バラナシ・ブッダガヤ旅行記


「バラナシ」はいわずと知れたヒンズー教最大の聖地。「ブッダガヤ」は仏陀が悟りを開いた場所で仏教徒にとっては最も重要な聖地です。インドに来てからずっと行きたいと 考えていた「バラナシ・ブッダガヤ」を2005年12月2日〜4日に旅してきました。

ニューデリーからブッダガヤまでは約1000Km。バラナシもブッダガヤもインド東部のコルカタ・オリッサ方面に行く幹線鉄道の途中にあるので列車の旅に向いています。 移動時間の短い飛行機を使う方法もありますが、飛行機は日中しか飛んでいないし飛行場までのアクセスも悪いので、貴重な昼間の時間を費やすことになり ってしまいます。往復とも夜行の寝台列車を使うと昼間の時間を見学にあてられるしホテル代もうくのです。

今回の旅について写真を使って紹介していきます。
旅の工程は以下の通りでした。
ニューデリー・・・・・(夜行列車)・・・・・バラナシ(早朝)・・・・・・(レンタカー)・・・・・・ブッダガヤ(夜泊)
ブッダガヤ・・・・・(レンタカーで見学、夜にガヤ駅へ)・・・・・・(夜行列車)・・・・・・ニューデリー(早朝)  

早朝のバラナシ駅

寝台夜行列車「ProovaExpress」で早朝のバラナシ駅に到着。列車は20両連結。インドには30両連結もあるそうです。まさしく大蛇のような列車です。寝台車は4人部屋でしたが 私の部屋は乗客は2人だけでした。二等・三等列車は満員だったと思います。 車内で晩御飯と朝食が出ました。

12月の北インドは相当冷え込みます が寝台列車は快適でした。朝方に目を覚ました時に停車していた駅が「アラハバード」 でした。この街の東部でヤムナ川がガンガに流れ込んでいるのです。ヤムナ川とお別れです。(ヤムナ川がデリー近辺を流れる大河です)

デリーからコルカタまでヤムナ・ガンガ両大河の流域の広大な平野を進んできたのです(夜で分からなかったけれど)。インドは北にヒマラヤ山脈があるので北に行くほど標高が高いと思いがちですが、実は平板な陸地がヒマラヤの下に食い込んでいる形なので、むしろ北部の方が平地は広いのです。 ガンガ河口のコルカタとニューデリーの標高差200m程度なのです。

バラナシ駅のホームで旅行会社の人と落ち合い車で早速バラナシ見物に出かけました。

バラナシのガンガ東岸の眺め

バラナシ駅から車に乗ってさっそくガンガに向かいました。予定では夜明け前に列車はバラナシに着いて、ガンガで朝日を拝む予定だったのですが、ガンガに到着したのは朝8時頃になってしまい、太陽は既に昇っていました。でも、朝日を拝むヒンズー教徒が退散した後の 、静かな河を見ることが出来ました。

バラナシ付近のガンガは南から北に流れています。流れは非常に静かです。 旅行会社でアレンジしてくれたボートに乗ってガンガに繰り出しました。流れに逆らって進んでも、漕ぎ手のおじさんはそれ程苦労していない様子でした。

ガンガの水は想像していたよりずっときれいでした。お土産屋にはガンガの水「お持ち帰り用」の小さなポットが沢山売っています。

ガンガ(北の下流を向いています)

ガンガ西岸には多くの寺院とガートが集中しています。一年中通してヒンズー教徒がやってきてガンガで沐浴をするのです。川岸の寺院は言わば「大ガンガ寺」の塔頭みたいなものです。ヒンズー教徒は塔頭に泊まりながら、ガンガ詣を繰り返すのです。
 

岸近くでは朝の沐浴をしている人達がいました。 男性用と女性用の沐浴上は別なようです。12月のガンガの水は冷たくて寒そうな沐浴風景です。
 

天から降りてくるガンガ神を地上でシバ神が受け止めたという伝説の通りバラナシにはシバ派のヒンズー寺院が多いのです。

ガンガの橋の上のレンタカー

今回の旅でお世話になったレンタカーのフォード・アイコンです。真面目なドライバー氏だったので殆ど快適で安全な旅をすることができました。

殆どというのは、「バラナシ・・・ガヤ」間のとんでもない「でこぼこ」道が正直言って大変な状況だったからです。 現在4大都市(デリー、ムンバイ、チェンナイ、コルカタ)間の高速道路が整備中なのですが、一部にとんでもない「おんぼろ道」が残っています。

