味しかったです。

   
桂浜荘の夕食            台風一過の夕方

台風の雨・風は午後5時過ぎまで続きましたが、台風の動きは天気予報よりは早く午後6時過ぎには台風一過で夕焼けと虹が綺麗に見える天気となりました。宿についてから着ていた衣類とリュック内の衣類全部を洗濯しました。更に宿の部屋の中ではエアコンの乾燥機能を全開にして、靴・リュックなど洗濯できないものを乾かしました。台風の暴風雨の中を11時間以上歩いたのですから、どんな立派な装備でもずぶぬれにはなったと思います。台風の暴風雨で靴の中に水が入ったまま長時間歩いたので、足に「肉刺」が何カ所かできてしまいました。靴の中で水がジャブジャブ言うくらい水浸し状態だったのでふやけた足の裏の皮には酷な歩きでした。宿の部屋で教科書通り「肉刺」を潰して水を出し消毒した後に保護のためにテーピングしました。しかし「肉刺」の痛みはかなりな物なので明日が心配です。

2015年5月13日(水)第15日目 国民宿舎土佐へ

○桂浜荘から「第33番雪渓寺」まで2.6Km
 ○第33番雪渓寺から第34番種間寺まで6.3Km
 ○第34番種間寺から第35番清瀧寺まで9.8Km
 ○第35清瀧寺から第36番青龍寺まで13.9Km
 ○第36番青龍寺から宿まで2Km
 歩行距離34.6Km 歩数:51,594歩 宿:国民宿舎土佐

国民宿舎桂浜荘は桂浜を見下ろす丘の上にあります。今日の遍路行程も30Kmを越えるもので、昨日の台風暴風雨の中長時間歩いて足に「肉刺」が何カ所かできています。ちょっと大変な行程になるだろうと考えていました。しかし、折角高知まできたのに「桂浜の竜馬像」を見ないで帰るのはもったいないので足への負担は考えずに朝朝食前に見に行ってきました。坂本竜馬像は太平洋の朝日を望む丘の上にありました。像のレプリカは何度も見ていますし、家にも小さな長崎土産のミニチュア像がありますが本物は非常に大きいものです。高知における龍馬の存在の大きさを実感できる像です。宿の人の話では国民宿舎から桂浜まで徒歩で10分程度とのことでしたが、宿のある小高い丘の上から海抜0メートルまでは坂道で遠く感じました。

   
坂本龍馬像         国民宿舎桂浜荘の朝食

今日は高知市西部の4カ所の札所を回ります。国民宿舎を7時丁度に出発して「第33番雪蹊寺」に向かいました。宿から「雪渓寺」まで「1.2Km」だと思っていたら「2.6Km」もあるとのことで以外に遠かったです。桂浜に寄らずにフェリーで浦戸湾を渡ると距離は短く、雪渓寺近くの民宿「高知屋」さんに泊まると、その日のうちに「雪蹊寺」に参拝できるのです。「雪渓寺」には7時50分に到着しました。朝早いのでまだ遍路の姿はちらほら程度でした。「雪渓寺」から「第34番種間寺」への遍路道周辺の風景は高知市の田園風景です。昨日の雨によって各所で用水路の水嵩が増しているのですが、春盛りなので大きめの川とか1m幅位の用水路等で大きな「鯉」の産卵シーンが各所で見られました。雪渓寺・種間寺は町中の寺で山門はありませんでした。

   
雪蹊寺              種間寺

高知県南部のこのあたりで「猫」に首輪を掛けてリースで繋いでいる光景を何か所かで見ました。紐で繋がれていることに慣れている猫は堂々と「家猫顔」でいますが、慣れていない猫は何とかして紐の束縛から逃れたがっているようでした。紐で繋いだ猫は運動させないと太るばかりですから犬と同じように毎日散歩させるのでしょう。野良猫と区別するためにしっかり束縛しておくという飼い方はそれなりに意義があると思いました。

   
繋がれた猫            繋がれて不満そうな猫

「第34番種間寺」から「第35番清瀧寺」に行く遍路道は土佐市の町中を抜けていくのですがすこし分かり辛いものでした。国道56号線が「仁淀川」を渡る仁淀川大橋を渡ると、西の山腹に「清滝寺」が見えます。国道56号線バイパスを通れば一本道なのでしょうが街中の遍路道は複雑です。この道すがら街の方からお接待に大きな夏蜜柑二つと、自動車で遍路されているご夫婦から「森永ミルクキャラメル」のお接待を頂きました。こうしたお接待は大変有難いです。「種間寺」を9時30分に出発して「清滝寺」には12時に到着しました。急坂の最後の階段はきついのですが、山腹の清滝寺境内からの土佐市内の眺めはなかなかのものです。