写真はバラナシのガンガの橋の上。これからガヤに出発するところです。 車は東を向いています。ここから暫く走ると大きな鉄道駅を通るのですがそこが「ムガル・サライ」駅です。

サールナート

サールナートはバラナシ市外から北に10Kmほど行ったところにあります。サールナートの象徴ともいえる「ダーメク・ストゥーパ」が中央に見えます。サールナートは、ブッダガヤで悟りを開いた仏陀が最初に「説教」をおこなった土地とされています。現在も発掘中です。

実感したことですがブッダガヤとバラナシは大分遠いです。しかもサールナートはバラナシの中心からは大分離れています。ここはジャイナ教のひとつの聖地でその発掘も進んでいます。ジャイナ教は古代インドの宗教であったとする説があります 。サールナーとは仏陀の時代にはジャイナ経の聖地として賑わっていた と思います。仏陀はヒンズー経の聖地の直ぐ近くにきて「自分の説」を説いてみたのではないでしょうか。

ダーメク・ストゥーパ

ダーメクストゥーパの表面には、ところどころに建設当初の彫り物が残されています。しかし表面の殆どは後代の修復で、表面に何の彫刻もない石です。

このダーメク・ストゥーパの周りを祈りながら回る仏教僧の姿がありました。

アショカ王の石柱

3本に折れてます。石柱表面は非常に滑らかに仕上げられています。

アショカ王の仏教に対する真摯な思いが石柱の仕上げに現れていると思います。柱の先端にインドの国家紋章とされている「獅子像」が据えられてい ました。その獅子像はサールナート遺跡近くの博物館の入り口の正面に堂々と陳列されています。これは素晴らしい彫刻で した。残念ながら博物館内は撮影禁止でした。


アショーカ王は仏陀ゆかりの場所に詔勅を掘り込んだ大きな石柱を建てました。それ自体が非常に貴重な遺産になっています。仏教の教えに基づいて国を治めようとしたアショーカ王は、日本の聖徳太子に非常に似たところがあります。

「最初の説法をする仏陀」

ブッダガヤで悟りを開いた仏陀が、サールナートにやってきて旧知の5人の弟子に始めて説教をしました。その時の仏陀を掘り出した像です。AC5世紀 頃の作でサールナート博物館の展示物の目玉です。博物館の一番奥の部屋に置かれています。

澄み切った仏陀の内面と、自信にみなぎる充実感を見事に現しています。素晴らしい仏像です。仏陀像の下に5人の弟子、その妻子、そして二匹の鹿が掘り出されています。弟子達の真ん中に「車輪」も掘り出されています。

サールナート遠望

サールナートは仏教の聖地であるばかりではなく、ジャイナ教の聖地でもあり今でも発掘が続いています。 鹿野苑と言われるとおり、鹿がいてもおかしくない公園です。鹿野姿はありませんでしたが。

 

休憩地「ジョギア」のレストラン

バラナシからブッダガヤへ移動中の休憩したジョギアと言う町のレストランです。ジョギアの位置は以下の通りです。(看板の表示)

コルカタまで530Km
デリーまで955Km
バラナシまで155Km
ブッダガヤまで92Km

バラナシ見学を午前中に終えて 午後からブッダガヤに移動しました。バラナシ→ブッダガヤは「250km」あります。明るいうちにブッダガヤに着くためには、午後直ぐに出発する必要があります。夜の道は危ないからです。

実は私の旅行した数日後、夜行列車がビハール州の駅で深夜停車中に強盗団に襲われたという記事がでました。ブッダガヤのあるビハール州は治安の悪い州として有名なのです。

らくだの隊商

 

ニューデリーとコルカタを結ぶ幹線高速道路は国道2号線です。この道はインドの東西を結ぶ非常に重要な道路です。片側2車線の高速走行可能区間もあれば、舗装がぼろぼろに痛んだ1車線交互交通の道路もあります。

たまに「らくだ隊商」を見ることがあります。多分ラジャスタンの砂漠地帯からコルカタに向かっているだろうと思われますが、彼等は1000Kmを超える道のりをゆっくり、ゆっくり進んでいくのです。インドの駱駝は「ひとこぶ駱駝」です。
国道2号線を「Dobhi」という交差点で北上すると、ブッダガヤに至ります。

聖菩提寺正面

ブッダガヤの聖菩提寺です。この写真は聖菩提寺の正面ですが、この建物の裏に仏陀が悟りを開いた場所である「金剛座」と「菩提樹」があります。中心の建物が修復中で足場が組んであ り、見栄えが悪いです。