   
清滝寺          土佐市を望む

再び土佐市内に降りて南にむけて「第36番青龍寺」に向かいます。一山超えると非常に美しい「宇佐湾」が迎えてます。「第36番青龍寺」に行くには「宇佐大橋」という大きな橋で「宇佐湾」を渡らければなりません。青龍寺は奥行9Kmもある「浦の内湾」の南側の横浪半島(と言うらしい)の先端近くにあるのです。「青龍寺」のある「横浪半島」にはスポーツ選手を多く排出して有名な「高知明徳義塾」があるのです。遍路道沿いでも何か所かで看板を観ました。元横綱「朝青龍」は明徳義塾高校を中退して角界入りしました。朝「青龍」の四股名は「青龍寺」から採られています。ゴルフ界でも松山秀樹、横峰さくらを輩出しています。

   
宇佐大橋             青龍寺

今日の宿の「国民宿舎土佐」は眺望の良い露天風呂が有名なのだそうです。「第28番大日寺」下の民宿「きらく」でいっしょになった九州から来たというベテラン遍路の方からめられました強烈に勧。しかし残念ながらサービス抜群の「国民宿舎桂浜荘」の後だったのでその設備とサービスにおいて見劣りしていました。3階の部屋を使わせてもらいましたが、洗濯コーナーは一階にあって、私が宿に着いた時には3台ある洗濯機は全て使われていました。洗濯器の空きを確認するために洗濯物を持ってエレベータの無い中での3階から2回もを往復して疲れてしまったのでこの日の洗濯は諦めました。

   
国民宿舎土佐の夕食         名物の露天風呂

「国民宿舎土佐」の夕食で「夫婦二人と犬一匹」で遍路されているという面白いお遍路さんに会いました。奥様は旦那様のリュックだとか「犬」の必要な装備を全て車に積んで札所に先回りしているのです。旦那様は荷物を車に置いた軽装備で「歩き遍路」をしているのです。「太り気味な犬」も歩き遍路に付き合っているのですが、歩く距離は「8Km位」が限度でそれ位の距離で犬は車に収容するとのことです。先回りする奥様は遍路道沿いのスーパーで買い物したりして札所の駐車場で待っていて合流して参拝するのです。最近は歩き遍路は減少傾向にあり「車遍路」「バス遍路」が主流になっていて各札所にはそうした変化に対応して駐車場が完備されています。夫婦でお遍路する場合にはどうしても体力差があって女性に合わせた歩行になることは仕方ないことですが「歩き+車」のハイブリッド遍路は便利だと思いました。四国に近い地域の方なら一層便利でしょう。因みにこのご夫婦は九州からこられていました。

2015年5月14日(木)第16日目 岩本寺を目指す一日目

国民宿舎土佐から安和まで距離29Km 
 歩行距離:15Km 歩数:25,460歩 宿:民宿「安和の里」

「第36番青龍寺」から「第37番岩本寺」までは「58.5Km」もある遍路道です。私はここは無理をせずに二日間かけて歩くことにして、一日目は「国民宿舎土佐」から途中の「安和」まで歩くこととしました。二日目に難所の山間遍路道を経て岩本寺まで辿りつくことになります。今回の遍路は明日の岩本寺を最期として区切りとすることにしました。岩本寺参拝を終えた後は最寄駅「JR窪川駅」から特急列車に乗って高知に戻り、高知に一泊して翌日(土曜日)の飛行機で「さいたま」に帰る予定を立てました。

「第36番青龍寺」は細長い横浪半島の先端に位置していて、その西側には9Kmに及ぶ深く細長い「入り江」が続いています。第36番青龍寺から第37番岩本寺に向かう遍路道には3つの選択枝があります。南側の横波半島を歩くもの、もう一度北側に戻って北側の海岸道を歩くもの、そして9Kmの「浦の内湾」を船で遡るものです。湾の入り口の「埋立」から湾内部の「横浪」まで「巡行船(須崎市営)」が通っているのです。昨日露天風呂と夕食で一緒になった北海道から来たというベテラン遍路が「海の中の遍路道」を勧めてくれました。「国民宿舎土佐」の方も「海の遍路道」が本来の遍路道だと教えてくれました。ここは遍路道が海の中を通っているという特殊な場所だということです。