寺院はぐるっと塀のある散歩道で囲まれていて、境内は一段低い鍋底のようになっています。周りの散歩道から聖菩提寺とか聖菩提樹を見下ろすことができます。入場は無料ですが、カメラ持込料は「20ルピー」です。

スジャータ像

正面の階段を下り、菩提寺の正面に向かう参道の両脇に「スジャータ」の像があります。左右二つのスジャータの像はちょうど菩提寺を拝む形になっています。

ラージギリで苦行を続けた仏陀は、苦行を通して悟りを開くことはできないと考え、疲れ果ててひどい空腹で里に下りてきました。そしてネーランジャ川近くのセーナー村にたどり着き、そこで村長の娘のスジャータ から「乳粥」(Kheer)でもてなされました。

「Kheer」を食べた後仏陀は 気力を取り戻し、今度こそ真理を会得するまで動かないと決意し、川を渡って菩提樹の下で瞑想を開始しました。そしてついに真理を得たのでした。従って、スジャータの役割は非常に大きかったといえます。ちなみに日本で有名な乳製品「スジャータ」に関するホームページはこちら 。例の歌を聴くことが出来ます。http://www.sujahta.co.jp/

聖菩提寺内部の仏陀像

上記の聖菩提寺寺院内部の本尊です。この狭い空間は引っ切り無しにやってくる参拝客の大勢の人々でごったがえしています。

聖菩提寺は紀元前3世紀にアショーカ王の手によって建てられました。当時は「仏陀悟り地」を記念するストゥーパと金剛座が据えられたとのことです。このストゥーパは2世紀ごろまでは存在が確認されているそうです。

7世紀ブッダガヤを訪れた中国人僧の「HuenTasng」は、ブッダガヤに壮大な寺院ろ菩提樹があったことを記録しているそうです。

しかし、北部インドはその後、ヒンズー王国、イスラム部族の進入で戦乱が続くことになり、ブッダガヤの仏教聖地は忘れられてしまったのです。本格的にこの聖菩提寺が修復されたのは1874のことだそうです。

本尊を祀っているこの部屋の床の中央には、「シバリンガ」の残骸と思われる黒い石があります。この建物は仏教寺院として整備されるまで、ヒンズー寺院として使われていたようです。

この本尊は非常に神聖で崇高な感じのする仏像です。スリランカの首都コロンボのケラニア寺院の仏陀像を思い出しました。

「Bodhi Pallanka」(金剛座:Vajrasana)

紀元前623年5月の満月の日、仏陀はPeepulTree(菩提樹)の下で瞑想に入った仏陀は悟りを開いたのでした。その場所にアショカ王は「金剛座」据えて、仏教の最も大切な場所であることを示したのでした。

金色の布のしたが金剛座で、右側には菩提樹があります。左側がマハボーディ寺院の裏側。 敷地を大きく捕らえると、直系100mくらいの「くぼ地」の中央に菩提樹があり、その根元に金剛座がある感じです。

「Animesa Lochana」


仏陀は悟りを開いた後の7週間を、金剛座近くのの場所で過ごしたのでした。ここは仏陀が悟りを開いてから2週目の週、立ったままで瞬きをせずに菩提樹を見つめて過ごした場所です。 金剛座からは50mくらい離れています。その場所には小さな寺院が建立されています。

 

以下に第3週目、第4週目、第5週目、第6週目、第7週目の場所を紹介します。
 

「Cankamana」(悟り後3週目を過ごした場所)

ブッダが、悟りを開いてから3週間目、ここを「行ったり来たり」して過ごした場所です。このハスの花の形をした所に、仏陀の足跡が残されていたとされています。場所は「金剛座」の直ぐ横にあります。

「Ratanagahra」(悟り後の4週目を過ごした場所)

仏陀は悟りを開いてから4週目の週、ここで「Pattahna」(The Casual Law)について考えたて過ごしたのだそうです。仏陀がここに座っている時、仏陀の体内から6つの光が発せられたのだオスです。それが、青、黄、赤、白、オレンジ色、そしてそれらの全て混じったもの。

 

この色をその順に並べたものが仏教の旗に使われています。つまり、青、黄、赤、白、オレンジ色の縦帯の次に、細い横帯で再び青、黄、赤、城、オレンジ色が並べられているデザインです。全てが混じった色とはどんな色であったのでしょうか。