東西9Kmの入江となっている「浦の内湾」は潮の干満の海流を利用して昔から「渡し船」が運行されていました。潮が引くときには湾の奥の「横浪」から「埋立」に向かう渡し船が、潮が満ちる場合には湾の入り口の「埋立」から湾の奥の「横浪」に向かう渡し船が運行されていたのだそうです。「空海」の時代に既に渡船があり「空海」も利用したという話があるようなのです。「渡し船」を利用するとその分の「歩数」は少なくなって少し後ろめたいのですが、それこそが「本来の遍路道」と教えられたのでこの巡行船に乗ってみることにしました。同宿した他の数人の遍路も一緒ということになり、「埋立」の渡し船船着き場は非常に分かり難い場所にあるので、宿の方が「埋立停留所」まで車で送ってくれることになりました。

   
国民宿舎土佐の朝食        巡航船の航路図

「埋立停留所」は宿から5Km程度の距離なのですが歩くとなると大変です。台風の中の長距離歩きで両足に幾つか「肉刺」を作ってしまったので無理をするのは止めました。更にその場所が非常に分かり難く殆どの遍路が迷ってしまうということなのでお言葉にあまえました。久し振りに朝食をゆっくり食べて9時過ぎにロビーに降りて車の出発を待っていると、昨日は気付かなかった「パソコン」がロビーの隅にあるではありませんか。駄目で元々と「歩数計データアップロード」を試してみると、USBソフトダウンロードに成功し歩数データをアップロードすることができました。14日分貯められる「万歩計データ」はそれ以上更新しないと古い順に消えて行ってしまいます。この日アップロードしたお蔭で13日分のデータを登録することができました。昨日気付いていれば全てのデータをアップロードする事ができたのですが。

「巡航船」は「埋立」から「横浪」とを直接結ぶのではなく、沿岸住民が対岸に渡る交通手段であるため8箇所程度途中駅が設けられています。10:05分発の「埋立」発の渡し船には4人の遍路客の他に乗船客はいませんでした。船は停留所を目指し入り江をジグザグに進んで行きますが、停留所に客がいないことを確認すると随分沖で方向を変えて素通りしていきます。結局他の客は誰も乗らずに「横浪」に到着しました。7時05分発の渡し船には沿線の通学児童・生徒が沢山乗るようですが次の10時05分の船には遍路客の他には利用客が殆どないようです。渡し船の船旅は1時間程度でした。船は17人乗りの小さなものですがスピードは歩くよりずっと早いのです。運賃は620円でした。

 

   
「埋立」の船着場      「横浪」の船着場

横浪に11時に到着してから近くの食品店で昼食用の「おにぎりとパン」を買い込んで歩きはじめました。横浪からは須崎に向けての遍路道は二本あり、私は「北側」の遍路道を通って須崎に向かいました。1時間程歩くと途中の山中に「仏坂不動尊」があって丁度良い休憩場所となっていました。そこから1時間程度歩くと須崎の街に入っていきます。遍路道は須崎の街を北から南に縦断していきます。須崎湾を挟んだ反対側には「住友大阪セメントの工場の煙突が何本か建っていました。

    
仏坂不動尊            須崎市のセメント工場

今日の「須崎市内」を抜けた「阿和」という町にで泊まることにしました。民宿「安和の里」では客は私一人でした。客一人だとお風呂独り占め、洗濯機・乾燥機独り占めとかなり贅沢に過ごすことができました。昨日の宿では結局洗濯しなかったので昨日の分も含めてしっかり洗濯しました。天気が良かったので洗濯物は良く乾きました。今日の歩行距離は15Km程度と非常に短いものとなりました。残りは車で「5Km」、船で「9Km」移動したことになります。

   
民宿「安和の里」         「安和の里」の夕食

2015年5月15日(金)第17日目 岩本寺で打ち止め

○安和から第37番岩本寺まで(29Km)
 ○JR窪川駅からJR高知駅へ(JR特急南風24号(15:51))
 ○JR高知駅から高知龍馬空港へ(土佐電交通)
 ○高知龍馬空港から羽田空港へ(JAL498便)
 ○羽田空港から武蔵浦和へ(エアポートバス)
 歩行距離:29Km、歩数:46,510歩 自宅に戻り

第36番青龍寺から第37番岩本寺への遍路道58.5Kmの後半です。宿泊地の「安和」から岩本寺のある「窪川」までの遍路です。窪川到着が遅くなると高知で一泊、早ければ今日中に「さいたま戻り」と考えているので6時30分には宿を出発しました。この区間には昔の遍路道が何本か通っているので事前に勉強してくると興味深い場所があるのですが、一回目の遍路ですからそんな余裕はありませんでした。昔からの遍路道が通れなくなっていたりするので、現地で臨機応変の対応も必要になります。「阿和」から「土佐久礼」の間には「焼坂峠」があり国道はトンネルで通過しますが旧遍路道は山の峠を越えるのです。その遍路道が「倒木のため通行止めとなっていました。従ってこの区間は国道56号線を通るしか方法はありません。 