小さな祠とカラフルな仏教の旗がありました。

「Ajapala Nigrodha Tree」(5週目を過ごした場所)

仏陀は悟りを開いた後、ここにあったバンヤントリーの下で瞑想しました。「Ratanangahara」からは50mくらい離れています。今はバンヤンの木は無く石柱が一本立っています。

ここで、通りかかったブラフマンに対して、「ブラフマンは生まれで決まるのではなく、その行いによるものである」と話したのだそうです。

「Mukalinda Lake」(6週目を過ごした場所)

仏陀は悟りを開いた後6週目をこの池の岸で瞑想して過ごしました。そうすると嵐 になったのですが、嵐の雨・風を避けるために、この池の主である「大蛇」(コブラ)が仏陀を守ったのだそうです。

それ以来コブラは仏陀を守る役を与えられました。池の中に「コブラ」の像が見えます。この池には多くの魚がすんでいて、憩いの場所になっています。

「Rajayatana」(7週目を過ごした場所)

 

ブッダが7週目をここで瞑想している時、二人のビルマ人の商人がここをとおりかかり、ライスケーキと蜂蜜を仏陀に捧げたのだそうです。この二人の商人の名前は「TapassuとBhallika」といい、仏陀から教えを受け、仏陀から記念に何本かの髪の毛を頂いたのだそうです。この二人が最初に仏陀の教えを受けた人間となったのでした。

 

この髪の毛は現在、ビルマの「Shwedagan Pagoda」に安置されているのだそうです。

アショカ王の石柱

何気なく建っています。高さは3mくらいでしょうか。このアショカ王の石柱はガヤからここに運ばれたのだそうです。7世紀のブッダガヤを訪問じた中国僧の記録には、アショカ王石碑の記録はないのだそうです。しかし、アショカ王は仏陀関連の聖地に石碑を沢山建てているので、最も重要なこの地に「石碑」が無かったわけがありません。

従ってこのアショカ王の石碑は何者かが、ブッダガヤの地からガヤに運ばれ、この地に戻されたのだと考えられています。

観光客はこの石柱の鉄片の平らな所にコインを載せようとしています。コインが上手に乗ると良いことがあるのかしら。私が写真をとっていると、観光客並んでくれました。学校の遠足のようでした。

聖菩提寺の入り口の門

この参道の右側が、聖菩提寺の寺域となります。

聖菩提寺の本屋さん

各国・各宗派合同の菩提寺管理委員会の経営の本屋さん。

悟りの場所の金剛座に祈りを捧げる人達

タイの人達、チベットの人達が多いように思われました。 金剛座の外で経を上げたあと、金剛座のある場所への扉を開けてもらい、直接金剛座に触れるチャンスが与えられます。彼等と一緒に私も囲いの中に入れてもらい、近くから金剛座を見ることが出来ました。

このあたりは非常に綺麗に掃き清められています。というのも、聖菩提樹から、落ち葉とか枝が落ちようものなら、周囲の参拝者が走っていって拾ってしまうのです。私も1時間ほど座って見ていました。

聖菩提寺の遠望

塔の左側の「こんもりした木」が聖菩提樹です。この木は5代目だということです。

ナイランジャーナ川

この河の向う岸(西)に聖菩提寺があります。そして、こちら側の村で仏陀はスジャータから乳粥を頂いたのです。

12月は乾季なので河には水はありません。この橋は日本からの援助で作られたのだとガイドさんが言っていました。橋は無ければブッダガヤに行くのは結構大変です。

Sujata−Kuti

今発掘中です。仏陀はラージギリアで苦行をしたのですが悟りを得ることが出来ず、スジャータの住むこの村に降りてきたのでした。

このストゥーパはSujataを祈念して作られたそうですが、もっとも上段の新しい部分は紀元8〜10世紀のものだそうで、古い部分は紀元前に遡るのだそうです。

ブッダガヤの日本寺の大仏

各国の仏教教団がブッダガヤに寺を構えています。それらをゆっくり覗いて歩くのは、それぞれの仏教の雰囲気を知ることが出来て興味深いです。この大仏は人気があり、多くの参拝客が集まります。この仏像の周りを仏陀の弟子達の立像がは囲んでいます。この仏像の視線の先に聖菩提寺があります。

帰りの列車

帰りは、ブッダガヤから「RajdhaniExpress」でニューデリーに戻りました。 ブッダガヤは深夜の出発。深夜の地方駅は少し怖いものがありますね。

 

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