   
「安和の里」の朝食          焼坂遍路道通行止め

国道56号線には「焼坂トンネル」という800mの長さのトンネルがあります。トンネル内は暗く歩行者用の路肩は狭いので大変危険です。ここではトンネル手前で貸し出されている「反射タスキ」を着けて歩きました。土佐久礼には8時前に到着しました。土佐久礼からは四万十町境の七子峠までは二つの旧遍路道(そえみみず遍路道、大坂遍路道)と国道56号線が走っています。ここでも大坂遍路道が通行不能となっているので「そえみみず遍路道」を通ることにしました。

   
大阪遍路道通行止め看板       大阪遍路道・添蚯蚓遍路道分岐点

「そえみみず遍路道」は途中で「高知自動車道」と交差しているのですが、山の高い場所を通過している遍路道を高速道路の下を潜らすために一旦高速道路下まで階段で降り、反対側で急な階段を連続して登るように遍路道を変更していました。この階段は非常に急で、歩く人もことを考えずに一気に長く作られているので非常に疲れました。昔の遍路道では適当な場所に踊り場を作ったりジグザグに作ったりしていますが、現代の歩道製作者はそんなことは全く考えていません。疲れたお遍路を苛めるかのような感じを受けます。新たな「遍路ころがし」の出現です。

   
添蚯蚓遍路高速通過(南→北)   添蚯蚓遍路道高速通過(北→南)

七子峠を過ぎて「四万十町」に入ると遍路道は緩やかになってきます。そしてJR土讃線、国道56号線と旧遍路道が交錯しながら南下していきます。JR「仁井田駅」近くで地図には記載されていませんが旧遍路道の案内があり、新しそうな接待所の看板が掲げられていました。岩本寺までまだ1時間以上歩かなければならないのでその接待所「風自遊庵」によって休んでいくことにしました。「風自遊庵」は東京に住んでいる遍路経験者ご夫婦が最近(4月末)始めた「接待所」でした。家の前には「多摩」ナンバーの乗用車が置かれています。ここで冷たい麦茶とお菓子を頂きました。ご夫婦は東京と高知を行ったり来たりして生活をされているそうです。近辺にはトイレ・休憩所が少ないので歩き遍路には大きなサポート施設になると思いました。こういう感じで歩き遍路サポート施設が増えて行くとより多くの人が歩き始めることができると思います。

   
仁井田の旧遍路         「風自遊庵」ご主人と奥様

窪川の町に入って驚いたことに岩本寺の少し手前に「弦楽器製作工房」(高橋バイオリン工房)があり工房内には数台のバイオリンと作りかけのバイオリン、様々な楽器製作用の木材が積まれていました。ご主人はここでバイオリンも教えられているようでした。窪川の街中に入って「第37番岩本寺」に参拝し、大師堂で大師に区切りのご挨拶をして今回の区切りとしました。「岩本寺」はJRの駅に近いことから「区切り」ポイントとしては便利です。次の遍路は再びここから再開となります。

     
岩本寺山門            岩本寺大師堂

予定では窪川から高知市内に戻り高知で一泊して明日(土曜日)に「さいたま」に戻ろうと考えていたのですが、高知市では桂浜も見てしまったし、飛行機の最終便に空席があるのなら今日中に戻ってしまおうと帰りの算段を始めました。JR窪川駅に引き返してみると午後2時台の高知方面特急が出たばかりで、高知行きは3時51分の特急までありませんでした。それでも飛行機の最終便には間に合うだろうと考えて、JAL予約センターに連絡を取りました。高知−羽田の19時05分発最終便にはまだ3席空いているとのことでした。後は高知駅から高知空港までの連絡さえ上手くいけば最終に搭乗できます。高知空港に問い合わせたところ、高知駅に17時05分に着くJRの特急列車に乗れば、高知駅前を17:15分に出発する空港連絡バスに乗ることができ、高知龍馬空港には17時50分には着くので最終便には間に合うことが分かりました。この経路が円滑に繋がって無事にさいたまに戻ることが出来ました。今日の交通手段は下記の通り非常に多彩でした。

土佐安和→第37番岩本寺 29Km 徒歩で7時間
 JR窪川駅→JR高知駅  72Km 特急で74分(2,640円)
 JR高知→高知龍馬空港  16Km バスで33分(720円)
 高知龍馬空港→羽田空港 824Km 飛行機で75分(17,890円)
 羽田空港→武蔵浦和駅   53Km バスで50分(1,540円)


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